夏休みの現実2
二人は連れ立って自動販売機のある本館の1階にやってきた。飲み物以外にはお握りやパンの自動販売機もあるのがすごくありがたいもので、中学の時も放課後などよく利用したものである。
今は夏休みということもあって、おにぎりに自販機は止まっていて買えるのはパンだけであった。
柚姫がいつも買ういちご蒸しパンと紅茶を買う。今日のお詫びに奢ろうと思ったが楽しかったからといいよと言って断られた。
杏里は自動販売機のボタンを二つ同時に押した。どちらを買うか困ったときはいつもこれである。
杏里は「ニャにが出たかなー?」と大きな瞳を楽しげに細めた。笑うとその容貌は自他ともに認める猫顔である。
昔から周りから猫っぽいといわれて中学2年生の時文化祭でお化け屋敷のネコ娘を担当たことがある。
その時ウケ狙いでナをすべてニャに変えたネコ語を話していた。
それがあまりに似合いすぎていて杏里の持ちネタとして定着し、しばらく友達の間ではネコ語が流行っていた。
もちろんおふざけであるが、度々リクエストされて口癖になっているらしい。たまに思わぬところででてくることがある。
それは美術部に入って間もない頃である。顧問の秋津から頼まれごとをしたときのことである。
柚姫と一緒に声をかけられた杏里が「ニャンですか?」と返事をして秋津が固まったのは記憶に新しい。
聞き間違えるわけもないくらいにはっきりくっきりそう言ったので秋津も面食らっただろう。
隣にいた柚姫も秋津と同じような反応だったと思う。
この時は本人も全く無意識で、言ったことにも気が付いていなかったらしいく不思議そうに首をかしげた。
中学と高校は教員の区別はなくも部活も一貫であるが、秋津に関しては高校の美術しか教えていないので中学から上がったばかりの高校1年生との面識はほとんどない。
さらに言うと杏里と柚姫も中学の時は帰宅部だったので秋津のことは物静かほとんど笑わない先生という人づてに聞いた情報しか知らなかった。
杏里はよくふざけるがあまり面識のない先生にまでふざけたりはしないが、先生にそんなことはわからないだろう。
怒られると思った柚姫は咄嗟にごまかそうとしたが、秋津は特に何も言わず「ちょっと鬼島さんにこれを渡してもらえると助かるんだけどいいかな?」と何事もなかったかのようにプリントを差し出してきた。
柚姫の心境をよそに杏里が快く了承してプリントを受け取ると「言葉遊びもほどほどにね」と言って去っていった。
その口端は少し上がっていてわずかに微笑みをたたえていた。
秋津がどう捉えたのかはわからないが、柚姫は心の広い先生で助かったと思った。これがお局様と呼ばれている学年主任の先生なら「最近の若者は言葉使いがなっていない」などといってお説教を食らうことだろう。
相手がこの先生で良かった柚姫は心から思った。
一応後で秋津の言葉に首をかしげる杏里にこっそりと教えたら、「うわぁ入部早々やっちまったよ!授業中に先生をお母さんっていうくらい恥ずかしくない!?」と一時喚いたあと、最終的には「先生怒ってなかったし、まぁいっか!」と開き直って笑っていた。
そしてその後、鬼島にプリントを届けに行ったついでに杏里が笑い話としてこの話を報告した。すると「なにそれ!秋津先生の微笑みとかレアじゃない!各務ちゃん今度は私がいるところでそれやって!写メとるから!」などと興奮気味に返された。
鬼島が秋津の隠れファンだということがこの時知れた。
その後鬼島の秋津語りを聞きつつ、話は紆余曲折し最後はニャーをなるべく封印しようという結論に至ったのである。
その光景を思い出し柚姫はキーラの突拍子のない言動やマギルダのファンクラブの会員たちのマギルダの写真を持ち寄って熱く語り合っていた光景を想い出す。
どこの世界でも学校というのは似通った部分があるのだろうか。
そんなことを思ってぼんやりしていると、頬にひやりとした感触が伝わり柚姫は首をすくめた。
「こら!また、どっかに飛んでたでしょ?」
杏里がそう言って柚姫の頬から押し当てた冷たいものが離す。しょうがないといった様子眉を寄せて笑う杏里の手にはペットボトルが握られていた。二つ同時押しにした結果出てきたバナナ・オレだった。夏場だと喉が渇きそうな代物だ。
口を尖らせてからかい半分に叱る杏里に柚姫は反射的に「ごめん」といいって苦笑を浮かべた。
心ここにあらずといった様子で物思いにふけるのは柚姫の悪い癖だ。杏里がこうやってたしなめるのは日常茶飯事のことである。
杏里に「柚はすぐどっかに飛んでくから、引き戻してしてあげないとね」と言われたのは何年前のことだっただろうか。
この癖のせいで「私の話つまらないよね」とクラスメイトに悲しい顔をされたことがある。
柚姫はそんなつもりはなかったのでどうにか直そうとして大分ましになったのだが油断しているとすぐに意識が過去に飛ぶ。
それを杏里はそばにいて引き戻してくれるから柚姫はそこにどうにかとどまっていられる。だが、いつまでたっても改善されていないので、たまにこうやってお叱りを受けることもある。
実際叱るというのはポーズであって、杏里は怒っているのではない。幼い頃からともにいる杏里は何か感じることがあるのかの目にはいつも心配の色が浮かんでいる。だから柚姫はいつも「ごめん」と言葉を返す。
だが、理由を話す気にはなれない。杏里も無理やり聞こうとはしない。その好意に甘えているなという自覚はあるので、ちょっと申し訳ないと思いつつ話を変えるために杏里に先ほどの発言について指摘する。
「そう言えば、杏里またニャーって言っていたよ」
「えっ!言ってた?」
「言ってたよ」
驚く杏里に逆に驚く。ふざけているのかも思ったが全くの無意識だったらしい。
しばらく唸りつつ杏里は柚姫を窺う。
「いやぁ、やばいね。癖って怖いわぁ。まぁ柚の前だからいいか?」
「ふふ、お局先生の前では気を付けてね」
そう言ったあとどちらともなく笑い出す。杏里の屈託ない笑顔にエミリアやキーラたちの笑顔を思い出す。あの頃も楽しかった。柚姫はそう思った。
”あの世界”迷い込んだことで過去が鮮明になった影響だろうか。どうしても過去がちらつく。
また少しだけ思考が過去に飛びそうになったが、杏里が「気をつけるニャー!」とふざけたことで、未然に防がれた。
柚姫は「また飛んでる!」と叱られずに済んだことに内心ホッとしながら、杏里のおふざけに笑って涼しい部室へ向かって歩き出すことにした。




