フェーズ7
愛生へ。この子を守れ。帝より。
女の子と一緒にダンボールに入っていた手紙にはそうとだけ書かれていた。
帝と言う名前を聞いて、愛生は色々と合点がいった。愛生の知るかぎり、小さな女の子を宅配便で送りつけるような人物は帝を除いて他にいない。それは普段から帝がそういう行いをしているからではなく、あの人なら何をしてもおかしくはないと愛生は思っているのだ。事実この女の子はやはり帝からの贈り物らしい。
早速頭痛を覚えた愛生だが、落ち込んでいても仕方ない。まずは現状を正しく認識することだ。
愛生は送られてきた女の子に視線を移す。彼女はソファの上で膝を抱えて座っていた。
「えっと、とりあえず君の名前を教えてくれるかな?」
なるべく優しい響きになるように愛生は少女に話しかけた。少女はゆっくりと首を愛生の方へ向ける。彼女の視線は愛生に向けられていたが、しかし彼女の目は愛生を見ていないようだった。見てはいるけど視てはいない。ただ向けられているだけのような、その不可思議な視線に愛生はたじろいだ。
目は口ほどに物を言うと言うが、だとしたらこの子の目は何も言っていないようだったのだ。
「……リナリア」
消え入りそうな声で少女は言った。その小さな声で愛生は現実に引き戻されたような気分になった。
「リナリア……?」
外国人だったのだろうか。そうは見えなかたっが、日系なのかもしれないと愛生は理解。
「リナリアちゃんって言うの?」
「ちゃんはいらない」
「ああ、ごめんね。それで、フルネーム、全部の名前教えてくれると助かるんだけど」
「ないよ。リナリアはリナリア」
ない? と愛生は首を傾げた。それはつまり言いたくないと言うことだろうか。理由を問いただす前にリナリアはそっぽを向いてしまったので、愛生はこれ以上の追及は無理だと判断した。無理矢理聞き出すこともできなくはないが、それは愛生の好みではなかった。
それじゃあ、と愛生は話題を変えた。
「リナリアは帝さんとはどういう関係なの?」
リナリアは助けてもらった、とそっぽを向いたまま答えた。
「帝に助けてもらって、ここに送られた」
「宅配便で、ね」
愛生はついに胃まで痛くなってきた。やはりこうして冷静に考えてみると、女の子を宅配便で送るというのはかなり常軌を逸している。だからこそ帝の犯行であると言えばそうなのだが、愛生としては自分の身内に少女を宅配便で送る鬼畜がいてほしくなかった。
「疑ってる」
帝さんでなければいいのに。そんな風に思っていたことを悟られたのか、リナリアはそう言った。そんなことはないと釈明しようとする間もなく、リナリアは自分のワンピースの中に手を突っ込み、折り畳み式のナイフを取り出した。一体どこに隠していたのかと思うと同時に、愛生は大きな衝撃を受けた。そのナイフは紛れもなく、帝の持ち物だったからだ。
「これを見せれば信じるって、帝が言ってた」
確かにそれは帝の持ち物である。証拠と言うには申し分ない逸品だ。だが何も愛生は本当に帝が少女を宅配便で送ったんだという事実に驚いていたわけではなく、帝がリナリアに証拠になるからと言って渡したものが、そのナイフだったことに驚いていたのだ。
愛生にはよくわからないが、それはかの名工が帝のためだけに作ったいう一本であり、帝はいつもそれを持ち歩いていた。そのわりには使ったところを見たことはないので、多分お守りのような意味合いでもあったのだろう。なんにせよ、その一本のナイフが帝にとってはかなり重要な、易々と手放しはしないものなのだ。帝はそれをリナリアに持たせた。それはこの女の子を狭いダンボールに詰め込んだのが自分であるという証拠でもあり、この件が重要な意味をもったものだということを示していた。
帝は何も遊びで彼女を守れといったわけではないとわかると、愛生は少し安堵した。何もわからないよりは、重要だということがわかっていればそれでいい。問題は、何故この子を守ることが重要なのか。そして守らなければならないと言うことは、この子は誰かに狙われているということである。
「ねぇ、リナリアはどうして帝さんに助けてもらったのかな」
まずこの子が誰に狙われているのかを知ろうと思い、リナリアに訊いてみたが、リナリアは何も答えず黙ってしまった。話したくないということなのだろうか。どうやら元々口数の多い子供ではないようだし、これは一筋縄ではいかないなぁと愛生は苦笑い。
