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我王愛生の失敗

「遅いな……」

 携帯のディスプレイに表示された二時四二分という数字を見ながら、愛生は呟いた。

 花蓮がトイレだと言って姿を消してから、もう二〇分以上たっている。休日なので、トイレが混んでいるということも考えられる。だからあまり短気になるのはよくないとはわかっているのだが、それでもやはり長いなと愛生は思ってしまうのであった。リナリアも飽きてしまったのか、ベンチに座ったまま足をブラブラさせていた。子供のようで可愛いな、と思い、すぐに本当に子供なのだと気付いた愛生はなんだかおかしくなって笑ってしまった。

 右手はずっと、繋がれたままだ。

 何をするでもなく花蓮を待っていたその時、携帯の着信音がした。千歳が勝手に設定した流行りのものだと言う曲が流れる。ディスプレイには千歳の名前が表示されていた。昨日の今日でなんの用だろうかと思いながら電話に出る。

「もしもし、相変わらず電話やメールの反応は妙に早いですね。女々しい男で何よりですこんにちは」

 と、とんでもなく無礼な挨拶が聞こえた。

「こんにちは千歳。昨日ぶり」

 実は大いに傷ついている心を悟られないように愛生は静かに受け応えた。言うだけ言って満足したのか、千歳もいつもの調子で昨日ぶりですねなどと言っていた。リナリアと一緒に出掛けていることを知られると色々と面倒だと思ったので、愛生はすぐに要件にはいった。何の用で電話したのかと早速聞くと、千歳は特に気分を害した様子もなくすぐに本題へ。

「実はですね。昨日帰ったあと、私なりにリナリアちゃんについて調べたんですよ」

 何かわかったのかと早足で尋ねた。携帯の向こうで千歳が頷くのがわかった。

「ええ、確かにわかりました。何もわからないということがね」

「それって、どういう……」

 その言い回しに愛生は動揺を隠せない。千歳は淡々と事実を述べる。

「そのままの意味ですよ。私が昨日から寝ずに調べた結果、何一つリナリアちゃんに関する情報は得られませんでした。リナリアという名前は偽名臭いですし苗字もわかりませんから、基本は身体的特徴から、今持てるだけの様々な情報から探りをいれましたが、駄目でした。お手上げです。彼女について、私は何も知ることができませんでした」

「でも、それは千歳が自分で調べたんだろう? だったら……」

「何もわからなくて当然かもしれないと」

 自分の言葉の先を千歳が述べた。

「確かに素人同然の調べ方しかできませんが、しかしこの情報過多の時代に素人がここまで調べてもなんの情報も得られないということが、そもそも問題でしょう」

 確かに千歳の言う通り。この時代、一個人について調べようとして何もわからないなんてことは決してない。何もわからないということはつまり、情報が制限されているのだ。意図的にどこかで情報が止められている。そうでもなければ、そんなことはありえない。

 そしてそれはリナリアの置かれた環境の異質さを表している。

 この子は、一体……。

「状況を鑑みるに、おそらくリナリアちゃんはフェーズ7であることを隠蔽されていただけでなく、その存在自体世間的にいないことにさせられていたのではないでしょうか。戸籍を持っているかどうかも怪しいものです。次はその辺りから調べようと思っているのですが――」

 千歳の話を聞いているその時、愛生は瞬間的に体を強張らせた。何者かの複数の視線を感じたのだ。愛生はリナリアの護衛という本来の目的を見失うことはなかった。こうして隣にいる間も、少し離れていた時も、愛生は常に警戒をしていた。周囲に意識を張り巡らせていたのだ。

 だから愛生は気づけた。こちらをじとりと見つめる誰かの視線に。

「ごめん千歳、またあとでかけ直す」

 へ? と似合わない声色で驚いた千歳の声を最後に愛生は携帯を切った。そしてその誰かの視線へ集中する。

 殺気? いや違う、愛生は思考を巡らせる。その複数の視線が殺気ではなく、粗い敵意を含んだ素人のものであることはすぐにわかった。

 素人ということは、リナリアとは関係のない奴らか、、と愛生がそこまで考えたところで、複数の視線が近づいてきた。様子を見ることもなく見つけたからすぐに近づいたといった印象を受けた。やはり素人かと愛生は確信する。

