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落ちこぼれと灰かぶり

 この街には弱肉強食という言葉がよく似合う、と愛生は思う。

 どこであろうと世界というものは大抵そうなってはいるが、この街はとくにそういう傾向が強いのだと愛生は考えていた。

弱肉強食。

 自分はきっと食われる側だ。

 愛生は自分の通う高校、その校庭、そこに集まる生徒たちを見ながらぼんやりとしていた。頭の中は絶えず弱い自分についての思考が続いていたが、その横顔は何かを考えているとは思えないほど気迫を欠如していた。鋭さを微塵も持たない丸い瞳は眠たそうに開いたり閉じたりを繰り返している。

 校庭で一人の生徒が正面に手をかざした。すると、生徒の手から赤い火が噴きだした。別の生徒が同じように手をかざすといくつかの光球が円を描くようにくるくると回転しながらその生徒の周りを回った。少し離れた場所では別の生徒がふっと突然姿を消し、次の瞬間には数メートル先に現れるということを繰り返していた。

 まるでセンスのない手品のような光景だが、これはそんなものではなかった。そんな幻想マジックではないまごうことなき現実、リアルだ。

 この世には、超能力というものがある。あの生徒たちが扱うのはそういう類の力だった。

「あれ? 我王くん」

 不意に後ろから声がした。振り返ると、そこにいたのは愛生のクラスメートの女子だった。彼女は不思議そうに愛生を見つめている。

「どうして教室にいるの? 能力測定はどうしたの?」

 終わったんだ、と愛生は言った。

「他の子たちと違って、僕には校庭でみんなの前で披露するほどの力がないんだよ」

「あ、ああ。そういえば我王くんって、そうだったね」

 彼女は自分の素朴な疑問が酷く残酷なものだと気付いたのか、バツが悪そうに目を伏せた。気にしてないとでも言うように、愛生はすかさず彼女に質問を投げた。

「結城さんのほうこそどうしたの? 精神感応系の能力者は体育館集合だったよね」

「いや、あの。ほら、測定は名前の順だから、私の番は随分先なの。待っている間緊張して喉が渇いたからジュースを買おうと思って、財布を取りにきたんだ」

 言いながら、彼女は自分のロッカーから財布を取り出すと、急いで教室を後にしようとした。そんな彼女の背中に愛生は声をかけた。

「測定、いい結果が出るといいね」

 彼女は一度立ち止まり、少し嬉しそうな顔をした。

「我王くんも、頑張ってね」

 それだけ言って、彼女は走っていった。

 頑張って、か……。

 再び一人だけになった教室で愛生は呟いた。それもまた残酷な言葉だな、と。

 この落ちこぼれに、一体何を頑張れというのだろう。

++++++++++

 世界には超能力というものが存在していた。

 超能力。それは人の身に余る力のことだ。手を触れずに物を動かす。伏せられたトランプの絵柄を完璧に答えることができる。火を吹いたり、空を飛んだり、そんな常識を覆すようなことを平気で可能にするのが超能力だった。

 そんな型破りな力だが、遥か昔から存在していたわけではない。むしろつい最近、今から二九年前に突如として現れたのだ。それも当時そこにいた誰かに突然超能力が芽生えたのではなく、二九年前、その年に生まれた赤ん坊に超能力が宿っていたのだ。しかも一人や二人ではない。生まれも性別も身体的特徴も遺伝的形質も何も関係なく、本当に完全なる無作為な選択により実にその年に生まれた赤ん坊の三分の一が超能力を持って生まれてきたのだ。その次の年も、次の年も超能力を持った赤ん坊は生まれ続けた。今現在に至るまで。

 何もこれは日本だけに限った話ではない。まるで狙いすましたかのようにきっかりと、最初からそう決められていたかのごとく世界中でその年を境に超能力者がこの世に生まれ落ちるようになったのだ。

 何故、超能力者が生まれるようになったのか、何故、二九年前だったのか。それらの疑問は全て謎のままだった。何か大きな災害の予兆だと騒ぎ立てる宗教団体はいくつか現れたが、そんな科学的根拠のない戯言などよりも、人々の当面の問題は超能力者をどうするかだった。

 手を触れずに人を殺せるような人間で、世の中溢れかえってしまったのだ。事実、超能力者による犯罪は増加の一途をたどっていた。そんな中政府が提唱したのが、後にカルマ計画と呼ばれることとなる一連の政策だった。