話したくないことを無理に聞けるほど、愛生は押しの強い人間ではないので、まずはこの子が話しやすい雰囲気を作ることにした。端的に言えば、この子と仲良くなろうということだ。大人の小賢しさを利用しているようで気がひけるが、これも彼女を守るためだと愛生は割り切り、とりあえず適当な話題を振ってみることにした。
「えーっと、多分リナリアも知っているだろうけど、ここは超能力者の街で、だから僕も超能力者なんだけど、もしかしてリナリアも何かの能力者だったりするのかな?」
愛生の何気ない質問。それにリナリアは予想以上に反応した。そっぽを向いていた首をぐりんっと勢いよく愛生に向けた。物言わぬその視線が、何故か愛生を非難しているように見えた。
愛生も若干異端ではあるが超能力者の端くれなので、もしリナリアが超能力者であればその共通点から仲良くなれるのではないかと思っていたのだが、外してしまったのだろうか。帝がわざわざラボラトリに住む自分の所にこの子を送ってきたということは、リナリアを取り巻く事情は超能力絡みだと踏んでのことでもあった。今の時代、超能力に関係した揉め事は事欠かない。その一端だという予想は違ったのか。もしかしたら超能力者だという不名誉な疑いをかけられ、気分を害してしまったのかもしれない。これでは仲良くなるどころか逆効果だ。
子供の相手に慣れていない愛生は必要以上に動揺し、早くこの失点を取り戻さなければと焦った。が、愛生が何か行動を起こす前にリナリアは視線をそのままに呟いた。
「自己回復」
「え?」
「自己回復。能力の名前」
数秒遅れて、愛生はリナリアの言葉の意味を理解した。つまり、今彼女は自分の能力の名前を教えてくれたのだ。ということはやはり彼女は能力者だったようだと愛生は自分の予想が当たったことに喜びながら、その一方で首を捻っていた。そうだというのなら、彼女のあの責めるような視線は一体なんなんだろう。責めるようなとは言っても、彼女の目が何も語らないのはその通りであり、だからあの視線も愛生にそう見えただけのことでしかないのかもしれないが。しかしそれでも愛生は何か言い知れぬ違和感を捨てずにはいられなかった。
もの言わぬ視線が何も言わないままに自分を責めた理由を愛生は知りたがっていた。
だがそんな疑問も次にリナリアが発した言葉に吹き飛ばされることになる。
「フェーズ7の自己回復……」
「……えっ?」
愛生はあんぐりと口を開けて固まってしまう。それほど愛生にとって、超能力者にとってフェーズ7という言葉は衝撃的だった。
「どうしたの?」
自分が放った言葉の意味を理解してないのか、リナリアは不思議そうに首を傾げる。なんとか絞り出した声で愛生はそれはおかしいと反論する。
「おかしいよ。だってフェーズ7だなんて、そんな。……リナリア、歳はいくつなの?」
「九歳」
「九歳。ってことは第二十世代か。やっぱりおかしいよ。二〇世代にフェーズ7がいるなんて話、僕は聞いたことはない」
愛生は再びそれはおかしいと主張するが、ナギサは愛生とは思いもよらぬところで首を傾げていた。
「二〇世代って、何?」
リナリアの疑問に愛生は驚いた。それを知らない超能力者がいることが愛生は思いもよらなかったのだ。普通にしていれば小学の入学時、あるいはもっと前に誰かから教わる事のはずである。愛生はぼんやりと、この子の立場が見えてきたような気がした。
きっと知らない理由を追及しても仕方ないだろうと愛生は考え、素直に聞かれたことを答えた。
世代というのは超能力者に与えられた一種の区分だった。二九年前に初めて生まれた超能力者達を第一世代とし、次の年の超能力者を第二世代、三世代、四世代と続けていき、年ごとに超能力者を区分けして管理やその他お役所仕事をやりやすくしようという政府の発案によって生まれた名称だった。初めは日本で始まったものだったが、いつのまにか世界各国まで真似し始め、今では殆ど世界共通の概念となっている。
その辺りのことを端的に説明してやった。子供には少し難しい話だったかと思ったが、リナリアは一度で全てを理解して、なら帝さんは第四世代だねと言って愛生を驚かせた。ためしに愛生が自分が一七歳であることを告げると、一三世代であることをすぐに見抜いてしまった。算数は得意なようだ。
「日本には六人のフェーズ7がいるけれど、その中に二十世代の女の子がいるなんて話は聞いたことはないよ。最年少でも僕と一つ二つしか違わなかったはずだ」
愛生はそう言うが、リナリアは首を傾げてしまう。理解が及ばないというよりは、そんなことを言われても仕方ないと言っているようだっだ。
