僕らの知るヒーロー
扉を破って中に侵入すると、白衣を着た男とリナリアがいた。リナリアはダンボールに掌ごとナイフを刺され、泣いていた。いつも無表情でまるで鉄仮面のようにその顔を固めていた彼女が泣いている。その状況に驚くと同時に怒りを覚える。その怒りで無くなってくれない弱い心を押さえつける。それでも体の震えは消えなかった。情けないと思ったが、落胆している暇はない。愛生は白衣の男を睨みつける。すると男は面白いものを見つけたぞと言わんばかりににやりと笑った。
「おいおい、まさかてめぇが来るとは思わなかったぜぇ、愛生ちゃん」
「……お前も僕の名前を知ってるのか」
「そういうてめぇは俺の名前を知らないようだな。あのお喋りな所長から聞いてないか? 俺は土山含鉄っていうんだけどよぉ」
「……土山?」
その名前には聞き覚えがあった。記憶を探ると、すぐに答えは見つかる。さっき、ここに来る前に確かに所長が言っていた。
「そうか。あの学会を追放されたっていう」
「そうだ。その土山だ。てめぇのことはよく知ってるぜぇ。あの所長のお気に入りだったからな。俺はいけすかねェガキだと思って近づかなかったが、まあそれでも超能力者にして無能力者っていう稀有な存在だって点に置いては俺はてめぇを評価してたんだぜぇ。科学者としてだがな」
「そりゃどうも」
適当に返事を返しながら、愛生は思考をする。目の前にいる、土山という男。学会、研究所、爆発、そして襲撃……。
そうして考えてみれば、思いのほか簡単に全ての出来事は繋がった。
「つまり、土山。お前は学会を追放された恨みを晴らそうとしたんだな」
愛生の答えを聞いて、土山は首を横に振った。
「違うな。そういう思惑がないといえば嘘になるが、別にそれが全てだったわけじゃない。むしろ目的は他にある」
「目的? 不良どもを集めて爆破テロなんておこし、あまつさえ子供たちを攫ったことに正当な目的でもあるっていうのか」
「正当かどうかなんて知るかよ。正しさなんててめぇで考えろ。それに狙って子供を攫ったわけじゃない。あの研究所にいう奴なら誰でもよかった。もっと言えば、殺せれば誰でもいいのさ」
土山の言っている意味がわからず、愛生は困惑する。殺せれば誰でもよかった。それではまるで快楽殺人だ。そんなことのためにこのへらへらとした男は動くのかと、愛生は疑る。
「そもそもてめぇは、俺がどうして学会を追放されたか知ってるのか?」
「いや、そこまで詳しくは鋤崎さんは話さなかった」
「じゃあ教えてやる。俺はよぉ、超能力者の能力向上を謳って、学会を追放されたんだ。今の学会は超能力の抑制制御に力を注いでいるが、これだけ素晴らしい力をどうして抑え込むのか、もっと他に利用するべきことがあるんじゃないのか、学会のこういう態度こそが超能力差別の温床なのでは、と主張したのさ。そしたら見事学会追放。職も失った。俺が築き上げてきた全てが崩れ去ったのさ!」
自らの転落をまるで面白おかしいエピソードのように土山は語る。その顔は張り付けたような笑顔に固定されている。
「だから俺は世間に超能力の力を知らしめることにしたのさ! 前代未聞、内部によるラボラトリ爆破テロ! これによって超能力者の力を世間は思い知る。どれだけビルが爆破し、瓦礫が崩れようと、ここは超能力者の街だ。崩れた瓦礫はサイコキネシスでどかせばいい。透視能力でもあればどこに人が埋もれているのか一目瞭然。火事による二次災害も水を操る能力者がいれば消防士よりも早く鎮火させるだろうぜぇ! 今頃上じゃあ事態は殆ど終息しているはずさぁ。それだけの力を超能力者は持っている。にも関わらず、それが行えるのはラボラトリの一般人だけ。どうしてだか知ってるか、愛生ちゃんよぉ」
「知らない。教えろ、どういうことなんだ」
