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勝利と敗北

 誘拐犯たちを追跡するのはさほど難しいことではなかった。フェーズ6の高位能力者である千歳の力を借りれば、彼らの追跡は簡単なことだったのだ。千歳から携帯でナビを受けながら走る愛生が着いた先は意外な場所だった。

「ここは、この前の」

 そこは半月前。愛生が不良たちを相手取り戦った廃墟だった。前回来たときと何も変わらないもの悲しい建造物のなれの果て。

「ここのビルには地下のパイプラインに続く入口があるようで、彼らはそこにいます」

 そう言って、千歳は地下に潜るための入口の場所を告げる。愛生が言われた通りに向かうと、そこには開きっぱなしのマンホールがあった。部屋の中にマンホールが、と不思議に思ったが、よく近づいてみてみると、それはマンホールではない。似てはいるが細部の違いがどことなくジョークチックで、製作者の遊び心が垣間見れた。

 さっそくそこから乗り込もうとする愛生だったが、それを通話越しの千歳が止めた。

「愛生、乗り込む前に質問なのですが」

「なんだ?」

「この廃墟が半月前の出来事の場所だと言われて思い出したのですが、あれ以来例の女子中学生とはどうしたのです。女子中学生大好きの愛生くん」

「僕は別に女子中学生大好きじゃないし、どうもしないよ。そもそも会ってもいない。怖いっつーか、変な姿も見せちゃったし、会わない方がいいかなってさ……てゆーか、これ今聞かなきゃ駄目なこと? 僕ら結構急いでるんじゃ……」

 何せ警察がここに来る前にリナリアや人質を助け出さなくてはならないのだ。妙な疑いを持たれないためにも、鋤崎には愛生たちが出発してから警察に連絡を入れるように言ってある。こちらの我儘に彼女らまで巻き込むわけにはいかないのだ。なるべく時間は稼いでおくよん、などと鋤崎は言っていたが、時間がないことには変わりない。

「まあそうなんですけど。でも、これで緊張は解けたでしょう?」

「いや、そんなに」

「はぁあ? この私がここまで気を回してあげているのに、なんですかその言いぐさは。そこは嘘でも、うわぁ緊張が解けたよありがとう千歳ちゃん大好き! 愛してる! って言うところでしょう死ね」

 千歳、絶好調である。

「……おっけー、今ので緊張ぶっ飛んだ。ありがとう千歳ちゃん」

 ふん、と千歳は鼻を鳴らす。まあまあ及第点らしい。

「中の人数は五人。全員武装をしています。銃を持つ輩もいます。まあ見るからに素人なのであまり警戒には値しないとは思いますが。くれぐれも気を付けて」

 すぐに淡々とした口調で情報を与えてくれる千歳。愛生はありがとう、と言おうとして、やめた。それは全てが終わったあとに言うべき言葉のような気がしたのだ。

「どうかしましたか、愛生」

「あー、いや。千歳」

「はい」

「愛してる」

「はあ」

 素っ気ないないなぁ、と苦笑しながら愛生は地下へと飛び込んだ。

++++++++++

 地下のパイプラインはまるで坑道のようだった。機械か何かで掘り進んだであろうその道は四角く人工的だ。照明は天井にぶら下がる小さなライトが点々としているだけで薄暗い。

「これから先に進む。千歳、敵の配置を教えてくれ」

 携帯の向こうから返事はない。何事かと画面を見ると、通話が切れていた。ここまで電波が届いていないのだ。開発の進んだラボラトリでは地下では地下であろうと電波は普通に届くものだが、こういった一般人が立ち入らない施設ではそうもいかないらしい。ここで作業を行う人間はきっと別の伝達手段を持っているのだろう。

「参ったな。千歳と連絡がつかないとなると、これ以上の情報は得られないぞ」

 できれば敵の詳しい配置や、人質のいる場所を聞いておきたかったのだが、それは無理になってしまったようだ。ここからは一人でやらなくてはならない。千歳の能力ならば今もここの状況は見えているだろうが、携帯以外に伝達の手段がない。それこそ本当に見守っているだけだった。

 仕方がないと諦め、愛生は最初の一歩を踏み出す。すると自分の足が震えていることに気づいた。あれだけ息巻いておきながら、一人になった瞬間これだった。我ながら本当に、と愛生は自分自身に呆れかえる。この状況を千歳が見ていると思うと、今にも聞こえるはずのない怒声が聞こえてきそうで嫌になる。 