 政策の内容を簡単に言えば、超能力者は二〇になるまで政府が指定した特別区域、一般にラボラトリと呼ばれる区域に住まうことを義務付けるというもの。これにより超能力者を一か所に集め、超能力を不正に使用してはならないという徹底的な道徳教育。そして、現時点であまりに不可解な超能力という力の研究も合わせて行おうとしたのだ。道徳教育が意味を成しているかはわからないが、少なくとも超能力の研究や管理と言う意味で超能力者を一か所に詰め込むのは正解だった。超能力犯罪は減少しつつある。

 確かな歪みを抱えながらも、世界は平和を保っていた。

++++++++++

 政府が超能力者を集めるために指定した特別区域。通称ラボラトリ。高校二年、一七歳である愛生はラボラトリに住んでいた。つまり、彼もまた超能力者。

月に一度の能力測定を終え、いつもと変わらぬ数値に落胆しながら、愛生は駅前に足を運んだ。駅前の何を模したのかわからない形をした銅像の前に立ち、コンビニで買った新聞を広げた。

 正義は必ず勝つ。

 そんな言葉を自分はいつから信じなくなってしまったのだろう、と愛生は広げた新聞の見出しを眼で追いながら考えた。

 今の時代、まるで悪の方が強いのではないか。それはこの新聞を見るだけでも一目両全であった。万引きを摘発された復讐と称し、スーパーのパートと店長を殺傷した主婦。パチンコで負けて大損したと言って、隣の台で打っていた無関係の女性の顔を殴打し歪ませた無職の中年。少年グループが公園に小型の爆弾を仕掛けて回っていた事件など、負傷者は合計十人を超えていて、その半数以上がまだ幼い子供だったというのだから驚きだ。聞くと、爆弾の作り方はネットで調べたらしい。少年たちに反省の色はなく、次はもっと大きな爆弾を作るんだと、取り調べをした警察官に自慢げに語ったらしい。超能力犯罪の危険性を提唱する人間は多いが、超能力などなくてもこうして事件は起こっている。その記事は専門家による情報化社会に警報を鳴らすような意見で締めくくられていたが、明らかにおかしいのは人間の方だろうというのが愛生の感想だった。

 その存在を主張するかのごとく新聞の紙幅を消費する凶悪事件の数々はまるで悪の優勢を見せつけるようで、愛生は少しげんなりした。それでも、こうして毎日新聞を読むのはどうしてだろうか、もしかしたら自分は心の中では正義が必ず勝つと信じているのかもしれない。いつか正義の味方が颯爽と現れ、世の中の悪を退治してくれるという夢見がちな妄想を繰り広げているのかもしれない。

 馬鹿馬鹿しい、と愛生は吐き捨てる。

 正義は悪には勝てない、世の中はそういう風にできているのだ。弱肉強食、悪は正義よりも強いのだから、それは当然のことなのだ。

 それでも、ふと新聞の端っこに小さな記事で書かれていた、夜道に現れる強姦魔を退治してみせた元柔道家の話を見て少し安心したような気分になっているのだから、自分も中々未練ったらしいなと愛生は苦笑した。

「何をにやにやしているのですか、気持ち悪い」

 すると、横合いから突然暴言をかけられた。

「好きなアニメが新聞の一面を飾ったオタクみたいな顔してましたよ。つまり酷く気持ち悪かったです」

 愛生は新聞を畳んで腋に抱えた。声の聞こえた方を向かなかったが、その暴言を投げかけたのが誰かはすぐにわかった。

「酷いのはお前だよ」

 言いながら、愛生は声の方を向いた。そこにいたのは、愛生と同じくらいの身長をした女子にしては背の高い少女だった。ウェーブした肩にかからない程度の長さの黒髪をした、すっとした顔立ち。縁の大きな黒い眼鏡をかけているせいか、少し野暮ったくも見えるが、しかしよく見てみると彼女は結構な美人である。いい意味で可愛いという言葉の似あわない少女だった。

 彼女の名前は桜庭千歳さくらばちとせ。五月女女学院に通う高校二年生だ。

「酷いのはあなたの顔だと思いますが?」

 大の大人でも卒倒しかねない罵詈雑言を平気な顔で彼女は吐く。愛生は千歳なりの挨拶だと思っている。幼い頃からこれなので、彼にしてみれば慣れたものだった。

 愛生と千歳は幼なじみだった。

「少し待たせてしまったようですね、ごめんなさい」

 先程の暴言などなかったかのように千歳は素直に申し訳なさそうな顔をした。その顔の使い所は絶対に間違えていると、愛生は思う。思うだけで、言わないが。

「いいや、僕もさっき来たばかりだよ」

 本当は三〇分ほど待ちぼうけだったが、愛生はさらりと嘘を吐いた。待ちくたびれたと文句を言うのは簡単だが、それはしない。女には優しく、と愛生はある人物から叩き込まれているのだ。それでなくとも、普段大人しすぎるのではないかと心配されるほどの愛生に、たかが待たされた程度のことで文句を言うことはできるはずもなかった。