「簡単さ。警察や自衛隊などの政府組織は超能力者の参入を禁止しているからさ。超能力者は警察では働けないんだ。おかしいと思わないかぁ? おかしいだろう!? 誰よりも力のある超能力者が、誰よりも人を助ける力がある超能力者が差別され、こうしてこの街に捕らわれている。俺はこの現状を正すためにテロを起こした。テロの内容だとか、わざわざ第27研究所のガキどもを盗んできたことにもたいして意味はない。要は多くが死に、多くが救われればそれでいいのさぁ」
何か言いたいことはあるか、と挑戦的な口調で土山が愛生に尋ねた。
「……僕はお前の言うことが正しくないとは言わない。超能力者差別は僕らのためにも失くさなければならないものだ。でも、お前は自分の行いがそもそも破綻していることに気づいていないのか? この街の人口の七割は超能力者なんだぞ。いくら比較的能力者の少ない研究者の集まる場所を狙ったとはいえ、確実にお前は超能力者を殺しているんだ。能力者のために能力者を殺し、それを能力者に助けさせる。この事実になんの矛盾も感じないのか」
「矛盾? そんなもんどこにあるってんだぁ。言っただろう。多くが死に多くが救われればそれでいい。百人殺して百人救えれば、俺はそれでいい。最初から二百人死ぬよりはマシだろう?」
「だけど……」
「甘いんだよ、てめぇはよぉ。どこにだって犠牲になる奴はいる。お前が助けに来たっていうそこのガキだってそうだろう? フェーズ7の自己回復。まさに犠牲になるべくして生まれてきたようなガキじゃねぇか!」
「お前……どうしてそれを知っている!?」
「んなもん見りゃわかるぜぇ。俺は研究者だぜ?」
愛生の反応が面白かったのか、土山はその張り付けたような笑顔をより一層強くした。
「意図的に隠蔽されてきたフェーズ7。それがどんな扱いを受けてきたのか、考えたくもねぇなぁ。……どうしててめぇ程度の男が隠蔽されたフェーズ7の存在を知り得ているのかしらねぇが、もしかしたらお前もこのガキを犠牲にしてきたんじゃねぇのかぁ?」
土山の言葉は愛生の怒りの琴線にいとも容易く触れた。むき出しの感情が激昂するのがわかる。愛生は今、怒っている。恐怖とは関係のないところで。
「言いたいことはそれだけか」
その鈍器のような視線が土山を捕らえる。愛生の声は低く震えていた。
「僕はお前と議論を交わしに来たわけじゃない。何が正しくて何が正しくないのか、そんなことはどうでもいい。僕は正義の味方でもないし、悪の敵でもない。僕が救いたいのは百人じゃなくて一人だ。僕は、リナリアの味方だ」
それだけ言って、愛生は拳を握り構えた。照明に照らされる鋼の腕が土山を写した。
「言うじゃねぇか。ガキが! だったらささっとぱぱっと俺を倒して助けて見せろよぉ!」
土山は両手を広げて来いと言った。愛生はその言葉に従い、駆ける。小賢しい戦略などない。正面突破の正面衝突。土山の先の発言により、すでに愛生は手加減をする気などなくしている。迷うことはない。大きく右足を踏みこみ、同時に左手を後ろへ思いっきり引き絞る。駆け出した力が左腕に集まる。ギリギリと鋼の装甲の中の人工筋肉が音を立てる。科学と計算によって人が最も強く力を発揮できるような形として作られた人工筋肉は一切の無駄のない兵器に近い。ただ本来は医療用の技術であるそれは大抵力を制限されている。それもそのはず、そもそも人の筋肉は常に一〇〇%の力で動いていない。そんなことをすればまず最初に壊れるのは自分の体だからだ。鉄で作られた義手が壊れることはないにせよ、それを扱う体は別。自分のものではないかりそめの体に簡単に振り回されてしまうだろう。しかし愛生の義手は制限をかけていない。正真正銘一〇〇%のフルパワー。その力に振り回されないだけの土台を愛生の体は持っていた。
踏み込んだ足を軸に腰を回し、引き絞った鋼を土山の鳩尾へ解き放つ。まるで巨大な弾丸のごとく放たれたそれは土山へ直撃する。
当たった。その確かな衝撃が愛生の体に響く。骨すら容易に砕く一撃。しかし、それを貰ったはずの土山は変わらぬ顔で立っていた。
「なっ!?」
痛がる素振りも耐えた様子も見せない。一切の手加減なく放たれた一撃。最初からその一撃なんてなかった風に土山は立っている。
そんな、確かに当たったはず。なのにどうして……!