 愛生は弱さを振り払うように駆け出した。

 積み上げられたダンボールや、乗り捨てたような機材を見るに、ここはエネルギー炉や発電施設を修理検査するための通路のようなものなのだろう。何かしらの作業の途中だったが、七夕のお祭りに向けて一旦中止しているところかもしれない。もしかしたらここは大通りの真下に位置する場所なのだろうか。

 周りの観察をしながら突き進むと、遠くに人影が見えた。すかさず愛生は機材の影に隠れる。相手の視覚外に入るように機材やダンボールの裏に隠れながら近づいて行く。二、三度位置を変えると相手の顔まで見えるようになった。千歳の言う通り、見るからにチームの人間だと言うのがわかる風貌だった。じゃらじゃらと付けたピアスやアクセサリーが彼らの尖ったイメージをよく表しているようだった。

 一人はどこかの軍隊の規格で作られたかのような無骨なサバイバルナイフを持ち、もう一人は千歳の報告通り拳銃を手にしていた。手にしているのはグロッグ26。手にすると小さくも見えるが、十二分に人殺せる凶器だった。二人はそわそわと落ち着かない様子で一つの部屋の扉を見ていた。あそこに何かがあるのだろうか。なんにしてもまずはあの二人をどうにかしなければ。

 扉の中に味方が潜んでいる可能性もある。行動は迅速、かつ隠密に。こういった展開は乾の得意分野だが、愛生とて不得意なわけではない。むしろどうしても体格で劣ることの多い愛生には直接ぶつかるような戦闘よりもこうした暗躍の方が得意だった。要は護堂よりも乾よりなのだった。

「ま、どっちにしても劣ってはいるんだけどね」

 器用貧乏、いやただの貧乏か、と自嘲気味に呟きながら、そこら辺に落ちていた石ころを握る。ここについた時から、こういった展開を予想していなかったわけではない。愛生の心の弱さは、皮肉にも戦闘に置いてのもしもを考えることに長けていた。

 手にした石を投擲。狙いは彼らの頭上にぶら下がる照明。そのおぼろげな灯りを愛生の石が破壊する。パリンっ、という音。一気に暗くなる地下道。二人は何があったのかとさっきまで輝いていたはずの照明を見上げる。その隙に愛生は駆ける。

 勝負は一瞬。まず拳銃を持った男に近づいた愛生はその存在を気づかれる前に男の顎に右手の一撃。更に返すような一撃を再び顎に。二度の衝撃で男の脳は完全に揺れ、意識を飛ばす。もう一人のナイフを持った男が愛生の存在に気づく。しかしそいつが声を発するよりも先に愛生の蹴りがそいつの脇腹を仕留める。メキメキと肋骨の折れる音がした。すかさず男の頭を掴んで思い切り壁に叩きつける。手を放すと、男は重力のままに倒れた。上手く気を失ったようだった。

 その場には愛生と、気を失った男が二人。ほんの数秒前まで意識あった男たちは今はもう地に伏している。彼らの持っていたナイフと拳銃を回収。ナイフは得意ではないが、拳銃は使えそうだと、愛生はそれを構える。久しぶりの感触だったが、感慨深くなっている暇はない。扉に張り付き、音を拾う。人が動く音のようなものが微かに聞こえるが、防音仕様になっているのか数や詳細まではわからない。

 踏み込むしかないか。

 すうっと大きく息を吸い込み、扉を蹴破る。中に入り、銃を構え、瞬間的に部屋を見渡す。見えたのは子供の姿。端っこに追いやられるようにして固まる子供たちとそれを守るかのように抱き寄せる岩波の姿。そしてそれをじっと睨みつける大きな男の姿。それは確かに千歳の言う通り大きな男だった。身長だけならば護堂よりも大きい。ただ護堂のような鍛えこまれた体格というわけではないので、彼のような威圧感は感じない。

「おい、なんだてめぇ」

 大男が低い声で愛生を威嚇する。愛生は男に銃口を向けると、躊躇うことなく引き金を引いた。銃口から発射された弾丸は大男の太ももを貫いた。

「……!」

 声にならない呻きと共に大男は膝を折る。完全に倒れないのには驚いたが、しかしそのおかげで愛生と大男の目線は重なった。丁度いい位置になったな、と愛生は大男の顔を思いっきり蹴りぬいた。大男が意識を失うのを確認したあと、愛生は岩波と子供たちの方を向いた。子供たちはみな怯え、泣いてる。岩波が子供たちを抱く腕に力を入れたようだった。