 愛生の目には活力がない。

「今日もまた、同じ?」

 そう聞くと、千歳は頷いた。変更はなし、いつも通り。

 それじゃあ、と言って愛生は歩き出した。その隣を彼女が歩く。

「ああ、それと千歳。今度から待ち合わせは駅前じゃないとこにしないか?」

 藪から棒な愛生の提案に千歳は首を傾げた。

「駅前だと、何か不都合が?」

「目立つんだよ、千歳は」

 千歳の通う五月女女学院はラボラトリでも屈指の有名校である。愛生の通う直塚高校が平凡極まりない中堅校なら、五月女女学院はエリート校。それも女学院という名の通り、男子禁制の女子校だった。それも生徒のみならず教師までもが全員女性で構成されているという徹底ぶり。他校の男子からは半分本気で秘密の花園だなどと呼ばれている。

 ラボラトリに住まう人間なら、五月女の名を知らぬ者はいないし、その中の半分以上は制服だって知っているだろう。だから制服姿の千歳はそれだけで五月女の生徒だというのがわかってしまう。さらに駅前となれば人目にも付きやすい。人を隠すなら人の中というが、この雑踏はむしろ逆効果だった。

 そして、五月女の生徒が地元の高校レベルの知名度しかない直塚の生徒といるのだから、更に目立つ。変な噂も立ちかねない。愛生と千歳は別に男女の仲というわけでもないのだ。あくまでただの幼なじみだ。

「駅前でもいいけど、そういう場合は着替えてきてくれ。知り合いに見られたら釈明も面倒だ」

「噂をされることを危惧しての発言だとはわかりますが、しかし男女の組み合わせを見てその程度の低俗な発想しか出てこない人たちの言うことなんて無視すればいいんです」

「その器の大きさが羨ましいよ……」

 噂もそうだが、日常に波風が立つことをとにかく嫌う愛生にしてみれば、千歳の堂々とした振る舞いには驚かされることが多かった。そして同時に尊敬も覚える。

「ですがまあ、どうしても気になると言うのであれば待ち合わせ場所を変えることくらい私は構いませんよ。我儘な幼なじみのために私は快くその提案を呑みましょう」

 今日の千歳は少し上機嫌なようだと、愛生は苦笑いした。

++++++++++

 なるべく人目を避けようと、大通りを外れて歩いた。

 そうして駅から離れると、駅前で感じていた好奇の視線は少なくなっていった。いつでも堂々としている千歳の立ち振る舞いは雑踏の中では目立つが、それ以外ではそうでもないようだった。やっと、愛生も安心できる。

「で、千歳。今日はどこのタイムセールなんだ?」

「スーパー鬼丸で、卵が一パック九八円。お一人様一点限りです」

 超能力を持った子供は例外なくラボラトリに住むことが義務付けられている。ただし子供と一緒にその家族も越してくることは多くない。大抵の子供が親元を離れて一人暮らしをしている。そういう事情もあってか、ラボラトリには一人暮らし用のマンションが多く立ち並ぶ。中には朝夕の食事の出る学生寮もあるが、二人はそういった所ではなく普通のマンションにいた。愛生も千歳も場所は違うがそれぞれ部屋を借りて一人暮らしだった。

 一人暮らしというだけあって、千歳はきちんと自炊をしていた。対する愛生は最初は自炊にもやる気を出していたが一ヶ月と立たずにやめてしまった。今ではコンビニと外食に頼る毎日である。

 そんなわけで愛生はスーパーのタイムセールには無縁だし無用だ。だからこそお一人様一点限りの商品を千歳に譲っても何の問題もない。

 こういったタイムセールが行われる度に愛生は千歳に連れ出されていた。嫌だと思ったことはない。どんな形であれ、幼なじみが自分を頼ってくれることは嬉しい。

 どうせこれくらいしか役に立たないしな、と愛生は少し自虐的に笑った。

 狭い路地を抜け出し、少し広い通りに出ると日が傾きかけていた。駅前ほどではないが、学校帰りの学生たちが多く通りは少しがやがやしていた。千歳と同じ五月女女学院の生徒を見かけたが、どちらも挨拶をしなかったので知り合いではないのだろう。直塚の生徒は見かけなかった。愛生にとっては好都合だった。