そこで初めて愛生は竜司の言っていたことを思い出した。
どれだけ吠えようと、お前じゃあの科学者には勝てない。
どうしてあいつは当たり前のようにそんなことを言ったのか、愛生は今になってそのことを疑問に思うのだった。
「何驚いてんだよ。超能力者を相手取っている以上、何が起ころうと不思議じゃないなんて、この街の住人ならわかっていることだろうがよぉ」
「お前、超能力者だったのか」
「当たり前だ。超能力者至上主義を掲げる奴が超能力者じゃないわけがねぇだろうよ。白人至上主義を謳う黒人がどこにいるんだよ、ああ?」
つまり、今のはこの男の超能力ということだ。何らかの力でこの土山は愛生の一撃を無力化したのだ。
「さて、ここでお勉強の時間だぜぇ、愛生ちゃん。一体、俺の能力はどんな能力だと思う?」
あざ笑うかのような土山の質問をよそに愛生は至近距離から膝による蹴りを放つ。脇腹に当たった。感触もある。しかし、土山にダメージが通った気配はない。
「……衝撃の吸収か?」
「残念外れだ」
言って、土山は懐から拳銃を取り出した。不良たちが持っていたものと同じそれを愛生に向けて構える。
「不正解者には鉛の弾丸をプレゼントぉ!」
土山は躊躇うことなく引き金を引く。頭を狙って飛んできた弾丸を愛生は首を捻ることで避ける。雷撃などの超能力と違い、拳銃は構えて、狙って、引き金を引くという動作が必ず必要になる。素人の扱う銃なら、注意深く観察していれば避けられないことはない。特に土山は容赦がない分わかりやすかった。ただ土山は当たるものと思っていたらしく、素直に驚いていた。
「へぇ、避けるのか。おかしなガキだとは思っていたが、やっぱてめぇ、普通の高校生じゃねぇよなぁ」
観察でもするかのような土山の視線。愛生は土山から距離を取る。タンタンっ、と二度のバックステップで大きく距離を開ける。そうしてまた拳を握り構えた。
「きちんと避けられたご褒美に教えてやるよ、俺の能力」
愛生は黙っていたが、お構いなしに土山はペラペラと自分の能力を語りだした。
「まあさっきの回答は惜しいと言えば惜しかったぜ。だがちょっと違う。俺の能力はエネルギーの吸収ではなく、拡散だ。俺に触れたエネルギーは問答無用で放射線状に拡散される。要は衝撃の逃げ道を作る力さ。お前のその義手の一撃、その運動エネルギーは俺に触れた瞬間、周囲に四散しちまったんだよ」
なるほどそういうことか、と愛生は納得する。手ごたえはあったのに通用しなかったのは、衝撃が吸収されたからではなく拡散されたから。端的に言えば、エネルギーを逃がす力。それが土山含鉄の能力だった。
納得すると同時に、愛生は焦りを感じた。土山の能力がその通りであるのなら、愛生とは相性が悪すぎる。超能力を持たない愛生は、どうあっても殴る蹴るなどの肉弾戦しかできない。他にも装備があれば話は別だが、土山の能力の前では銃器でさえも無力化されてしまうだろう。エネルギーの拡散。それは防御に限れば殆ど無敵のようにも思えた。現に、愛生の放ったこん身の一撃を土山はものともしていない。
だが考えがないわけではない。
愛生は足元に落ちていた石を拾った。少し前に、不良たちの気を引くために照明に石を投擲したが、今度は土山本人を狙うつもりだった。
どんな能力でも完璧ではない。超能力は非常識なものではあるが、非常識には非常識なりのルールがある。例えばテレポーターならば、一度のテレポートのあと、なんの制限もなくすぐに次のテレポートを行えるかといえばそうではない。サイコキネシスも無制限に力を発揮し続けられるわけではない。必ずそこには隙が生じる。どんな能力も発動と発動の間には隙が生じるものなのだ。
ならば愛生が狙うのはその隙。能力と能力の間のわずかな隙。通常、その隙はフェーズが上がるごとに早くなるが、フェーズ6であろうと一秒の壁は越えないはずだ。
愛生は再び土山に向かって走り出す。同じように右足を踏み込むと同時に、右手で握っていた石を土山の顔に向けて投擲。投げた体勢が体勢のためたいした威力はでないが、それでいい。あくまでもこの石は一度、土山に能力を発動させるため。突然顔に向けて放たれた石。土山のような能力を持つ人間ならば回避行動を取るよりもまず能力を発動させるはず。