「もう大丈夫ですよ。助けに来ました」

 愛生がそう微笑む。笑顔崩さぬまま、制服のネクタイを外して、大男の太ももの傷の上の方を思いっきり縛り、簡単な止血をした。急所は避けていたし、殺すつもりは最初からない。意識が戻ってからか、警察が来てからでも病院に向かえば十分に間に合うはずだった。

「君は……!?」

 ようやく岩波が愛生の存在を確認したかのように反応する。

「所長のお客さんの……?」

「愛生です。えっと、色々あって助けにきました」

 こういう時に格好いい台詞の一つでも言えればいいのだが、愛生は曖昧な笑みを浮かべるだけだった。子供たちと岩波は訝しげに愛生を見つめていた。まあ、それはそうかと愛生は頷く。いきなり制服姿の学生が助けに来ました、なんて怪しすぎるだろう。しかし説明している暇はない。みんなを見つけたのならあとは早々に――――

 そこで愛生はあることに気づいた。

「リナリアは? 岩波さん。リナリアはどこにいるんですか!?」

 そこにリナリアの姿がなかったのだ。彼女の姿だけが見当たらない。

「灰髪の女の子はどこにいったんですか!?」

 稀に見る剣幕で岩波に詰め寄る愛生。あの子なら、さっき来た男が連れて行ったと岩波が言う。

「どこに、どこに連れていたんです!」

「へ、部屋を出て左に真っ直ぐいった所です。ここにいた男と外の二人以外はそこにいるそうです……その、男が言っていました」

 部屋を出て左。出口とは反対方向だ。何故リナリアだけを連れ出したのかはわからないが、とにかく向かわなければ。リナリアを助け出せなければここまで来た意味がない。

 愛生は手にしていた拳銃を岩波に渡した。

「岩波さんは子供を連れて外へ。ここを出て右に行けば上へあがる梯子があります。もう敵はいないようですが、一応これは護身用として持っておいてください」

 そう言って愛生はすぐさまリナリアを連れて行ったと言う男のもとへ向かおうとする。それを岩波が止める。

「ちょっと待ちなさい! 君はどうするんですか」

「リナリアを助けに行きます」

「そんな、学生一人で何ができるんですか」

「それでも行かなきゃいけないんです。僕の身を案じてくれるんでしたら、早く逃げて警察でも呼んでください。ここにいられると邪魔だ」

 わざと辛辣な言葉を選び、愛生は岩波を突き放す。早く行かなくちゃという焦りが愛生の背中を押し続ける。

「……」

 岩波は数秒黙ったあと、子供たちを連れて逃げ出した。頭の固い人物だという話だったが、意外とそうでもないのかもしれない。いや、子供たちの命を優先しただけか。愛生は彼らについての思考をやめ、走り出す。部屋を出て左。真っ直ぐに突き進む。途中また体が震えているのを感じたが、構うものかと足は止めない。もう覚悟はできている。千歳が背中も押してくれた。迷うことは、ない。

 大きな鉄板のような巨大な扉までたどり着いた。ここが行き止まり。おそらくさっき子供らが捉えられていたのは休憩所だったのだろう。防音仕様だったのもうるさい工事の音を極力カットするため。そして、この先が作業場だ。一気に鉄の扉をぶち破ろうと愛生は走る速度を上げた。

「!?」

 突然、横合いからナイフが飛んできた。速度を上げていたためしゃがんで避けようとした愛生は体勢を崩し派手に転んだ。何回か地面を転がり、ようやく立ち上がる。すると目の前に一人の男が立っていた。

「よう。久しぶりだなガオー」

 愛生の名を呼ぶその男は不適な笑みを浮かべながら、そこにいた。眼鏡に短髪の男。岩波と似たようなルックスだが、眼鏡の奥の鋭く刺すような瞳が二人を全く別の人物であることを主張していた。男の匂わせる空気はあまりに鋭く冷酷で、間違っても岩波はこんな雰囲気は出さないだろう。

「なんで、僕の名前を……」

 突然名を呼ばれたことに驚いて、愛生は思わず立ち止まり尋ねてしまった。

「それに久しぶりって、僕はお前なんかに見覚えはないぞ」

「まあそうだろうなぁ。実質俺とお前が会うのもこれで二度目。覚えてなくて当然だ。でも、お前は覚えがなくても俺は覚えている。何せうちのチームを滅茶苦茶にしやがりやがった張本人だ。他にも色々迷惑かけられてんだ。忘れるはずもねぇ」