 不意に愛生の方が通行人の肩にぶつかる。よそ見をしていたわけではなかったが、言い訳をしても仕方ない。特に怒りを覚えることはなく、むしろ愛生は反射的に頭を下げて謝った。しかし、相手の方は謝りもしなかった。どころか愛生の謝罪を無視して怒鳴り声をあげたのだ。

「てめぇどこ見て歩いてやがる!」

 見るからに素行の悪そうな男は見た目通りの台詞を吐いた。面倒なことになったなぁ、と内心ため息を吐く愛生だが、それは顔には出さない。こういうのは下手に逆らわずにやり過ごすのが賢いやり方。特に今日は千歳も一緒なので、荒事は避けるべきだろう。愛生は無心になってもう一度男に頭を下げようとして、男の顔を見て止まる。どこかで見たような顔……だけどどこで見たのかは覚えていなかった。勘違いかとも思ったが、相手の方も愛生の顔に見覚えがあるようで、怒りに満ちていた顔がみるみる内に青くなっていった。

「お、お前は昨日の……!」

 怯える男の口調で愛生は思い出した。昨日の、不良のうちの一人だったはずだ。

「ああ、昨日の人」

 二人の反応を見て、お知り合いですか? と千歳が興味があるのかないのかわからない語調で尋ねる。返答に困った愛生はとりあえず笑っておいた。男は相手が愛生とわかっただけで、怒りも何もどこかに吹っ飛んでしまったらしく、今すぐにでもここから立ち去ろうとするかのように後ずさる。が、それを男の隣にいた人物が止めた。

「なんだ犬太郎けんたろう。もしかしてこいつがお前らを昨日ボコした奴か」

 犬太郎と呼ばれた男は一応頷いたが、その顔は愛生への恐怖でいっぱいだった。そこまで怖がらなくてもいいのに、と愛生は場違いな苦笑を浮かべた。

「そうです! こいつほんとにヤバいんですよ円藤さん!」

 犬太郎に円藤と呼ばれた男は吟味するかのように目を細めて、愛生をじろじろと見つめる。愛生よりも数段背の高く、体重はさらにありそうな巨漢の男だった。ただ太っているのではなく、元々がたいがよいのだろう。男の体は大きな威圧感を放っていた。気の弱いものなら近づかれるだけで恐怖してしまうだろう。反対に愛生は見るからに大人しそうな男子でしかなかった。体格も痩せ型で、通行人には不良が往来で堂々とカツアゲでもしている風に見えたのかもしれない。次々に野次馬が集まってくる。集まってはくるが、彼らは興味深そうに傍観するだけで誰も助けに出てくるものはいなかった。そんなものだろうと愛生は思った。

 円藤はついに愛生の頭を掴み、ぐいっと自分の頭に近づけてきた。そして、ぎゃはははと下品な声をあげて笑った。

「なんだぁ、ただの真面目くんじゃねぇか。いっちょ前に髪を染めちゃあいるが、それだけだな!」

 馬鹿にするように笑いながら、円藤は愛生の淡い栗色の髪を乱暴にかき回した。

「……これは地毛ですよ。影も色素も薄いんです」

 円藤の手を払いのけながら、せめてもの抵抗とばかりに愛生は言い返す。

「確かに目の色も茶色だな。男のくせにひょろっとしてて、女みてぇな野郎だ!」

 払いのけられた手を今度は愛生の頬に伸ばし、引っ張って見せる。その様子を犬太郎は震えながら見ていた。愛生は怖いが、どうも先輩らしきこの円藤という男にも逆らえないのだろう。不自然なほどに愛生の動きを警戒しているようである。愛生はというと、抵抗してもしょうがないと感じたのか、はたまた抵抗自体が面倒になったのか、既に円藤にされるがままになっていた。

 近くで息を嗅いで見てわかったのだが、この円藤という男はどうも酒を呑んでいるようだった。その風貌を見るに彼らは未成年だろうし、彼らの飲酒は違法だろう。ラボラトリ内では未成年の飲酒や喫煙の監視の目が強い。超能力者という埒外な存在である以上、ルールには必要以上に敏感でなくてはいけないという風潮があるのだ。ただでさえ危険な能力を持っている人間がルールを破ってしまえば秩序が成り立たなくなると。それでも未成年による違法な飲酒が全くないわけじゃない。抑圧されればやってみたくなってしまうのが若者の性であり、そういう輩を相手に小遣い稼ぎを考える若者もいる。普通に買うよりもいくらか高くなってしまうが、未成年が酒を買う方法なんていくらでもあるのだ。