愛生の目論見通り、土山は能力によって投擲された石のエネルギーを拡散させた。土山の額に当たった瞬間石は勢いを殺され床に落ちる。そこですかさず愛生は引き絞っていた左手での一撃。一秒にも満たない間に放たれた連撃。しかしその連撃は土山には効果がなかった。
「……!」
愛生は驚きを隠せない。確かに作戦は成功したはずだ。土山に能力を発動させ、その上で一秒以内に次の攻撃をくらわせられた。しかい、とどめになるはずだった拳の威力は土山によって拡散されてしまったのだ。
「学生らしい作戦だなぁ。能力の連続発動の間の隙を狙おうって算段だったんだろぅ?」
土山が得意げな顔をしている。
「だが勉強不足だな。アイディアはいいが、てめぇの言う隙が生じるっていうのはテレポーターやサイコキネシスとかの話だろ。テレパスとかにゃあ処理速度に隙が生じることはない。どうしてかわかるか? テレポーターは事象そのものに干渉するが、テレパスは元あるものに手を加えるんだ。だから能力の処理速度が格段に速い。ないものを創造するっていう最も力の必要な工程がないんだから、単純に考えてない方が速度は上がる。俺の能力も同じさ。加えられた力、すなわちあるものを拡散させる。その隙はレーコンマゼロゼロゼロゼロゼロゼロサン秒だ。ほら、越えられるものなら越えて見ろよ」
それは人の限界を超えた速度。所詮は人間でしかない愛生にそんな壁は越えられるはずがなかった。愕然とする愛生。だが同時に頭の中では次の行動を考えていた。わざわざ勝てない相手と戦う意味はない。幸いにも土山の能力は防御には優れているが、攻撃が同じであると言えばそうではない。なら逃げるという選択肢も多いにありだ。リナリアを抱えて、元来た道を走れば――
「ボケッと突っ立ってるがてめぇ、まさかとは思うが俺の能力が防御にしか使えないとでも思ってるんじゃねぇだろうなぁ」
見透かしたような土山の言葉。その意味を愛生が理解する前に土山が叫んだ。
「甘ぇんだよ!」
瞬間、愛生は自分の体が痙攣するかのように震えるのを感じた。それは痛みを伴う震えで、その感覚を全く味わったことがないわけではない愛生にはすぐにそれがなんなのかが理解できた。電気だ。強い電流が愛生の体に流れているのだ。見ると、土山の足元から放射線状に広がるように青白い電流が流れていた。
「ここはよ、ラボラトリの地下の発電施設の点検増設のために作られた空間だ。この真下には発電装置が埋まっている。俺は今、その電流を拡散させているのさぁ」
つまり土山の力はある程度なら離れたエネルギーも拡散できるということだ。ただそれを思考する暇は愛生にはなく。痺れる体を必死で動かし、なんとか土山から離れる。がくがくと震える膝が、恐怖によるものなのか電流の痺れがまだ残っているのか、愛生にはもうわからなくなっていた。
「ふむ。倒れはしない、か。まあ遠隔エネルギーだとあまり多くの量は引っ張ってこれねぇし、拡散させる以上どうしても力は減退するから、そんなもんか」
淡々と実験結果を述べるように言葉を並べる土山、愛生はそれに苛立ちを覚えながらも、現状の厳しさに困惑していた。奴に攻撃力がある以上、リナリアを連れて逃げ出すのは容易ではない。敵に背中を見せる行為はリスクが高いのだ。ただ、超能力者とはいえ戦闘に関しては素人。万全の状態ならできなくはないが……。愛生は自分の左手に目をやる。先程の電流の一撃で、愛生の左手は動かなくなってしまっていた。精密な機械と同じで義手は電撃にとても弱かったのだ。
片腕を塞がれた今の状態で、できるのか。僕にあの子を連れ出せるのか。
迷いだけが募っていく。
そんな愛生の心中を見透かしているのか、土山は愉快そうに笑った。
「それじゃあ、次の実験だぜぇ! 次は非合法の人体実験だぁ!」
踊るように言って、土山は白衣のポケットから、一本の注射器を取り出す。針のないタイプのそれは玩具の銃のような形をしていた。中には鮮やかな赤い液体が入っている。
「こいつが俺の研究の成果。能力増強剤さぁ。実のところこいつを秘密裏に製造していたのがばれたのが、学会追放の決め手だったんだがな」
言いながら、注射器を振る。ちゃぽちゃぽと若干の粘度を持った赤の液体が揺れた。
「その名の示す通り、こいつは能力を増強する薬だ。使えばフェーズが一。人によっちゃ二くらいは上がるとんでもない代物だ。ただしまだ研究段階。副作用が強くてよぉ。下手すりゃ死ぬし、面白いことにな。副作用さえなけりゃどっかの軍隊か、反政府組織にも売りつけたんだがな」