 チーム、ということは半月前に愛生が相手どった奴らだろうか。あの現場にこの男はいなかったようだが、こいつもあのチームの……。そんな思考を愛生は投げ捨てる。今はそんなことよりも大切なものがある。

「悪いけど僕はお前を知らないし、知ろうとも思わない。そこを通してくれ。聞かないなら、力づくで押し通るぞ」

「おいおいあんまつれないこというんじゃねぇよ。こっちはあの灰髪のガキ見つけてから結構興奮してんだぜ? お前が来るかもしれないってよぉ」

「リナリアを知っているのか!?」

 突然声を大きくした愛生を疑うように見ながら、男は頷いた。

「言ったろう。お前と俺には少なからず因縁がある。調べてるのさ、お前の周辺のことはよ。お前が超能力者にして無能力者の奇妙な存在だってことも、あのガキが親戚であることも、調べはついている。最も表面的なことばかりで、それほどお前を知り尽くしているわけじゃないんだがな」

 リナリアを知っているという言葉に一時は肝を冷やしたが、親戚という情報を持っているということはどうやら偽造を暴いたわけではないようだと、愛生は安堵する。

「……一つ聞きたい」

「なんだよ、ガオー」

「リナリアはどこだ」

「この奥にいる。俺があのガキがフェーズ5の自己回復リカバリーだって教えてやったら、あの野郎実験をするとか言い出して、あのガキだけここまで連れ込みやがったんだ。全く科学者の考えることはわかんねぇよ」

「科学者? これはお前のチームの犯行じゃないのか? どうして科学者が……」

「質問は一つじゃなかったのかよ」

 その瞬間、空気の爆ぜる音が扉の向こうから聞こえてきた。銃声だ。扉の向こうで銃声が聞こえたのだ。

「お前ら、リナリアに何をしている!」

「知らねぇよ。実験なんだろう? あいつが言うにはさ」

 言いながら、男はポケットからナイフを取り出し、それを構えた。投擲用にも見えるその刃に愛生の姿が写った。

「そんなことはいいから、まず俺を見ろよガオー。どれだけ吠えようとお前はあの科学者には勝てないし、お前がここに来た時点で俺らの計画は破綻している。双方行けど退けど破滅しかない。だったら今この瞬間だけでも楽しもうぜ。俺はお前を殺してやりたくてうずうずしてんだ」

 そう言って、男は笑った。その冷たい笑い声は楽しさなんてものを微塵も感じさせない。

「ここ最近。お前というやつは俺の前に度々立ちふさがる。まるで見えない壁だ。そういうのをぶち壊すのを俺は趣味にしてんだ」

「……趣味悪いよ、それは」

「承知の上だ」

 愛生も拳を握り構えた。鈍器と刃物が相対する。

「俺の名前は秋風竜司。能力はフェーズ2の切断強化シャープネスエッジだ」

 すると突然男が名乗りを上げた。

「低位能力だからって馬鹿にしない方がいいぜ。俺が手にした刃物はなんであれ、人の骨くらいはゆうに切断できるようになる」

「正気か。自分から自分の能力を明かすなんて。手の内を明かしてなんになる」

「何にもならねぇよ。ただ俺だけお前の手の内を知ってるのはフェアじゃねぇだろ? 俺は公平に戦いたいのさ。そう、公平にな」

 そう言って、竜司はじりじりとにじり寄ってくる。

 どうもこの男、何かおかしいと愛生は警戒を強くする。なんとなく、そう噛みあわない。まるで嫌々この場にいるようで……ただ愛生と戦えるというのは本気で喜んでもいるようだった。まるでちぐはぐだ。理解はしがたいが、しかし愛生にはこの男を理解する必要はない。さっきの男たちと同じように一瞬でケリをつける――

 そう決めた瞬間。愛生は駆けだす。狙いは竜司がナイフを振った直後のカウンター。相手の大振りを誘おうとわざと真正面から突撃する。

 が、愛生は突如自分の足に無理やりブレーキをかける。気配を感じたのだ。それははっきりとした人の気配。間違いない、ここには竜司以外にも人がいる!