 どんなところだろうと、ルールを破ろうとする者はいるものだ。愛生は彼らの気持ちを全く理解しないわけではないが、利口な行為だとは思わなかった。

 円藤と犬太郎の二人は、そういった違法なものに手を出して、一時的に規則やしがらみから解放されたような気分を味わっていたのだろう。そうして気分は大きくなり、通りに飛び出したところ、昨日後輩がお世話になったらしい人物を見つけ自分の力を誇示するチャンスだとでも思った……そんなところだろか。愛生としてはいい迷惑でしかなかった。

 しかし随分とタイミングが悪いものだと、愛生は思った。ほんの少しでも彼らと出会うタイミングがずれていれば、きっと彼らは巡回中の警察官にでも捕まり然るべき処罰を受けていただろう。その前に出会ってしまったのは不運としか言いようがなかった。

 嫌になりながら、愛生は時計を確認する。そう急ぐほどの時間でもなかったが、愛生の斜め後ろに立っている千歳の機嫌が顔を見なくても悪くなっていくのがわかったので、急ぐことにしよう。あくまで手荒な真似は使わず、穏便に済ませる。それも急いで、だ。思った以上に難易度は高そうだったが、できないことはないだろう。なるべく惨めったらしい笑顔を浮かべて、愛生は 円藤に語りかける。

「あのー、すいません。僕ら、少し急いでるんですよ。だからその……」

「うるせぇ、いいから面ぁかせや」

 これは早く済ませるのは無理かもしれない、と早々に愛生が諦めかけた時だった。カランカランと乾いた音がしたかと思うと、円藤の足元に空き缶が転がってきた。と、同時に小さな子供が円藤の近くにとてとてと寄ってきた。赤いランドセルを背負った小学生の女の子だった。どうやら、落とした空き缶を拾おうとしているようだ。ゴミを落としたままにせずに拾おうとするのは素晴らしいことだが、今回ばかりはそれは間違った行為だった。女の子は空き缶を拾って、立ち上がる。そうして円藤や愛生たちを見上げてようやく自分が何をしたのか理解したらしい。そのまま逃げてくれればよかったのだが、女の子は円藤に睨まれたせいか、怯えてそこから動こうとしない。円藤は軽く舌打ちをしてから、邪魔だと言わんばかりにその太い腕を女の子に向かって振るった。直撃こそしなかったが、自分よりも何倍も大きい体躯をした男の腕がおでこをかすめたのだ。それは相当な勢いだったろうし、何より恐怖からか、「あっ」と短く声をあげて女の子は大きく体勢を崩した。

 その女の子が地面に尻もちをつくのと、愛生の右の拳が円藤の鳩尾にめり込むのはほぼ同じ瞬間だった。

 沢山の観客のいる前で、円藤は声も出さずに崩れ落ちた。口から泡を吹き、完全に失神している。

「あ、やべ」

 突然の出来事に周囲が静まり返る中、素っ頓狂な声を出したのは愛生だった。後ろでは千歳が呆れたようにため息を吐いていた。野次馬たちが何が起こったのかわからず、唖然としている中、ただ一人犬太郎だけはこの状況を理解していたようで、言わんこっちゃないと頭を抱えていた。円藤を助け出そうとはしなかった。下手に近づけば愛生に何かされるかもと警戒しているのかもしれない。当の本人である愛生はどうしたらいいわからず、おろおろと周囲を見渡していた。どうするべきか、と考えを巡らせていると、千歳に腕を掴まれる。

「早く行きましょう。長居は無用です。面倒事に巻き込まれては卵が逃げてしまいます」

 もう十分すぎるほど巻き込まれているように思えたが、愛生が否定も肯定もする間もなく、彼女は愛生の手を引っ張り、野次馬をかき分けていく。そのあまりに大胆な逃亡にその場にいた誰一人口を挟むことはできず、あっという間に二人は商店街を抜け出した。

++++++++++

 やってしまった……。

 スーパー鬼丸からの帰り道。卵や諸々の入ったビニール袋をぶらぶらさせながら、愛生は先のことを思い出して項垂れていた。

「まったくあなたという人は、可愛い顔をして手が出るのは誰よりも早いんですから……」

 隣の千歳はさっきから愛生に説教をしていた。耳が痛いようだが、愛生には不満も反論も浮かばなかった。怒られて当然だと、愛生はそう思っていた。自分の行動は非難されて当たり前のことであると。

「……でも、一応僕はあの女の子のために行動したんだよ」

 自分が悪いとわかっていながらも、言い訳の言葉を並べてしまうのは弱さ故か。それも、心の弱さの。

「あの女の子のことを思うのであれば、もっと正しい行動もあったはずですよ。あなたがやったことは気に入らない相手を暴力でねじ伏せるのと、なんら変わりはありません。誰かのため、あの子のためなんて言葉で責任を他人に押し付けてはだめですよ」