へらへらと笑いながら、土山はなんの躊躇もなくその注射器を自分の腕に押し付けた。プシュ、という音と共に中の赤い液体が土山の体に流れ込んでいく。
「……副作用があるんじゃなかったのかよ」
愛生が言うと、土山はなんでもない顔でそうだと答えた。
「しかし少年。人間ってやつはいずれ死ぬもんだぜ。遅かれ早かれ結果は同じさ」
ニヒルを気取ったように土山は言うが、要はそれは自殺志願だった。結果が同じだからといって急いでしまっては、死にたいだけの大馬鹿者だ。
人の命、そして自分の命さえもへらへらと笑いながら犠牲にできる土山という男の在り方に愛生は強烈な嫌悪を覚えた。人の命も自分の命も捨てられない臆病な愛生には、その在り方は相容れないものだった。
それを強さとは思わないけれど。
「さて、これで俺のフェーズは格段に上昇した」
土山の瞳が徐々に赤色に染まっていく。血をこぼしたかのような鮮明な赤は、まるで瞳の奥の方を覗き込んでいるようで気味が悪い。
「おら、突っ立てていいのかよぉ!」
土山が下から突き上げるようにして腕を振るった。するとそれに合わせたかのように、愛生の足元から電流が現れた。
「なっ!」
放射線状に拡散するようにして現れたその電撃は、まさしく土山の能力そのものだった。体が痺れる。さっきよりも威力も上がっているようだ。飛びそうになる意識を手放さないように愛生は歯を食いしばった。
「言ったろう? 俺のフェーズは上昇したってよぉ。フェーズが上がれば、能力によっちゃあ出力だけじゃなくできることも増える。俺の能力の場合、今までは俺を中心にしてしか拡散できなかったエネルギーを、俺とは離れた場所を起点にして拡散できるようになったのさ」
もう一つ面白いものを見せてやる。
そう呟いて、土山は再び腕を振るう。すると今度はなんと、愛生の体が宙に浮く。地面から垂直方向に愛生の体が吹き飛んだ。その勢いのまま、愛生は天井に叩きつけられる。急激に勢いを失った結果、もといたはずの床にまで叩きつけられた。
背中と胸に間髪いれない衝撃を貰ったせいか、肺からは殆ど空気がでてしまい、呼吸が苦しくなる。体が少しでも多くの空気を吸い込もうと息を大きくするが、それがまた背中の痛みを激しくするようだ。
「い、今のは……?」
愛生の絞り出すような声。それが愉快だったのか、土山は楽しそうに笑い声をあげた。
「教えてほしいか? 簡単なことだ。発電っていうのはタービンを回して行うもんだ。そのタービンを回す運動エネルギーをてめぇの足元に拡散させたのさ。放射線状に拡散された運動エネルギーは上昇気流に乗る紙屑のようにてめぇの体を浮かび上がらせる。これもフェーズを上げとかなければ、天井に叩きつけるだけの威力は得られないんだがな」
まずい。まずい。愛生は焦りを募らせる。ただでさえ対抗策のない能力が、フェーズが上がることによってより強力になってしまった。どうにかしなければ、どうにかしなければ、と思考を続けるが、出てくるのは現実味のない愚策ばかり。
「ぐっ!」
不意に、土山が血を吐いた。ドロリとした赤が彼の口からこぼれる。例の副作用だろうか。その瞳と同じように口内も真っ赤に染め上げた土山が愛生に告げた。
「そろそろ、終わりにするか」
土山が腕をすっと高く上げる。
「流れろよぉ! 四散!!」
自分自身に語りかけるようなその言葉は、土山含鉄が本気を出した証明だった。宣言通り、土山は一切の容赦なく、愛生を再び天井に叩きつけた。今度は重力に従って落ちるのでなく、天井に愛生が張り付いた瞬間、土山は天井から下に向かって力を拡散。天井に叩きつけられたのと同じ速度で地面にぶつかる。上や下だけではない。その後も土山は右左、斜めとありとあらゆる方向に力を拡散。愛生は部屋の中を縦横無尽に跳ね回るスーパーボールのように様々な方向に叩きつけられた。
「あははははははははははははははは!」
それを見て、土山は笑っていた。壊れた狂気を含んだその声さえも、血に染まっているようだった。
「見たか! これが超能力者の力だぁ! これだけのことを手も触れずに俺たちはやってのける。てめぇにこれと同じことができるのかぁ? なぁおい無能力者! 能力もない無能に一体何ができるのか、教えてくれよぉ!」
最後に、天井からまっすぐに地面に叩きつけられる。愛生はピクリとも動かない。死んだわけではない。しかし、体が動かないのだ。愛生の体は完全に限界を迎えていた。