 だがしかし幸いにも愛生はその手の気配には敏感だった。何か特別なことをしなくても臆病な心が勝手に探し出してくれる。そしてそれはすぐに見つかる。自分の斜め後ろ、ギリギリの死角から誰かが迫る。愛生は未だ竜司を相手取っているフリをしながら、身を捻るようにしてこん身の裏拳をその誰かに決める。

「な……!」

 完璧に決まったはずの一撃。しかしそこに誰かはいなく、あったのは窓枠か扉にでも嵌める予定だったであろうガラス板。積み上げられたそれに愛生は躊躇いのない拳を放ってしまっていたのだ。驚くのも束の間。愛生は直後に自分の懐に何者かの気配を感じた。

「馬鹿なっ!」

 それは竜司だった。確かに愛生はガラス板に目を向けていたが、しかし近づかれた気配はしなかったはずだ。竜司が何かしら行動を起こしたならば、愛生ならすぐに気づくはずなのだ。しかし気づかなかった。この距離まで近づかれるまで愛生は竜司の気配を感じなかったのだ。

 竜司が繰り出したのはナイフによる突き。脇腹を狙った鋭い刃物は、しかして愛生の体に半分も突き刺さらなかった。竜司は驚くと同時に愛生からすぐに距離をとる。それは最善の判断だったろう。無理矢理押し込もうとでもしていれば、その時点で愛生の一撃が竜司を昏倒させていた可能性がある。謎の気配の意味はわからなくとも、竜司の存在だけは確かなのだから。

「おいおいまじかよ……」

 自分のナイフを見て竜司は呟く。

「半分どころか先っちょしか刺さってねぇ。一体どんな体を……いや違うな。さっきの感じ、お前まさか自分の骨で防ぎやがったな? 咄嗟に身を捻ってよ。上手いこと肋骨で防ぎやがったんだ。ほとんど条件反射でそんな動きをするたぁ、ますますもって何者だよ、お前」

「お前こそ、能力はどうしたんだよ。骨を切断するとか言ってなかったか?」

「ああ? んなの嘘に決まってんだろうが」

 だろうな、と愛生は納得する。竜司の能力がわかったのだ。

「送信型のテレパス。それがお前の能力か」

 ご名答、と竜司は満足げに頷いた。

 誰かの気配、などというないものをあるように思わせる。

 そして自分の気配というあるものをないように思わせる。

 そんなことができるのは、テレパスを除いて他にない。

「お察しの通り俺の能力は精神感応系の精神干渉テレパスだ。だが惜しかったな、送信型じゃなくて送受信型だよ、俺ぁよ」

 中々の観察眼だと、竜司は切っ先に少しだけついた愛生の血を拭いながら続ける。

「だがそれも意味はない。今の不意打ちで殺せなかったのは失策だが、こと俺の能力に限っちゃあ、ばれたところで対抗はできない」

 竜司の言う通りである。精神感応系の能力は直接対象の精神、つまりは脳に干渉してくる。送信のできるテレパスならばそれで対象の脳に『あそこに気配がする』という誤った情報を送信することもできるのだ。それは幻覚と同じだ。例えば竜司がその能力を生かして忍者よろしく分身の術でも披露したとしよう。その中の一人だけが本物だが、それを見破る術ははっきり言ってない。なぜなら例え何人に分身しようと、その一人一人は対象にとっては同じ竜司であり、気配も仕種も匂いも、ありとあらゆる全てが同一なのである。

 目で見ることも気配を探ることも結局は脳の機能の一部にすぎない。その脳に直接干渉してテレパスが見せるものは例え現実ではなくても対象にとっては確かに本物なのだ。

 故に、テレパスには対処方がない。

 愛生はガラスの山に突っ込んでしまった右腕を引っこ抜く。砕けたガラスが皮膚を破り、血だらけになってしまったが、神経はやられていない。まだ動く。それなら戦える。

 懐から先程取り上げたサバイバルナイフを取り出す。それを左手で握り、構え、相対する。

「ナイフか。いいねぇ。俺は刃物が好きなんだ」

「そうか。僕は嫌いだ」

「そうかよっ!」

 今度は竜司が正面から勢いよく飛び込んでくる。それに合わせて愛生は竜司の肩にめがけて突きを放つ。腰を低くして放たれた一撃は竜司の肩を貫いた。だが手ごたえがない。これは幻覚だ。そう認識した瞬間、竜司だったものは霧のようになって消えた。それと合わせるようにして、気配なく愛生の横に張り付いていた竜司が突きを放ったまま伸ばされた愛生の左腕に思い切りナイフを振り下ろした。

 きーん、という金属音。突如鳴り響いた不可解な音。直後、竜司の顔が青ざめる。彼が振り下ろしたナイフは愛生の腕に半分どころか先どころか、殆ど、全く突き刺さることなく弾かれたのだ。愛生はその隙を逃さない。振り下ろしたまま無防備となった竜司の腕を左手で掴む。