「はい、そうです……千歳の言う通り、悪いのは僕だよ。……ごめん」

 情けなく頭を下げる愛生に千歳は「私に謝ってどうするんですか」と突き放す。こんな風にきちんと叱ってくれる幼なじみがいる自分はきっと幸せ者なのだろうと、愛生は場違いな感想を覚えた。

「大体ですね、あなたはいつだって行動が単純、おまけ突発的すぎるんです。そんなことだから、昨日の中学生の件だって――」

 すいません、と学習しない愛生は再び頭を下げ、下げたあとに千歳の発言に違和感と、その違和感の原因に気づいた。

「僕が単純で馬鹿だってことは認めるけど、どうして千歳が昨日の中学生のことを知っているんだ?」

 昨日のことだった。

 愛生は自宅への帰り道に同じマンションに住む女子中学生が面倒事に巻き込まれている場面に遭遇し、見事助け出して見せたのだ。――と、いうのは愛生が美化した虚実であり。実際は女の子に乱暴をした不良たちにカチンと来て感情任せにぶっ飛ばしてしまったのが現実だ。まさしく今日の件と同じである。

 単純で、突発的。

「身を呈して中学生を助ける学生なんて、そうそういませんよ。それで直塚の生徒ならばあなた以外に誰が浮かぶと言うのです」

 千歳が言うには昨日の件はどこかの誰かに見られていたらしく、直塚の生徒が女子中学生を不良から助けた! という噂がもう随分と広まっているらしい。丸一日立たずに五月女まで情報が行っていることを考えれば、今頃は様々な学校で話題になっているかもしれない。そういえば昼間にクラスメートがそんな話をしていたような気が今更した愛生だったが、話半分どころかほとんど聞き流していたので、真相はわからなかった。

「まいったな……そんな大事になっていたとは」

「後先考えずに行動するかこうなるんです。昨日といい今日といい、もっと賢い解決の仕方はあったはずなんですから」

 ただ、と千歳は続ける。

「あくまでも噂は噂。殆どの人が面白半分に騒いでいるだけです。直塚の生徒というのも制服から露見しただけのことですし、愛生を特定するような情報は流れていませんから、そこは安心してよいかと」

 それは目立つことを嫌う愛生にとっては嬉しい情報だった。が、噂が広まってしまっている以上、素直に喜ぶことなんてできるわけがなかった。それに、さっきから妙に千歳が不機嫌そうに見えるのも愛生の頭を悩ませた。

 昨日の件がすでに千歳に伝わっている上、先程のあれだ。普段から愛生はこの幼なじみに面倒事に首を突っ込むなと言われているのだ。千歳が怒るのも無理のない話である。多分相当馬鹿だと思われている。不機嫌さを隠そうともしないツンとした表情で、千歳は言った。

「そんなに女子中学生という響きが好きなのですか、ふん!」

「……」

 怒るとこはそこなのかよ、という言葉を愛生はギリギリで飲み込んだ。不良の相手ではないが、こういう時は相手を刺激しないことが大事なのだ。

「それで、昨日助けた女子中学生とは、そのあとどうしたんです」

「どうもしないよ。同じマンションで階も同じだから、そこまで一緒でそれだけだ」

「本当ですか? 自分の部屋に連れ込んでお礼にエッチなことを強要したりしたんじゃないんですか?」

「お前は僕をなんだと思っているんだ」

「ということは、なんのお礼も貰ったわけではないと」

「お礼なんていらないよ」

「君の笑顔が見れればそれでいいとか、そんな怖気の走るようなことでも言うつもりですか」

「言わないよ。そんなこと」

 そもそも昨日の女の子は笑っていなかった。不良たちへの恐怖が抜けていないのか、愛生の力に怯えてしまったのか、別れる間際までずっと震えていたのだ。

「では、何が目的なのですか。助けること自体が目的、とか?」

 千歳の質問に愛生は言葉を出し渋った。愛生の目的というのは言葉にするのがとても難しいものだった。自分自身よくわかっていないことでもある。億劫なので黙っていようかとも思ったが、催促するように千歳が愛生の顔を覗き込んでくるので、愛生は仕方なく言葉を選ぶようにして話す。

