”世界”の法則5
あの後リルはテラスを後にして城の廊下を足早に歩いていた。きっとその形相は知り合いが見たらギョッとするものになっているだろう。先日と違い人にすれ違わなかったのが救いだ。
リルは現状を冷静に判断して気を落ち着けようと必死になってた。
王の密命は絶対だ。もとより情に流されて情報を漏らす人間に任すことなどできないが、やはり機密性が高ければ個々に忘却魔法がかけられるのが常である。
ビルズ側にはマオがリルを狙っているのがわかっている様子だった。もしマオを捕まえるのならばリルを丸め込むなり事情を説明するなりして囮にするほうが効率がいい。
それをせず、あんなふうに中途半端に情報を開示してリルに忠告だけしたのはビルズたちには確実に王の忘却魔法がかかっているとみていいだろう。
そしてこのマオベリスタがヒイル・エアリアと同じ法則で成り立っているのならば、忘却魔法の効果は絶大なものだ。
ただし、優先順位をつけるのならば現実であるヒイル・エアリアの王の魔法の方がより強力だろう。
あの屋敷はあくまでマオベリスタにおける王の魔法からの影響を受けずにすむだけで、ビルズたち自身にかかっている魔法の効果は有効なのままなのだろう。
そうなれば例えビルズたちが情報開示したところでリルはきっと忘れてしまうだろう。
ダイランにしても言い方は悪いが、あれは柚姫のための忠告だった。ビルズがマオのことに触れなかったのに、わざわざリルに言ったのだ。
その点で言えばリルにとっては刺を感じる言葉でも、柚姫にとっては優しい言葉とも言える。
結局のところは彼らは彼らの任務を遂行しているだけに過ぎない。
そしてまたリルを図らずも巻き込んだらしい王たちにしてもそうだ。
ヒイル・エアリアの民にとって王は絶対である。だがそれと同じ位の拘束力を持って王はヒイル・エアリアという世界に力を尽くす。それがヒイル・エアリアの絶対の法則だ。
そして世界に尽くすというのは民に尽くすと同義ではない。王はあくまで世界の存続のためにあり国を動かすのはまた別の存在である。
王の密命はそのためにのみ発令されるものであり、その王の密命を受けるということは世界とそこに生きる人の命を背負うに等しいことだ。
リルの儀式もこの王の密命で行われたことである。リルは王の密命の重さを知っている。だからからこそビルズの言葉に反論なしなかったのだ。
わかっているから理性の部分で何も反論できないのだ。反論すれば”リル”の一生を否定することになる。それは嫌だった。
そんなふうに考えてみた。だがやっぱり無理だった。
どんなに理屈を捏ねようと感情は別物である。抑えきれずに胸にこみ上げるものをこらえながら次第に歩調は早まり衝動に任せて走り出した。
現状をすべて受け入れられるような広い心など持ち合わせてはいない。
ただただ理不尽さに腹が立つ。リルはがむしゃらに走る。
何も教えてくれないのに方や何もするなと言ったり注意しろと言ったり、もう一方は何をしたいのか全く分からずしかも自分の知らないうちに催眠魔法までかけて自分をさらおうなどというのだからやっていられない。
ここまでくればリルはもう部外者じゃなくて完全に当事者だ。
状況に振り回されているというのに相変わらずリルは置き去りだった。
ビルズの時はどうにか飲み込もうとしたが今度はどうにも飲み下すことができなかった。
ひたすら走って走ってたどり着いた部屋の扉を来遺忘に開けて窓に駆け寄った。そしてその窓をバンっと割れる勢いで開けて大きく息を吸い手すりに身を乗り出した。
「わあああああああああああああああああああああああああああああああー!!!」
リルの渾身の叫び声が室内に響く。文句でもなんでもなくただの叫び声だ。
とにかく血管が切れるのではないかというほど喚いた。それからしばらくして意味のない叫び続けた。
リルの自室には防音魔法がかかっているので、窓を開け用が外からも音は聞こえないし中の音ももれない。
そう考えての行動だ。変な部分で冷静だった。
感情に任せて叫び続けていたらいつの間にか夕日が落ちて辺りが暗くなり始める。
叫び疲れて少し息切れをしながら窓際に座り込んだ。
すっきりしたようで全くすっきりしなかった。叫んだくらいじゃ収まらないほどの鬱憤が溜まりに溜まっていたようだ。
ここで誰かに矛先を向けて悪口を言えないのはリルが性格で、言えたとしてもせいぜい昨日のようないなくなってからの軽い文句くらいだ。
小心者と思われるかもしれないが悪口を言って、あとで自分の発言を思い出して言い知れぬ罪悪感に苛まれるよりはずっといいと思っている。
モヤモヤが今日一日にして何倍にも膨れ上がり、深く長いため息がリルの口から漏れた。リルはだいぶどころかかなり疲れ果ていた。立つのも面倒だった。そんなリルの不意に横から声がかかった。
『大丈夫ですか?』
