夏休みの現実1
空高くから照りつける太陽の下、柚姫は並木道を全力でかけていた。時刻は11時少し過ぎたところ。
1時間前に柚姫は杏里からの電話を受けて飛び起きたてた。今日は柚姫の所属する美術部の活動日で、同じ部に所属する親友の杏里とは駅前で待ち合わせをしていた。
柚姫は普段遅刻などしたことはないので杏里は随分心配していた。柚姫は謝って、先に言っていいと伝え、大急ぎで半袖ブラウスとジャンパースカートに着替えて顔を洗って髪をとかして家を飛び出した。なにか食べる暇はなかった。
それから電車に揺られ、バスに揺られ、校門までたどり着いて柚姫は一度止まって息を整えた。
柚姫の通っているのは私立聖華女子大学付属高校という古くからある女学校である。長いのでみな短く聖華と呼ぶ。
建物自体は随分古いが修繕工事は幾度か行われているので外装はそれなりに綺麗である。お嬢様学校ではないが立ち居振る舞いに厳しい学校で、門を潜った後は走ることは禁止されている。走っていいのは運動場と体育館と災害時くらいである。例外としては運動部の外周だろう。
教師に見咎められたら、必ず注意を受けるし、それが生徒指導や学年主任の先生なら長いお説教を受けることはまず間違いない。
柚姫は少しだけ早歩きで、校舎本館に向かう。
土足の学校なのでそのまま玄関をとおり、階段を上り2階にある渡り廊下を通って文化部部室が並ぶ部室棟と呼ばれる校舎に足を踏み入れる。
そして3つ目の部屋の前で一度深呼吸をして扉を横にスライドした。
「ごめんなさい!寝坊しました!」
そう言いながら扉を開けると空調によって心地よい空気が流れてくる。眼前には一人を円デカ紅葉に座り膝にクロッキー帳をのせてデッサンをとっている10人ほどの美術部員たちが一斉にこっちを向いた。
「その声、柚!?良かった!先輩動いちゃダメですか!」
そう言ったのは電話で心配していた杏里だった。円の中心で扉から見て後ろ向きにポーズをとっていた杏里は声だけでそう聞いた。
「あら、ダメよ。あと五分は頑張ってちょうだい。相川ちゃんは途中からだから準備だけして待っていて頂戴な。みんな手を動かして!集中集中!」
パンパンと手を叩いてはそう促したのは3年生で部長を勤めている鬼島美晴である。
凛とした声と姿勢の中性的な大人っぽい女性で、性格もさっぱりとしていて下級生女子からの高い人気を誇っている。
鬼島の声でほかの部員たちも止まっていた手を動かす。ちなみにポーズはロダンの『考える人』のようだ。
そのおしりの下には椅子はない。つまるところ空気イスである。
これがあと五分というのはなんの罰ゲームだろうかと思う。嫌な予感しかしない。
柚姫はみんなの後ろでカバンから道具を取り出し、椅子を用意することにした。
少し待って鬼島が「はい、終了。5分休憩!」という。
すると、杏里は前のめりに倒れ、四つん這いで、太ももを抑えてうめき声をあげていた。
あんなポーズを取っていたのだから足への負担は相当なものだっただろう。そんな杏里をよそに鬼島がほほ笑みを浮かべながら柚姫のほうを向いた。
「あと相川ちゃん。とりあえず事故とか病気じゃなくてよかったわ。でも遅刻は遅刻。各務ちゃんは頑張ったから次はあなたよ?素敵なポーズをリクエストしてあげるからね」
素敵な笑顔で軽く死刑宣告された。普通に怒られるのとどちらがいいのだろうか。とりあえず否とは言えない状況だ。
「はい、すみません。頑張ります」
素直にそう答えた後、へばっている杏里を見た。鬼島の話しぶりからして杏里は柚姫を待っていて遅刻したようだ重ね重ね申し訳ない。