「そもそもリナリアは、フェーズっていうのがどういうものなのかわかってる?」
リナリアは頷く。さすがに何もわからずにフェーズ7と言っているわけではなさそうだ。
「念のために確認するけど、フェーズっていうのは能力者の力の段階のこと。つまりどれだけ大きな力を出せるかのレベルのようなものなんだ。フェーズが高ければ高いほど力は強く、能力者として貴重な存在となる」
「だから、知ってる」
一々説明する必要はないと、リナリアは一言で告げる。ならばと愛生は本筋に入る。
「今現在、日本における超能力者人口は約三千万人。その中でフェーズ7はたったの六人。三千万分の六だ。これが凄い割合だってことはリナリアならわかるだろう?」
三千万人もいる超能力者の中でフェーズ7はたったの六人。要するにフェーズ7という存在はそれだけ希少なものなのだ。だからこそ、フェーズ7が生まれたなんてことになれば日本中が大騒ぎになるはずだ。七人目のフェーズ7誕生! という新聞の見出しが愛生には容易に想像できた。それを受けて飛び交う様々な意見もだ。
でも、とリナリアは呟く。
「帝さんも、フェーズ7だよ」
「いや、まあそうなんだけど……」
愛生は口ごもる。
確かにその通りだった。愛生の知る帝という女性は日本に六人しかいないフェーズ7の一人。それも世界最強の能力者とまでいわれるとんでもない人物だった。冗談抜きで彼女の存在は日本の国力を強固なものにしたのだ。だからこそ愛生はリナリアの言うことを信じられなかった。帝のような存在がそう何人も自分の周りに存在するはずがないのだ。彼女と知り合えたことでさえ、愛生にとっては奇跡のようなものである。
「あー、あの人といたなら、そりゃ感覚も狂ってしまうだろうけど……それでもフェーズ7っていうのはとんでもない存在なんだ。僕みたいなのがそうそう簡単に知り合うことができるとは思えない。だから君がフェーズ7であることを僕は信じることはできないよ」
せめて、能力測定の結果表でもあれば確認は容易なのだが、この子が何か持ち物を持っているは思えなかった。本当に身一つでダンボールに詰められていたのである。
ああ、いや。帝さんのナイフを持っていたのだっけ。と改めてナイフの存在を再認識すると、リナリアは折り畳み式のナイフを開き刃をあらわにさせた。
「帝の嘘吐き。あいつは馬鹿だからすぐ信じるって言ったのに」
「僕の知らないところで僕が馬鹿にされてたような気がしたんだけど……」
「……全然信じてくれない」
いじけているのか、リナリアは刀身の刃のない部分に指を這わせて行ったり来たりさせていた。危ないよと注意するべきだろうか。しかし子供の相手をしたことなどない愛生は注意の仕方がわからないかった。なんにせよ危ないことは危ないので、どうせ帝さんの物だしいっそ取り上げてしまおうかと愛生が考えていた時。
「やっぱり見せた方が早いよ、ね」
リナリアは小さく呟くと、ナイフを逆手に持った。そしてそれをまるで自分に向けるようにして振りかぶった。
リナリアの能力は自己回復だという。それだけで、愛生には彼女が何をしようとしているのかわかってしまった。
「――――やめっ……!」
愛生が叫んだ時にはもう遅い。
長らく帝が愛用していた無骨な刃は幼い幼女の腹部にいとも簡単に突き刺さった。突き刺さったナイフを一度捻り、内臓をかき回すようにリナリアは自分でぐりぐりと動かした。その顔に苦痛はない。まるで痛みなんて感じていないのか、彼女は何も変わらない顔で自分のお腹を傷つけていく。
ぐちゃぐちゃと、内臓をかき回す。
「馬鹿野郎!」
愛生はリナリアから無理矢理ナイフを奪い取りそのお腹から引っこ抜いた。興奮したせいか乱暴な手つきだったが、このまま内臓を無作為にかき乱すよりは数倍マシだろう。
次の瞬間、愛生は目を疑う光景を目撃した。
傷が治っていく。リナリアの薄い体に刻まれた深い傷がまるで映画の逆再生のごとく治っていく。驚くのはそのスピードだった。愛生が治っていくと認識した次の瞬間にはもう治ってしまっていたのだ。すでに彼女のお腹には傷痕すら残っていない。それだけじゃない、そもそもリナリアが自らナイフを突き立て内臓までも傷つけていた時も、彼女のお腹からは血の一滴も出ていなかったのだ。ナイフにべっとりとついていたはずの血もいつの間にか跡形も無くなくなってしまっていた。
まるで最初から何もなかったかのように、無傷の幼女と潔白なナイフだけが残された。