「喋る余力くらいは残しておくべきだったか? まあいいか」
すでに土山の興味は愛生から外れたのか、くるりと踵を返して愛生から背を向けてしまう。
「そこで見ていろ。ここから歴史が変わる、世界が動くのさ! 激動のあと、世界を支配しているのは俺たち超能力者だ」
お前はそこで倒れたまま見ていろ、と土山は言った。
その方が……いいかな……。
愛生は朦朧とする意識の中でそんな風に思った。
勝てなかった。また勝てなかったよ。僕じゃあの子を守れなかったよ。僕みたいな無能には、超能力を持った人間には手も足も出なかったよ。全身が凄く痛いんだ。もう意識も手放してしまいそうだ。それで、いいよね。このまま眠って、起きたらまっすぐ家に帰るんだ。あの子のことなんか忘れて、そのまま……。千歳は怒るかもしれないな。帝さんには失望されるかも。でもいいじゃないか、別に。何より大事なのは自分の命だろう。ああ、でも。もし僕が見捨てたら、あの子は何を思うのだろう。
消えかけた意識の中、愛生は彼女を方を向いた。白衣の男が彼女の手からナイフを抜き取っているところだった。男は彼女の髪を掴み、そのままずるずると引きずって行く。どこにいくのだろうか。この部屋に奥の間なんかあったっけ? 他愛もない疑問に溺れていると、彼女と目があった。その何も見ていないような瞳はしっかりと愛生だけを見つめていた。そして、彼女は泣きながら、泣きながら笑うような顔をしてゆっくりと口を動かした。
彼女は何を言ったのかはわからなかった。この意識の渦の中で聞き取れるはずもない。
だけど、その言葉が他ならぬ自分に――――我王愛生に向けられたものであることはわかった。
愛生は立ち上がった。
ふらつく足で、折れそうな心で歯を食いしばって必死になって、それでようやく立ち上がった。立ち上がることができた。
わかっている。我王愛生は弱い人間だ。弱くて情けなくてみっともない、どうしようもない奴だ。今だってあの子のことなんか放って逃げ出したい気持ちで一杯だ。それは嘘じゃない。本当だ。だけど、あの子を――――リナリアを助けてあげたいと思った気持ちだって本当だ。
それを嘘にしてはいけない。間違ったことだなんて言わせない。ならばそれは愛生自身が証明しなければならないことだ。
立ち上がれ。
拳を握れ。
戦え。
それが、全ての証明だ――――
「愛生!」
リナリアが叫んだ。涙をためた瞳は愛生だけを見つめている。
土山が振り返ると、そこには立ち上がった愛生の姿が。
「てめぇ……」
その様子にさすがの彼も驚かされたのか、思わず息を呑んだようだ。
「わかってんのか! いくら努力しようと、無能力者は超能力者には勝てないんだよ! その力の差は絶対だぁ!」
言われるまでもない。それは愛生が一番よく知っている。
……力が欲しい。
愛生は、そう願った。
能力なんていらない。そんなのは嘘だ。だって自分はあの人に憧れたのだから。世界最強の能力者、我王帝の背中に憧れたのだから。力が欲しい。あの人のようになりたいと、願わなかった日はない。例えそれが呪いの類いであっても。その願いは本物だったのだから。
だから愛生は願った。それは神頼み。この状況で、自分にできることなどそれしかない。
神様お願いです。僕に力をください。なんだっていいんです。どんなに醜い力だろうと構わない。あの子に教えてあげたいんだ。世界は汚くて、辛い事ばかりかもしれないけれど。でも、決して楽しいことがないわけじゃないんだって。この世界は、まだまだ壊れたりはしないんだって、教えてあげたいんだ。だから神様お願いです。弱くて情けなくてみっともない僕に相応しい力を、誰かを守れる力を。
ふと、頭の中に彼女の姿が浮かんだ。だけど頭の中の彼女の髪はあの灰色ではなく、もっともっと綺麗な白の色。どうしてだろう。こんな彼女を自分は見たことなんかないのに……。
突然、愛生の胸に激痛が走った。それは今までの全身の痛みが気にならなくなるほどの激痛。まるで心臓を直接握りつぶされるような圧迫感と共に愛生は胃の中の全てを嘔吐した。頭が、世界が、回る。あまりの痛みに愛生は右手で胸を抑えた。グッと、血が出るほど爪を立てて。するとどうだろう。そこから流れ出たのは赤い血ではなく、《黒い影》だった。