 彼らが近づいてきたところで、リナリアはようやく放たれる視線の向こうの存在に気が付いた。しかし焦った様子も恐怖する様子もない。その視線の向こうにもさして興味がないようで、やはり無表情のままにいた。

 彼らの姿が確認できた。それはもう見ただけで不良、厄介者とわかる風貌の七人組だった。周りの人間たちが緩やかに彼らを避けているのがわかった。ここ最近、わかりやすい奴らと縁があるなと、愛生は肩を落とす。決して喜ばしいことではない。特に今はリナリアの護衛が最優先事項なのだ。その障害になりそうなことは少ない方がいいに決まっている。

 ただ、愛生は不良たちを厄介だと思いつつも、別段怒りを覚えることはなかった。自業自得、自分が起こした不手際だと思っていた。愛生が察するに、彼らはいつか倒してしまった円藤とかいう奴の使いだろう。あの男が不良らの中ではそれなりに立場のある人物だというのは、あの日一緒にいた男の反応を見れば想像できた。そして一緒にいた男のことも、愛生はぶっ飛ばしてしまったことがあるのだ。その時一緒にいた男たちも円藤と何らかの繋がりがあるだろう。不良は群れるケースが多いことを愛生は知っていた。ラボラトリに点在するチームの一つだろうと予想。

 つまり、愛生は既に二度も彼らチームの顔に泥を投げつけたのだ。これはそれに対する報復といったところだ。愛生が実にゆったりと考えている間に七人組はまるで愛生を威圧するかのように取り囲んだ。そうすることで通行人の視線を遮っているのだ。別にそんなことなどしなくても助けなんて中々くるものではないのではないかと、愛生は思った。

「てめぇ、ガオーだな。ちょいと面かせや」

 七人の中で最も身長の高い細見の男が妙に低く聞こえる声で言った。

 名前が知られていることに愛生はちょっとだけ驚いた。調べたのだろうか、暴れるだけが能というわけでもないらしい。

「ちょいとって、どれくらいですか」

 愛生は曖昧な笑みを浮かべながら聞いてみる。細見の男が間髪入れずに答えた。

「本当にちょっとさ。こっから歩いても三〇分かからん」

 まあ、さすがにここではやらないだろう。愛生は予想通りの返答に少しいい気分になった。きっと彼らはこのまま愛生を人気のない場所に連れ込み、気のすむまで暴行を繰り返すのだろう。チームの汚名を晴らすため、何より個人的な恨みのために。それは愛生にとっても都合の良い事だった。こうなった以上、徹底的にやらなければ彼らは何度でも愛生を付け狙うだろう。禍根を残さぬよう、もう関わることが嫌になるように彼らの相手をするのに人気のない場所というのは好都合だった。向こうも人数を揃えて愛生を完全に潰すつもりで場所を選んだのだろうが、それは愛生に全力を出せる機会を与えたようなものだった。リナリアのこともある。向こうが本気ならばこちらも容赦はしないと、愛生は考えていた。

 しかし問題は花蓮である。彼女を巻き込むわけにはいかない。連絡が取れればいいのだが、愛生はまだ彼女の連絡先を知らなかった。勝手にいなくなるのも、リナリアの服選びを手伝ってくれただけに気がひける。とりあえず彼女が帰ってきたら事情だけ簡単に伝えて先に帰ってもらおう。愛生はそう決めた。

「おい、早く立て」

 不良の一人が愛生を急かす。

「まあ、そう急がずに」

 実に落ち着いた口調で愛生は返す。いいから早く行くぞ、と不良たちが次々に怒号をあげる。愛生はあまり騒がしいのは好きでなかった。

「早く来なけりゃ、今ここでボコる」

 きっと脅しだったのだろう。しかし脅されたはずの愛生は首を傾げてしまった、何を言っているのだという顔だ。

「こんなところで始めれば、あんたらだって困るんじゃないんですか?」

 不良はだれ一人言い返すことなく黙った。愛生はこれをチャンスだと見た。愛生は畳み掛ける。

「大体、あんたら七人で僕に勝てるんですか? わざわざ七人も連れて迎えを寄こして、その上別の場所まで行くってことは、僕は七人集めなければ連れてくることも難しく、潰すためにはそれ以上の人数が必要だと、あんたらのお仲間が判断したってことになりますよね」

