その瞳は
今日は血液検査と脳波測定を行うのだと、愛生は鋤崎から説明を受けた。超能力というのは人間の脳が大きく関わっている力というのが通説であり、そのため無能力者である愛生が一番に心配されるべきなのは脳の異常である。だからこそ脳波の検査はここに来るたびに行っていた。
第27研究所の六階。その一室には脳波を測定するための大掛かりな機械が設置されている。なんでも脳波以外にも同時に心拍数やMRIのように脳の様子を画像で見ることもできるが、愛生の検査にはあまり意味がないようだ。
鋤崎は呑気にもコーヒーを飲みながらその機械をセットしていく。大掛かりと言っても、愛生はヘルメットのようなものを装着して台に横になるだけなのでたいした負担はない。問題点といえば少し時間がかかることだったが、いつも鋤崎がのべつまくなしにペラペラと関係のない話を続けるので退屈はしなかった。
「いよっし、セット完了。それじゃあ検査始めるけど、いつものようにあまり動かないでねー? 寝返りうつくらいなら構わないけどさ」
鋤崎がリモコンのようなものを操作すると、耳元で機械音がする。しかしそれも一瞬ですぐに音は止み、消音運転になった。ラボラトリは街全体が研究機関だと言われるほどの場所なので、こういった技術の進歩は日本のどの場所よりも優れていた。新しい技術はまず最初にラボラトリに入ってくるものだとまで言われるほどだ。ただそれも、千歳辺りに言わせれば「超能力者を実験台にしている」らしいのだが。
「愛生ちゃん。最近何か体におかしなことがあったりしない?」
カルテのようなものを持った鋤崎が愛生に尋ねる。特に変わったことはないと愛生は答えた。
「ふむふむ。じゃあ左手の様子はどう?」
「それも特には」
「問題なし、か。この分じゃあこの検査もいつもの通りモーマンタイで終わりそうだねぇ」
「結果が出る前からそういうこと言わないでくださいよ」
鋤崎ははぁあああとわざとらしく大きなため息を吐いた。
「そういうことも言いたくなるのよー。最近本当色々あってさぁ、もう聞いてよ愛生ちゃん」
いつもの話したいだけの話が始まったなぁ、と愛生は心の中だけで苦笑する。毎月彼女の話を聞かされている愛生だったが、これで結構飽きないのだ。
「まず施設の件ね! 作ったのはいいんだけどまだ慣れてないから勝手がわかんないし、職員からは賛否両論極端な意見しかなくてさー。子供可愛い、癒される、研究所に来るのが楽しくなったぁ、って言ってくれる人もいるんだけど、反対にうるさい、うざい、とにかく殴りたいとか言う不届き者も多くてさー。施設は遊び部屋から寝室まで全部二階に固めてあるから行かなければいい話なんだけど、どうしても鉢合わせとかもあるみたいなのよん」
まあビルが一緒ですからねぇと適当に愛生は相槌を打っておく。扱い方は心得ていた。
「んで! それよりも酷い事件があるわけよこれが! 前までここにいた土山って男知ってる? あの口の悪い」
土山という人物に愛生は心当たりはなかった。知らないことを愛生が告げると、そりゃそうかとむしろ納得したかのように鋤崎は頷いた。
「あいつ愛生ちゃんとは関わろうとしなかったもんなー。とにかくそういういけ好かない男がこの研究所にいたんだけど、そいつこの前学会追放されちゃったのだよ」
「追放ですか!? 一体何をしたんですか、その人」
「んー何をしたっていうかしでかそうとしたと言うか。行為を問題にされたんじゃなくて、思想が危険視されたんだよ。結構とんでもないこと言う奴でさー。少し宗教じみてたりもして、あえなく追放ってね。それの後始末やら上への報告書やらを私がまとめなきゃいけなくててんてこまいだったのよー。それも施設の設立と被ってたし」
ぷんぷんという効果音が聞こえそうなほど頬を膨らませて不満をあらわにする鋤崎。多分彼女はその報告書を自分で書かなくてはいけなくなったことだけを怒っているのだろう。彼の危険思想などは殆ど問題にしていないはずだ。そういうところ意外とドライな人物だと愛生は知っていた。
「それでも悪い事ばかりじゃなかったんだけどねい。見かねた知り合いが岩波ちゃんっていう助っ人を送り込んでくれたのは最近じゃ愛生ちゃんに会えた次くらいに嬉しいことかなぁ。あの子事務仕事もできるし、ああ見えて保育士の資格も持っているから、かなり使える人材なのよー。まあ頑固すぎて融通聞かないところは欠点だけどね」