「……僕はきっと、あの女の子を助けたかったわけでもないんだよな――」

 時々あった。自分の内から湧き上がってくる感情を抑えきれなくなることが、愛生にはあった。その抑えきれない衝動とも呼ぶべき感情は、決まって昨日の女子中学生をカツアゲする不良たちや、小学生の女の子に暴力を振るった円藤のような『悪』を目の前にした時に湧き上がってきた。新聞やテレビで何気なく放送する凶悪犯罪の数々。それよりも遥かに悪として劣っているはずの光景にも関わらず、愛生は新聞の紙面を眼で追った時にはない感情を目の前の悪に覚えるのだ。その感情に従った結果が、あれらの行動だった。愛生の行動が単純で突発的なのは理性ではなく感情に従い行動しているからだった。

 この感情の名前はわからない。少なくとも正義ではないだろう。こんなドロドロした気持ちが正義ならば、いよいよもってこの世界に救いがなくなってしまうではないか。だからきっとこれは正義ではない。ただ、正義でなかったとしたら一体なんだというのだろう。どんなに考えてみても愛生にはわからない。

――それでもわからないなりに言葉にはしたつもりだった。自分でも上手く言えたつもりはないが、それでもなんとか言葉にして愛生は千歳に自分の目的というのを伝えた。彼女ならわかってくれるのではないかという思いを、愛生はどこかで抱いていた。

 全部聞いたあとの千歳の感想は簡潔だった。

「で、結局あなたの目的はなんなんですか?」

 それに対しての愛生の返答も簡潔だった。

「わからない」

 湧き上がる感情も、自分の目的もわからない。それが愛生の答えだった。

「千歳はわかるか? 僕のこの、気持ちってやつ」

「わかるわけないでしょう。と言いたいところですが、愛生はわかりやすい人ですからね。大体の予想はつきますお」

「本当に? じゃあ――」

「しかし、それを私に聞いては駄目ですよ。こういうのは自分で答えを見つけるものです」

 何も考えずに答えを聞こうとした愛生の出鼻をくじくように、千歳はった。まるで愛生の反応をわかっていた上で回り込むような言葉だった。どうやら本当に自分はわかりやすい奴らしい。愛生は苦笑した。というか、笑うしかなかった。

「まあ、全部一人で考えろというのもあなたには苦でしょうし、少しだけアドバイスをあげましょう」

 笑うしかない愛生を見かねて、千歳は短いアドバイスを口にした。

「難しく考えないことです」

 単純な自分には単純な答えがあるものなのだろう。ただ単純だからわかりやすいわけではないのではないかと、愛生には思えた。自分一人で考えても答えがでる気がしなかったのだ。答えがでる気がしなかったので、愛生は早々に考えるのをやめた。この辺りの諦めの良さは自分でも呆れるほどであったが、特に改善しようというつもりは愛生にはなかった。

 話題を晒すように、愛生は千歳に質問を投げかけた。

「なあ、千歳。正義だとか悪だとかって、どう思う?」

 なんの前ふりもなく、そんな質問を受けた千歳は首を傾げてしまう。

「随分漠然とした質問ですね。それに脈絡もない」

 と、言いつつも千歳は傾けた首を今度は反対側に傾けて思案顔になる。どうやら真面目に考えてくれているようだった。自分の気持ちもそうだし、何から何まできちんと正面から受け止めてくれるこんな幼なじみといると、愛生は不思議と安心した。自分の質問に答えてくれる人がいること、自分の想いに応えてくれる人がいること、それはとても幸せなことなのだろう。

 自分は恵まれている。

「正義と悪ですか……」

 想像以上に千歳は悩んでいるようだった。かなり、難しい顔をしている。

「……まあ私には何が正義で何が悪なのか、そもそもその判断が出来かねます。なのではっきりとした意見は言えませんが――ただ私の個人的な考えを言うのなら、正義の味方ほど扱いに困る存在はいないと思います」

「どうして? 正義の味方っていい奴のことだろう」

「正義の味方がいい奴であっても、私たちがいい奴であり続けられる保証なんてのはどこにもないのですよ。私たち超能力者の力はほんの手違いで沢山の人を不幸にしてしまえるのです。正義の味方というのはあくまで正義の味方であり、私たちの味方ではありません」

 それはつまり、自分が正義の敵になることもあるかもしれないということか。

 正義が昨日の少女を助けるとは限らない。正義が超能力を肯定しなければ、この街の住人はみんな正義の敵になってしまう。

 愛生は思う。

 正義の味方が正義の味方でしかないと言うのなら、僕らの味方はどこにいるのだろう。

++++++++++

 千歳を家まで送り届けてから、愛生は自分の住まうマンションへと帰った。さっきまで荷物を持っていた両手が妙に軽くて少しだけ気持ち悪かった。

 愛生のマンションは千歳のマンションからそう距離が離れてはいない。ロビーに入ると、見知らぬ人影が見えた。どうやら服装を見るに、宅急便の社員さんのようだった。何かおろおろしている。愛生は思わず声をかけた。