「しまった!」

 竜司はそう口にしたがもう遅い。振りほどこうと暴れる竜司の足に払うような蹴りの一撃。掴んだ手をから叩きつけるようにして竜司の背中を地面に打ち付ける。愛生は竜司の腕から手を放し、その手で竜司の顔を掴み地面に押さえつけ、左の足でナイフを持っていた手を踏みつける。こうしてしまえば、もう竜司は動けない。かなり雑な抑え込み方だが、愛生の筋力があれば頭を掴んでいるだけでも十分だ。

 所詮は人間。限界はある。だからこそ愛生はその限界まで己を鍛えこんでいた。それは並みの鍛え方ではない。そこいらの不良に愛生が基礎的な力で負けるはずがないのだ。とはいっても、その限界でさえあの帝の足元には遠く及ばないのだから、能力の壁というのは大きい。特に、彼女の場合は。

 ここまで抑え込まれてまだ諦めていないのか、竜司は空いている腕で必死に自分の頭を掴む愛生の腕を握っていた。指の隙間から、とんでもない怒りのこもった瞳が愛生を睨みつけている。

「て、てめぇ……まさか、この腕」

「ああ。多分、お前が考えている通りだよ」

 そう言った途端、竜司は愛生の左腕、自分が突き立てた刃によって切れた皮膚に指を突っ込みべりべりと一気に剥がして見せた。

 果たしてそこに現れたのは赤い血でもなく肉でもなく、鋼色をした鉄の腕だった。

「義手……かよ。最初から、俺がその腕を狙うと予想して……」

「ああ。お前は妙に冴えているようだったからな。ナイフを持てばその腕を狙ってくると思っていた」

 ギリギリ、と愛生は竜司の頭を握る義手に力を込めた。

 左の肩の少し下辺りから全てを愛生は昔に失くしていた。その時から愛生の左腕は義手だった。神経に直接接合させるラボラトリでも最新型のその義手は人工皮膚で覆ってしまえば触れられない限りは義手だともわからない作りになっていた。

 人間的なフォルムに加工された鉄の塊が照明に照らされてキラリと光る。

 人工筋肉と鉄で作られたその左腕は殴れば勿論人を殺しかねない一撃を放てるし、その気になれば今すぐにでも竜司の頭を握りつぶせる。それは彼にだってわかっていることだろうが、それでも竜司は抵抗をやめなかった。その瞳はより鋭く愛生を睨み、左腕を掴む手にはますます力が加えられる。

「やっぱりか」

 そんな中、愛生は竜司の能力を冷静に分析する。

「お前の能力、実はそんなにフェーズは高くないだろう? そこそこのテレパスなら、この状態でも幻覚を見せたりして逆転できるけど、お前はそれをしようとしない。つまりできないんだ。お前は気配を生み出せても、その気配を発する人間は生み出せない。幻聴は見せられても幻覚は無理、ってところか。ないものを消したりはできるがあるものを生み出すことはできない。出来てもそれは幻聴や気配っていう曖昧なもの止まりってわけだ。最後に見せてくれたあれだって、厳密には幻覚じゃない。お前は本当は途中まで僕に突撃していた。しかし途中で方向転換し横に回った。その方向転換から先を僕には見えなかったと錯覚させることで、まだ突撃を続けているという限りなく幻覚に近いものを見せたんだ。あれが本当に幻覚なら手ごたえまでも再現できたはずだからな」

 あの時の手ごたえのなさ。愛生にとってはあれが決定的だった。もしも竜司が完全な幻覚を見せることができたなら、また展開は違ったものになっていただろう。

「色々工夫していたようだけど、こうして掴まれてしまえばもうお前は何もできないんだろう?」

「……っ!」

 何もできないはずの竜司はまだ抵抗を続けていた。どうしても、どうしても負けられないんだと言うように、愛生を振りほどこうと暴れる。そうすることで愛生の手は少しだけずれて、その隙間から竜司の必死な声が響いた。

「俺はっ! 俺はああああああああ!」

 愛生は何も言わずに、竜司の頭を少し持ち上げて、それを地面に叩きつけた。一回ではない。二回、三回……。そうしてようやく、竜司は気を失ったようで、愛生の腕を掴む手から力が抜けた。

 もう動かないことを確認して、愛生は立ち上がる。そうして竜司との一戦など最初からなかったことかのように、その鉄の扉の向こうに進むのだった。


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