++++++++++
一旦状況を整理しよう。洗面所の鏡の前で愛生は一人呟いた。
「まず最初に帝さんがリナリアを送ってきた。……その、宅配便で」
これに関しては紛れもない事実と言っていいだろう。帝のとんでも行動はいつものことだし、リナリアが持っていたナイフが何よりの証拠だ。愛生はリナリアから取り上げた帝のナイフを見つめる。汚れのない、見事な刀身は先程あった惨劇が嘘であったと告げてくるようだ。
「次に、宅配便には一緒に帝さんからの手紙が入っていた。帝さんは僕にリナリアを守れという」
あの手紙は確かに帝の筆跡だった。愛生は帝からリナリアを守れと言われたのだ。何から守ればいいのかはわからない。誰に狙われているのか、何故狙われているのか、リナリアはそれを話したがらない。話したくないことを無理に聞き出そうとは愛生には思えなかった。
「……そして、リナリアはフェーズ7の超能力者だった」
信じがたいことだが、これもまた疑いようのない真実だった。アレを見てしまっては愛生は認めざるを得ない。リナリアは間違いなくフェーズ7のリカバリーだ。
愛生はラボラトリに住む人間として、超能力に関してはそれなりの知識を持っている。ラボラトリの教育課程には能力学と呼ばれる超能力に関する科目があり、それは昼間行われていた能力測定、自分の能力の強さや理解を見る実技と、超能力全般の知識を問う筆記の二つに分けられる。その筆記に置いて、愛生は自己回復という超能力について学んだことがある。
自己回復と呼ばれる能力は自身の自己治癒力を高める能力のことだ。この能力は大抵常時発動型であり、単なる外傷だけでなく、ウイルスや病気にまでも働くことから一般の人間の治療に使えないかとラボラトリでは研究対象としてかなり重宝される能力である。しかし、どれだけ外傷や病気に反応しようと、それはあくまで自己治癒力の範囲内の話であり、死ににくい能力であって死なない能力ではないのだ。致命傷を一瞬で回復するだけの力は自己回復にはないはずだ。しかしそれもリナリアがフェーズ7であるならば話は別だ。
フェーズ7はフェーズ6を超える最高位能力。フェーズ6の上に位置するものではあるが、実際フェーズ7はフェーズ6の上位互換だけでは収まらない存在でもある。能力の強さというのはフェーズが一段階上がるごとに順当に強くなっていくものだが、フェーズ7だけは別だ。フェーズ7はあくまで6より強い能力の総称であり、5と6の違いとは全く別物の違いがそこにはある。それこそ天と地の差、フェーズ6と7にはどうしようもなくひらいた差があるのだ。帝という人物を通して、愛生はそれをよく知っていた。
だからこそ、リナリアの能力がフェーズ7であることは事実だと、愛生は認めざるを得ない。ナイフが腹部に刺さる。そんな誤魔化しようのない致命傷をあの一瞬で綺麗さっぱり治癒してしまったリナリアの能力は間違いなくフェーズ7に当たる能力だ。
「そう、それは間違いない。リナリアはフェーズ7だ……だけど、」
だけど、あれではまるで不死身の能力ではないか。
愛生は喉まで出かかった言葉をすんでの所で飲み込んだ。これ以上は言っても仕方のないことだ。無表情で自分の腸をかき回していた彼女の姿が脳裏に浮かんだ。もしかしたら、彼女にはそもそも痛覚がないのかもしれない。そんなことを考えつつ、愛生は洗面所を出る。居間のソファにはリナリアが膝を抱えて座っていた。彼女は戻ってきた愛生に視線を移す。
その目はじっと愛生を見つめていて――だからこそ、何も見ていないようでもあった。
「リナリア」
小さく彼女の名前を呼び、愛生は彼女に近寄り、目線を合わせるようにして膝をついた。
「……正直、僕はこの状況をよくわかっていない。何から守ればいいのか、何と戦えばいいのか、それが僕にはわからない」
だけど、約束するよ。愛生は何も見ていない彼女の目を見つめて言った。
「帝さんが君を守れと言うのなら、僕は君を全力で守ろう。何から守ればいいのかわからないのなら、君を傷つける全てから君を守ると約束しよう」
少し臭いセリフのような気もしたが、事情が事情なのでこれくらい大仰に言うのがいいだろう。しかし、返事すら返さないリナリアの様子を見見ると、どうも外したような気もしてきた。急に恥ずかしくなってきた愛生は苦笑する。
「ま、とにかくよろしくね」
我ながら締まらないなぁと思う反面、こっちの方が自分にあっているように愛生には思えた。
リナリアは何も言わなかった。