私いっつも怒られてるんだー、と何故か楽しそうに鋤崎は語る。
「あ、そうそう。学会で思い出したんだけど……」
先程までの不機嫌さはどこへやら、すでに上機嫌になっている鋤崎は弾む声で話を続ける。その目まぐるしく変わる表情の三分の一でもリナリアに分けたらお互い丁度良くなるのに、と愛生は思った。
「学会ではね最近はフェーズと能力は別物だって見解が有力視されているんだよー」
「フェーズと能力は別物?」
そんな話、愛生は聞いたことがない。フェーズとは超能力の強さの段階のことであり、だからこそ言うまでもなくフェーズと能力は一緒くたにして語られるものであるはずだ。フェーズはあくまで超能力の強さを表すものでしかないのだから。
しかしそれが別物なのだと鋤崎は言う。
「もちろんフェーズが能力の強さを表す指標だってことは変わらないけど、でもフェーズはそれぞれの能力についているものではなくて超能力者についているものなんじゃないかーって、最近の超能力研究ではもっぱらの話題なのよー。私も研究者として、そして一介の超能力者として、この話題には結構注目しててねー」
「……?」
よく意味が分からず愛生は首を傾げてしまう。それを見た鋤崎がにんまりと笑った。
「じゃあわかりやすく説明してあげよーじゃないか。えっと、そうだな。じゃあ楽器にでも例えようか。低位能力者がリコーダーで、高位能力者がファゴットっていうのが従来のフェーズが能力につくっていう考え方なの。フェーズも能力も一緒くただから。人が違えば楽器も変わる。ファゴットだったりトロンボーンだったりね。そして新しい考え方ではフェーズはアンプ、そして能力はエレキギターなんだよ。強いアンプを使えばより良質で大きな音が出せる。そして寸分狂わず同じ音を出すギターはない。つまりフェーズも能力もまとめて個々人の能力者の個性と呼んでいたものを、個性はギター、能力だけだと言い張るのが最近の考え方ってわけ」
「……それだと、フェーズっていうのは誰しも共通するものってことになっちゃうんじゃないんですか?」
「その通り! さすが愛生ちゃんいいところに目を付けるね! この世に同じ能力は存在しない。同じテレポーターでも得手不得手があるなど、能力は千差万別だ。今まではそういう細かな違いはフェーズの違いによるものだと言われてきていたんだけど、それをその個人の能力の個性という絶対的なものとし、逆にフェーズというものはその能力が持つ力をどれだけ効率よく引き出せるかという度合いのこととして、フェーズの普遍性を説く……というのが超能力とフェーズとが別物だという見解を持つ学者の言い分なのだ」
さてここで質問です、と鋤崎は人差し指を一本ぴんっと立てて愛生に詰め寄る。
「もしもこの見解が現実のものだったとしたら、この発見はどんな研究に応用できるでしょうかー」
「どんな研究ですか……」
ふむ、と久しぶりに真面目に思考をしてみる。すると案外すぐに答えは出てきた。
「フェーズが普遍的で共通的だとしたら、ギターの取り換えっこみたいな感じで、能力の取り換えっこができるんじゃないんですか?」
「素晴らしい!」
鋤崎が大喜びして手を叩く。
「まさに私が考えていたことそのままだ。フェーズが共通するものならば、能力の取り換えが可能なのではないか、と私は考えていたのだよん。ゲームのカセット交換のようにね。例えばフェーズ4のテレポーターとフェーズ2のテレパスの能力を交換すれば、フェーズ4のテレパスとフェーズ2のテレポーターが生まれるかもしれないんだ。他ならぬ個々人の個性を交換する、ということが現実味を帯びてくるのさ。ま、でも研究的には価値のないものだけどねい」
「そうなんですか? もしそれができれば凄いことなんじゃ」
「凄くても役に立たなきゃ意味がないさ。今の超能力研究は能力のコントロール。支配や管理に力がそそがれている。つまり能力の抑制だよー。他人の能力と交換しても抑制にはならないでしょ? まあ制御できない難しい能力を持ってしまった高位能力者に制御しやすい能力を与えてあげるという使い道とかもあるにはあるけども、それだって能力コントロールの技術が進めばそれで済むわけだからねー。要約すると、金にならないのだ」