 愛生の問いに不良らは何も言わずに口をつぐみ、黙っていた。しめた、とそう感じた愛生はもうひと押し。

「別に逃げようってわけじゃない。あんたらの恨みも怒りも全部僕が買います。だからもう少し待ってくださいよ。友達を待っているんだ」

 ここまで言えば彼らは従わざるを得ないだろう。愛生が若干の優越感を感じ始めた時、突然不良の一人が笑い出した。それに釣られ、連鎖するように全員が笑いだす。それはまるで愛生に向けられた嘲笑のようで……。だから愛生はすぐに気づいた。彼らは何も言い返せずに黙っていたのではなく、ただ笑いを堪えていたんだということに。

「随分余裕だが、ガオー。お前はこれを見ても同じことが言えるのか?」

 一人が携帯の画面にある一枚の写真を表示させ、愛生に突きつけた。その写真には数人の人物が写っており、真ん中の女の子に愛生は見覚えがあった。

 それは花蓮だった。今にも泣きだしそうな、助けを乞うような顔をした花蓮が背の高い男たちに両腕を掴まれているシーン。穏やかな雰囲気ではない。男たちの風貌はとてもわかりやすいそれで、一目で彼らの仲間だというのがわかった。たったのワンシーンでしかないが、それだけで愛生は状況を理解できた。嫌が応にも突きつけられた。

「花蓮ちゃんに何をした!」

 途端に目の色を変えて激昂した愛生は勢いよく立ち上がり叫んだ。

 その際にリナリアと繋いでいた手が離れてしまったが、それに気づいていたのはそのリナリアだけだった。

「花蓮ちゃんだってよ」

「ぎゃははは」

 馬鹿にしたかのような彼らの態度が愛生の神経を逆なでする。

「答えろ!」

 もう一度叫ぶ。まあそう慌てるなと、細見の男が言う。

「安心しろ、お前の彼女は無事だよ。今からお前も行くところにこいつもいる。……お前が来なければ、とかありきたりな台詞は言いたくねぇ。これ以上は言わなくてもわかるだろう……?」

 愛生は悔しそうに口を結び、ゆっくりと首を縦に振った。

「それでいい。逃げる逃げないじゃないんだよ、ガオー。お前は俺たちについてこなくちゃいけないのさ」

 男たちの下卑た笑い声。

 愛生はただしまったと、自分の愚かさを悔やむだけだった。

++++++++++

  失敗した。失敗した。

 不良たちに囲まれたまま、彼らの指定する場所へ向かう中、愛生は己の不甲斐なさを責め続けていた。

 リナリアにばかり気を取られていた。もちろんリナリアを守ることが第一なので、それは構わないのだが、しかし少しは花蓮や先日の不良との件も考えるべきだったのだ。

 あの時、愛生は確かに花蓮を助けたが、それは一時的なものであり、むしろそれによって花蓮を巻き込んでしまった。もっともっとドロドロとした怨恨の渦の中に彼女を引っ張ってきてしまったのだ。もっといいやり方もあったはずだという千歳の言葉が今更になって愛生に突き刺さった。

 全て自分の短絡さが招いた結果だ。

 愛生は大きく息を吐いた。駄目なものを体から追い出すように、深呼吸。

「よし……」

 誰にも聞こえないように小さく一言。そうして、愛生はスイッチを切り替えた。悩んでいても仕方ない。頭を抱えるだけなら誰にもできる。大事なのは次に何をするかだ。

 愛生は自分の右手を握っているリナリアを一度見る。まず問題は彼女をどうするかだ。できることならば彼女を危険のある場所に置きたくはない。釘を刺された直後ということで非常に気が進まないが、千歳に連絡すれば後の長ったるしい説教を条件にいくらでも協力してくれるだろう。とりあえずリナリアを預かっていてもらえばそれだけでかなりやりやすくなるはずだ。しかし不良たちは電話をすることを許してはくれなかった。当たり前といえば当たり前だ。愛生ならば力づくで電話をすることは簡単だが、花蓮が彼らの手中にいる以上下手なことはできない。

 今の愛生にできることはかなり限られていた。あの大量の荷物をコインロッカーに預けることを許してもらえただけでもよかったのかもしれない。

 仕方なく愛生はまた自分を責め続ける作業に戻るのであった。


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