直後に夕日色が舞い降りる。リルの膝の上にちょこんと乗ったウィルが小さく首をかしげた。そんな姿を見てリルは少し肩の力が抜けるのを感じた。
「うん・・・どうなのかしらね」
曖昧に答えウィルの頭を指で撫ぜる。暖かくて柔らかい感触が指に伝わる。アニマルセラピーとでも言えばいいのだろうか。擦り寄る姿に癒されて自然と口端に笑みがこぼれた。
沈んだ気分が少しだけ浮上する。なんとも現金なものだ。リルはゆっくりと立ち上がり、ベッドに勢いよくダイブした。相変わらず寝心地のいいベッドだ。リルは静かに目を閉じて今日の出来事をもう一度頭の中で整理する。
マオはなにか目的があって動いているとして、ビルズたちはそれを阻止する立場にある。
そしてどちらもリルを注視しているが、たぶんリル行動に対しては強制力は持っていない。
ビルズたちはあくまで言葉でリルの行動を抑制してきた。
マオについては催眠魔法など使ってきたが、それでも力ずくでさらったり危害を加える気配はない。やろうと思えばきっとやれただろう。
もちろん今のところと注釈がつくが可能性は低そうだ。
攻撃されたり、無視されるよりはましなのかもしれないと少しポジティブな思考が湧いてきた。よくよく考えてもればさきほど考えたとおりリルはもう当事者である。
リルがここに呼ばれている時点でそれはもう覆ることはないし、現状を受け入れずあらん限りの抵抗しても部外者と認定された自分にはなんの問題ないはずである。若干斜めの思考でリルは自分を納得させる。
そうなると気になる言葉がある。
ビルズ言った。”マオベリスタ”はもうすぐ役割を終える、と。
マオも言った。“マオベリスタ”はもうすぐ役割を終える。そしてあとは”あなた”が願うだけ、と。
どちらも”マオベリスタ”はもうすぐ役割を終えると言っているが両者の終着点は交わっていない。ビルズはリルに何もしないことを望む。
けれどマオは催眠魔法を使ってまでリルが“何か”を願うように仕向けた。リルは気づかなかったが前の2度の邂逅もそうだったのだろう。
催眠魔法は精神の揺らぎによっては絶大な効果を発揮する。マオの言葉はリルの気を引くには十分な内容だったが、あそこまでひどく動揺するのは今考えるとおかしな話だ。あんなふうに心に土足で踏み込まれるのは誰であろうと不快以外の何者でもない。それが見ず知らずの人間ならなおさらだ。けれどリルは心を読むなとは一度も言わず当然のように受け入れてしまっていた。
今思えば明らかに術中にはまっていたのだ。
マオはリルに気づかれないよう段階を踏んで催眠魔法を施していったのだろう。
そして今回のビルズの話にだいぶ参っていた。催眠魔法をかけるにはうってつけの状態だった。
今考えてみると背筋が寒くなる。
あの時リルは“何”を言おうとしたのか。思い出せないが、今思えばマオにかけられた催眠魔法は普通ではなかった。
口先で何かを言わせるのではない。リルが心からその”何か”を答えるように仕向けていたように思う。 そしてその時意識は強制的に”リル”へ引きずられていた。だからその”何か”はたぶん”リル”の精神に深く関わる部分だったのだろう。
そしてそうまでする必要があるということは、そこになにか重大なものが隠されている可能性が高い。
そして文面通りなら答えれば連れて行かれるのだろう。現状理解が出来ていないのに迂闊に答えるわけにはいかない。
そしてもうひとつ分かったこともある。リルは常にビルズたちの監視下にあるということだ。そうでなければあれほどタイミングよく乱入などできないだろう。
前の2回に介入してこなかった理由は定かではないがあの様子なら今後は監視の目は厳しくなるだろう。
監視されるのはいい気分ではないがリルは少しホッとしていた。
ビルズたちは”何か”を答えることをよしとしないのならば、もしまた催眠魔法をかけられてもあの調子なら阻止してくれるだろう。それはリルが連れて行かれることを阻止してくれることにもなる。
向こうは親切心でやってくれているわけではないが、目的のわからないマオより王命で動いているビルズたちの方が信用できるし少しだけ心強いと思った。
そう考えると少しだけ心が落ち着き、急に眠気が襲ってくる。
そういえば、と不意にあの児童書のことを思い出す。
少女を捕まえる鳥籠のような世界。あれは”マオベリスタ”のことなのだろうか。もしそうだとしたら追跡者と呼ばれるビルズは王の追手でマオは性格は全然違うが王に匹敵するのではないかとおもわれる能力は少年ウィルのようだ。だとしたら少女にあたる存在がどこにいるのだろうか。
ぼんやりとした思考でそんなことを考えているとリルは意識がだんだんと遠のいていくのを感じた。
また昨日と同じ声がリルを呼ぶ声がする。懐かしくそして優しい声だ。そして声は囁く。
“今度こそあなたを―”
そのあとは聞き取れない。ただリルの手を強く握っていた手が静かに離れていくのを感じた。暖かい手のぬくもりが遠のくのがなぜか酷く悲しかった。