愛生の心臓から溢れ出したその黒は、まるで生き物のようにうごめき、愛生の左の義手にまとわりついた。それはやがて趣味の悪い刺青のようにして愛生の肌を覆っていく。人工的で、機械的な角ばった直線の黒。それは見る見る内に愛生の体を浸食していく。愛生の左半身を駆け巡ったとところで、黒の浸食はようやく終わる。顔の左半分や義手などは黒によって隙間なく埋め尽くされている。真っ暗の空洞の中で、愛生の丸い瞳が目を見開いた。
瞬間、愛生はとめどなく溢れる衝動に犯された。それは怒りや、悲しみ、そういう黒いものを凝縮したかのような激しい感情。全てを哀しみ、全てを憎み、全てを壊そうとする破壊衝動。その湧き上がる衝動に愛生の精神は一気に壊された。
「「「「「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」」」」」
それはおよそ、人が発するとは思えないような声。ありとあらゆる獣の雄叫びを同時に発したかのような醜い咆哮。しかしそれは紛れもない、愛生の喉から発せられたものだった。
みしみしと義手が音を立てる。人工筋肉が軋んでいるのだ。もう動かなくなったはずの義手が暴れ狂うように軋む。人間的なフォルムだったはずのそれは既に形状すらも変わり、体を這いずる黒と同じように人工的で直線的で角ばった兵器のような形に変わってしまっていた。
「「「「「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」」」」」
咆哮。空気を震わすその音は、土山にとっては恐怖の対象でしかなかった。
「な、なんだよ、ありゃぁ」
ガクガクと体が震える、恐怖が自身の意思とは関係なく体を支配しようとしているのだ。
「この土壇場で、失くしていたはずの超能力が覚醒した? ありえない話じゃねぇが。しかしこれはなんだ。本当に超能力なのか? こんな禍々しいものが、超能力だっていうのか! あり得ねぇ。こんなもの……!」
その時、愛生の目がぎろりと土山を捕らえた。土山が悲鳴をあげる。愛生の視線はまるで見ただけで人を殺すようなものだったのだ。
その姿はまるで獣。
愛生が憧れていたヒーローとはかけ離れている。
あまりに禍々しく、醜い獣の姿。
愛生の願いに答えたのは、神ではなく悪魔だったのかもしれない。
黒い獣が地を駆ける。その先にいるのは土山。恐怖で動けない、彼の脇腹に獣の前足が撃ち込まれる。拳も握っていない、まるで鞭でも振るうかのような左の一撃。次の瞬間、パァンというやけに軽い音と共に土山の腹部が吹き飛んだ。
「え?」
抉り取られたかのような自らの腹を見て、土山は思わず声を漏らす。何故なら、この時彼は確かに愛生の一撃を拡散させたはずなのだ。咄嗟の判断だったため、拡散の起点を自分に後方にばらけさせただけの簡単なものだったが、それでも本来なら愛生の一撃など土山に通るはずがない。理由もわからないまま土山はその場に仰向けに倒れた。すると、謎は解けた。全ては土山の後方の壁が物語っている。
その壁もまた、土山の腹部と同じように抉り取られていたのだ。放射線状に拡散させたままの形で、ごっそりと。
要は処理速度ではなく、処理容量の問題。どんな能力だろうと、一度に処理しきれる容量は限られている。処理しきれなかった分は当然、そのまま自然の法則に従って土山の腹部を吹き飛ばしたのだ。
「つまりあれか……あの一撃がとんでもねぇ威力だったってだけか……」
まるでそれが予想された実験結果っだかのように淡々と事実を呟き、そのまま土山含鉄は絶命した。
「「「あ、あああああああああ」」」
愛生は左腕を押さえてその場に膝をつく。そうでもしなければ、すぐにでも暴れ出してしまいそうだったからだ。湧き上がる衝動を、震える体を必死で抑え込む。もう敵はいない。暴れる必要はない。しかし体は言うことを聞いてはくれない。暴れ狂う獣は今にも愛生自身を飲み込もうとしているのだ。実際、土山に当たった一撃もまぐれのようなものなのだった。次暴れ出したら、愛生にはきっとどうすることもできない。だから、なんとか……。
その時だった。
「愛生!」
リナリアが愛生のもとへ駆けつける。こんな時に近づくんじゃないと怒鳴るよりも先にナギサは愛生の首に抱き着いた。
「来てくれた、来てくれた! 助けに来てくれた! リナリアを、助けに来てくれた!」