「あの、どうかしましたか?」

 振り返った男の顔は思っていたよりも随分若かった。

「いえそれが、どうやって入ればいいのかわからなくなってしまいまして……」

 そういうとか、と愛生は納得する。彼の足元にある大きなダンボールを見るに、配達に来たが中への入り方がわからずに狼狽していたところなのだろう。まあ仕方ないだろう。ここの仕組みは確かにわかりにくいのだ。

「こうするんですよ」

 そう言って愛生は強化ガラスの扉の前で軽く手を振った。すると、愛生の目の前に透明なタッチパネルのようなものが現れた。3D映像だ。男が感嘆の声を漏らした。この無駄にハイテクな仕掛けが愛生はあまり好きではなかった。この男の人のように初めて来た人にはわかりっこない仕掛けだからだ。

「あとは部屋の番号を打ち込んで、そしたら部屋に繋がりますんで、宅配便だと言えば部屋の住人に扉を開けてもらえるはずですよ。えっと、どの部屋への荷物なんですか、それ」

 3Dのパネルに目を奪われていた男が慌てて言った。

「503号室へのお届け物でして……」

 503号室。五階の三番目の部屋。

「ああ、そこ僕の部屋です。我王愛生宛てですよね?」

 男は少し驚いたように頷く。丁度いいからここで受け取ってしまうと愛生は申し出たが、男は渋った。かなり重い荷物だからきちんと部屋まで運ぶと言うのだ。大丈夫だと言っても聞かなかったが、愛生がその重い荷物をひょいっと持ち上げて見せると、また驚いたような顔をして引き下がった。

「じゃ、じゃあここにサインをお願いします」

 サインを済ますと、男はそそくさと出て行った。まだ次の配達があるのだろう。忙しそだなぁと思いながら、愛生はさっさと自分の部屋に向かうことにした。

 エレベーターに乗って、五階のボタンを押す。

 男の言う通り、この荷物は確かにずっしりときた。二〇キロ、いや三〇キロないくらいだろうか。二六キロくらいだと愛生は予想。結構な重さだが、愛生が一人で持つ分には問題はなかった。

 部屋についた愛生ははまず荷物を開封することに。そもそも愛生にはこんな荷物を頼んだ覚えはないない。通販とかでなければ一体誰かと思ったが、差出人の名前はどこかで掠れてしまったのか読めなかった。まあなんにしても開けてみればわかることだと、愛生はがんじがらめになっていたガムテープを剥がしていく。

 それにしても酷く雑なガムテープだと愛生は苦笑した。方向も何も考えずにとにかく適当にこれでもかと巻かれている。こういうことをする人物を愛生は一人知っていたが、差出人がわからない以上その人であるかもわからない。もしその人だったとしたら、中身を見ればわかるだろうな、とそう思い愛生はガムテープを剥がす腕に力を込めた。

 数枚残っていたテープをダンボールを開けながら引き裂く――――その途中で愛生の腕はピタリと止まった。三分の一ほど開いた部分から見えているのは人の足だった。白く、小さな子供のものと思しき足が見えている。

「…………」

 混乱と動揺と嫌な予感が混ぜ合わさり、汗となって額から噴きだした。驚くほど白かったその足から生気が感じられなかったのも愛生の動揺を強くしていた。

 まさか、死体……か?

 最悪の事態を予測してしまい、吐きそうになる口元を押さえながら、愛生は一気にダンボールを開いた。

 果たしてそこに入っていたのは死体などではなかった。

 まず最初に目をひいたのは灰色だった。淀んだ雨雲のような灰色のとても長い髪。腰まで伸びていたその灰髪とコントラストになるかのような白いワンピースを着た女の子がダンボールの中で小さく丸まっていた。ワンピースと同じくらい白く細い四肢は精巧に作られた人形のようで、まるで生気を感じ取れなかった。生気は感じ取れなかったけれど、少女が静かに発する息遣いが人形ではなく、体温のある人間であることを教えてくれていた。

 愛生がその現状を理解する前に少女が目を開けた。髪と同じ灰色の瞳が愛生を捕らえた。少女はゆっくりとした動作で体を起こす。

 その髪色に、虚ろな瞳に、挙動の一つ一つに愛生は痛いほど心が惹きつけられるのを感じた。決して綺麗な色ではないはずの瞳から、目が離せない。

「お、おはよう」

 間抜けた声で愛生は少女に言った。

 彼女は黙ったままだった。


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