後で、お詫びになにか奢るからと杏里に心の中で詫びつつ、覚悟を決めてどんなポーズをリクエストされてもいいように準備運動を始めることにした。
5分の休憩後柚姫が取らされたポーズは予想外に簡単なものだった。簡単であるが代わりに精神的に辛いポーズだった。
片手を頭にもう片手を腰にそして足は内股気味に立つ。いわゆるセクシーポーズというものだ。
鬼島は王道だと言っているが柚姫にはよく分からず、体勢としてはそこまで辛くないはずなのに3年生たちが「もっとフェロモン出して!」とか「意中の男性が目の前にいると思って!」などと言い出してため異常に恥ずかしかった。
普段優等生でこういったいじられ方をしない柚姫だったので余計にそう感じた。
別に3年生はいじめているわけではない。ノリが大変いいだけである。
「はい、ご苦労様。みんな午前の活動はおしまい!午後は個人の活動時間だから、残る人は私に言ってね!秋津先生は昼に顔出すらしからようがある人はその時にね。じゃ、一応解散!」
そう言って鬼島はまた手を叩く。秋津とは顧問のことである。部員はそれぞれ帰る用意をしたりお弁当を出したりし始めた。
「ごくろーさま!いや、柚のセクシーポーズ素晴らしかったよ!」
楽しそうに近寄ってきたのは満面の笑みに杏里だった。
「うう、言わないで。それよりも杏里、足は平気?」
柚姫は苦い顔をしながら杏里の足に視線を移す。まだ若干プルプルとしている。
「あはは、平気!平気!でもまさか空気椅子とか!?私よく5分もいけたね!自分を褒めたいよ!」
杏里は楽しそうに笑った。箸が転がってもおかしい年頃というが、杏里はそれを体現するかのように大抵のことは笑っている。
見たところ足は辛いだろうが杏里にとっては面白さの方が優っているのだろう。
「あら、そんなに気に入ったならまた今度も頼もうかしら?」
その声に反応したのはその原因を作った張本人である鬼島だった。だが、杏里も流石にもう一度は嫌だったらしい。はっきり首を横に振った。
「謹んでお断りします!」
「そう、残念だわ。今度やときは推薦にすることにするわ」
「うわ、嫌な予感しかしませんね!」
嫌と言いつつどこか楽しげにそういった杏里に応えるように鬼島も楽しげに笑う。
「ふふ、そんなことないわ、公平にやるわよ?」
楽しそうな会話だが、柚姫としても嫌な予感しかしない。
「それはともかく、ご苦労様、みんな楽しんでたわ。たまにはこう言うおふざけも必要よね。それにしても相川ちゃんが寝坊なんて本当珍しいわね。何かあったの?」
鬼島がそう尋ねてくると杏里も同じことを思ったようで、ふたりして柚姫の方を見た。何かあったといえばあったが、言えるわけもない。
「すみません、本当にただの寝坊です。ちょっと夢見が悪くて」
「あら、それはいやね。一度見ると連日見たりしない?私はそうなのよね。だから嫌な夢見た次の日はリラックスするためによくアロマをたいたりするんだけど。相川ちゃん試してみる?持ってくるわよ?」
柚姫は首を振った。
「いいえ、大丈夫です。もう全然覚えていないので」
「そう?もし必要なら声かけてね」
鬼島はそう言ってそのまま他の3年生の方に呼ばれてその場を離れた。すると杏里が柚姫の
肩に手を載せマッサージするかのように揉見ながらニヤリと笑う。
「寝坊の柚は弁当ないでしょ?自販機行くよね?」
「あ、うん。お弁当作る暇もなかった」
「じゃ、いこ!」
柚姫は杏里に背を押すようにして教室の外に出た。扉を開けた瞬間むわりと湿気を肌に感じた。早く買って部室の戻ってこようと二人は、出来る限り早歩きで廊下を進むことにした。