身も蓋もないことを言いながら、鋤崎は笑う。凄く返しに困る言葉なので、とりあえず愛生も笑っておいた。
「それでもこの研究、私は注目しているんだよー。それに愛生ちゃんにだって関係のあることかもしれないし」
「僕に、ですか?」
「そ。私が思うに、今の愛生ちゃんはギターを失くした状態なんだよ。アンプだけだと音はでないでしょ? 今の愛生ちゃんがまさにそれじゃーん。ESP細胞はあるけど能力はないっていう。私がこの説を支持する理由は君の存在もあるんだから」
確かに、と愛生も納得する。超能力者にして無能力者という、愛生の矛盾した存在を説明するのに、その説はおあつらえ向きだ。
「私はね。興味があるんだよ。他ならぬ我王愛生ちゃんが今一度ギターを手にした時、一体どんな音を奏でるのか。私はそれにとても興味がある」
「でもその説だと、フェーズっていうのは変わらないじゃないですか。僕のフェーズじゃたいした音は出ませんよ」
「果たしてそう言えるのかな? これでも私は研究者として愛生ちゃんに少なからずの可能性を感じているんだけど」
「そんなの、僕には可能性なんてありませんよ。それに別に能力も欲しいとは思いませんし」
すると、鋤崎はキョトンとした顔で首を傾げてしまう。
「能力、欲しくないのかい? ラボラトリで暮らすんなら能力はあった方がいいじゃないよー」
「そりゃまあ、そうなんですけど」
能力の強さとは、すなわち希少性に他ならない。強い能力ほど希少で、どこまでいっても研究機関であるラボラトリでは希少性の高い能力には優遇措置が取られることがある。それは援助金であったり、能力が高ければ進学にも有利になる。強い能力ほど優遇される、というのが現在のラボラトリの在り方だった。
「能力はあればいいとは思っているんですけど、その反面なくても構わないんですよ」
「ふーん。それはあれ? 最強の王の息子としての矜持ってやつぅ?」
「そんな格好いいものじゃないですよ。ただ、僕は無欲なつまんないやつなんです。ないものはないでいいんです」
「にゃるほどねーい」
鋤崎は何か含みを持たせるようにそう言った。そして彼女にしては珍しく、そこで一度黙った。会話が途切れたのだ。本当に珍しいな、と思うと同時にいつもは自分が一方的に話を聞くだけだったのでこれはチャンスだと思った。愛生は鋤崎に聞いておきたいことがあったのだ。
「あの、鋤崎さん。例えばの話をしていいですか?」
「ん? どったの愛生ちゃん。別にいいけども」
「はい。えっと、もしもですよ。もしも死なない能力者がいたとして、その子を人権とか道徳とか無視して、好き勝手実験に使えるとなったらどうします……?」
恐る恐るの質問だった。愛生は勿論鋤崎のことを信頼している。将来性はない。もう役立たずだと言われたあとも、彼女だけはこうして自分の症状を心配して殆ど無償で検査をしてくれている。本人は諦めきれないだけさと笑うけれど、本当は違うことを愛生は知っている。だから、聞いておきたかった。信頼する研究者の意見を。
「不死身の能力ねぇ……。確かにそんな子がいたら超能力研究は驚くほど進歩するだろうねい。超能力者は人間じゃないとか言い張る科学者の多くはそう言って人権撤廃して好き勝手実験したいだけみたいなところもあるし……でもま、私は興味ないなー。愛生ちゃんのことで色々懲りたしね。あまり可哀そうなことは私にはできないのだ」
「そうですか」
それが聞けて、愛生は心底安心した。そうだ、世界は何もリナリアの敵だけなんじゃないんだ。
しかし次の瞬間、鋤崎の発した言葉に愛生は心臓を抉り取られるような気分になった。
「もしかしてそれって、愛生ちゃんが親戚の子だって嘘を吐いていた子に関係しているのかな?」
「……!」
言葉がつまる。いや言葉だけじゃない、呼吸も、心臓の鼓動さえもその一瞬で止められた気がした。思わず台から体を起こそうとして鋤崎に止められた。
「落ち着いて愛生ちゃん。いいかい、君は何も答えなくていいし何も反応しなくていいの。ここからは私の独り言だと思って聞いてちょうだいよ。そもそも私は君の事情も何も知らないんだよー。ただ今のは推測というか、推理みたいなものなのだ」
言って、彼女はコーヒーを一口含んでから続ける。