来てくれた、来てくれたと、まるでそれだけが重要なことのようにリナリアは繰り返す。愛生の情けない姿も、醜い獣の姿さえ、リナリアは問題にはしていなかった。ただ、自分を助けに来てくれる人がいる。それだけが、彼女にとっての救いだったのかもしれない。
「やっぱり、愛生はリナリアのヒーローだ……」
不思議なことに、リナリアのその小さな手に抱かれていると、愛生の抑えきれなかった衝動は徐々に治まっていった。胸の痛みも、体の痛みも、今はもう感じない。ただ彼女の体温と髪の匂いだけが愛生の世界を彩っていった。
これはなんていうのだろう。上手く言葉にはできそうもない。
きっと、これが人の力というやつなのかもしれない。
くっついたまま離れないリナリアを静かに離し、愛生は彼女を見つめる。土や埃にまみれた顔を拭ってやる。そうすると、リナリアは少し恥ずかしそうに俯いた。
「リナリア」
彼女の名前を呼ぶ。
「帰ろうか」
リナリアが俯いたまま首を縦に振った。その瞬間、空気を震わす轟音が鳴り響いた。
「な、なんだ!?」
一度だけではなく、その音は何度も何度も繰り返される。その度に空気だけじゃなく、地面そのものが揺れる。爆発だ。地上で響いたものよりも大きな衝撃を持った爆撃。そのうち、天井の一角が崩れ落ちた。
「まさか……」
ここまで来れば、愛生には何が起こっているのか理解できた。爆破されているのは地上ではない。ここだ。これはこの空間を崩すための爆破なのだ。
「つまりこれが、計画とやらの最後ってわけか」
土山の目的はとにかく騒ぎを大きくすること。そのために、この空間を崩壊させ、真下に埋まる発電施設を破壊しようとしているのだ。土山が死んでもなお発動したところを見るに、時限式の爆弾をあらかじめセットしておいたのだろう。しかし、このタイミングでの爆破ならば土山も巻き込まれていたはずだ。
「いや、そうか。あいつ最初から死ぬ気で……」
だからこそ、副作用も物ともしなかったのだろう。
人はみんな死ぬ。遅かれ早かれ結果は同じだと言った、あの男の顔を思い出す。あれが本当に自殺志願者だったなんて、愛生には思えなかった。
ゴゴゴゴゴゴ、と部屋が、この空間が揺れるのがわかる。もう限界が来ているのだろう。今にも天井が崩れ落ちてくる。そうなったら、二人とも……。
「逃げて、愛生!」
リナリアが縋り付くように愛生に言う。
「リナリアは、死なないから。だから愛生だけでも早く……」
「馬鹿言うな! 死なないからって、そんなこと――――」
轟音と共に愛生たちの頭上に巨大な瓦礫の塊が落ちてきた。愛生はそれを黒い左手で打ち砕いた。愛生にもよくわからない力だが、しかし降り注ぐ瓦礫を砕くにはちょうど良かった。さっきまで制御のできなかった衝動は、今は毛ほども感じない。
これならいける。愛生は静かに確信する。
「駄目、そんなの……愛生が死んじゃうのは嫌だよ!」
リナリアが叫ぶ。頼むから逃げてくれ、と。
「リナリアはさ、痛いのは嫌か?」
この場にはあまりにも不釣り合いな穏やかな声で、愛生がリナリアに尋ねる。
「苦しいのは嫌か? 辛いのは嫌か?」
「いや、だよ。そんなの、嫌だ」
「そうだよな。嫌だよな」
半月も一緒にいた。だから愛生にはわかっていた。リナリアにはきちんと痛覚が存在していることを。痛いことは痛くて、辛いことは辛いと思える心があることも、愛生は見抜いていた。
「僕だって嫌だ。痛いのも苦しいのも辛いのも大嫌いだ。――だから、安心しろ。痛いも、苦しいも、辛いも、お前が嫌いなもの全部、僕がぶっ飛ばしてやる」
そう言って、愛生は拳を握る、弱さを受け入れ、醜さを受け入れ、それでもなお強くあろうと拳を握る。
リナリアはもう、何も言わなかった。ただ愛生の制服の裾をギュッと握った。
ついに天井が完全に崩壊し、瓦礫や岩が降り注ぐ。愛生はそれらを一つ一つ打ち砕いて行く。降り注ぐ全ての敵を薙ぎ払う。
一際大きな岩を砕いた瞬間、愛生の体が悲鳴をあげた。どうやら土山から貰ったダメージはなくなったわけではないようだ。それでも愛生は腕を振るう。全身の骨がきしみ、痛みに身を裂かれそうになっても、弱い心がもう諦めろと囁きかえても、愛生は諦めなかった。今、自分の背中にいる少女を守るために。ただ、ただがむしゃらにその腕を振るうのだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
少年の咆哮が響いた。