「気づいたのは愛生ちゃんたちにあってすぐだったよ。彼女の灰髪、あれが決定的だった。高位能力者の劣性形質の突然発生なんてよくある話だけど、それにだってパターンがあるんだよ。まあこの名前がよくないよねい。劣性形質とは言っても実際は殆ど突然変異だしー。赤とか青とか緑とか、そんな奇抜な髪色になっちゃう高位能力者はよくいるけども、しかしこれが不思議で灰色はいないんだよー。私は遺伝子の研究もしていたからわかるんだけど、高位能力者の劣性形質でも灰色だけは生まれえないのさ。つまり彼女の灰色は彼女自身があらかじめ持つ、超能力とは全く関係ない形質に他ならない。勿論劣性であることには変わりないから、きっと先祖代々というかお父さんお母さんも灰色遺伝子を持っていたんだねー。前に愛生ちゃんの遺伝子は調べさせてもらったから、君に灰色遺伝子はないことはわかってたし、親戚であるとは考えにくかなーってね。勿論可能性がないわけじゃない。あの子のお父さんが偶然灰色遺伝子保有者で、その人が選んだ女性も偶然偶然そうで、さらに偶然偶然偶然うまいことそれがリナリアちゃんに受け継がれたって可能性はゼロではないよ。でもま、降水確率0.1%で傘を持ち歩く人はいなからねー」
そう淡々と話していく鋤崎。鋤崎が専門家であるが故に露見した嘘。彼女ほどでなければ気づかないようなことかもしれないが、それでも自分の注意不足だと愛生は反省する。
「までも安心していいよー。別に私は首を突っ込むつもりも邪魔するつもりもないからさー。愛生ちゃんが嘘を吐くときなんて大抵誰かのためなんだから、そこを邪魔立てするつもりはないよん。それに本当は黙っているつもりだったし」
だからこそ、と鋤崎は突然低く冷たい声で言う。
「人生の先輩として黙っておけなかったことを言わせてもらう。リナリアちゃん。あの子は正直言ってヤバいよ」
ヤバい、とそう言う鋤崎は普段と打って変わって冷たい口調だった。冗談のような恰好と不釣り合いな口調が、逆に彼女の言うことがおふざけではないということを確信させる。
「最初自己紹介した時に気づいた。知っての通り私の能力は精神感応系受信型のテレパスだ。フェーズが高い代わりに制御が聞かないっていう困ったちゃんだけど、偶然リナリアちゃんの心が見えちゃってね……結論から言って、あの子は私を見ていなかったよ。いや視線は向けてくれているんだ。でも、視界に入っていない。全く視ていない。そこら辺の石ころと私の値打ちがあの子の中では一緒なんだ。見る価値もないと見る前から言われたようなものさ。そして私だけじゃない。彼女はあまねく全ての人間を、万物を、これっぽちも視ていない。見てはいるけど視ていない、なんて冗談みたいだけれど、本当に彼女はそうなんだ」
何も見ていない何も気にしていない、彼女は世界に対して完全に心を閉ざしている。
鋤崎の続けた言葉に、愛生は確かにそうだと頷いた。何も反応しなくていいと言われていたけれど、今言わなければならない気がして愛生は告げる。自分もそうだと。
「僕もそう感じました。リナリアの見てはいるけど視ていない。あの子の目には僕は写っていませんでしたよ」
愛生の言うことを聞いて、鋤崎は何故か固まる。まるで愛生がおかしなことを言ったかのような顔して、固まった。
「……愛生ちゃん。君は何を言っているんだ?」
「へ?」
「いいかい? 私はこう続けようとしていたよ。彼女の目には愛生ちゃんしか写っていないんだとね」
リナリアの目には愛生しか写っていない。あろうことか鋤崎はそう言ったのだ。
「あまねく全てを視ていない彼女は、君だけを視ていた。彼女の視界、世界には君しか写っていなかった。この意味を取り違えてくれるなよ? 彼女の世界には君しかいない。つまり、他ならぬ彼女自身すらいないのさ。リナリアちゃんの世界には我王愛生、君しか存在していない」
その言葉に愛生は頭を抱えるような思いになった。確かにあの時自分を見ていたリナリアの目には自分は写ってはいなかったはずだ。見えていなかったはずだ。しかし鋤崎はそれを違うと言う。彼女の世界には愛生だけ。他ならぬ我王愛生だけが居座っていると。鋤崎がここまで言うのだから、それはきっと嘘ではない。あの冗談みたいな性格を押し殺してまで伝えてくれた出来事が嘘ではないと何故言える。
そうだとしたら、もしそうだとしたら――
愛生が見えなかったものは、
鋤崎が見たものは、
――一体なんだというのだろうか。
「一体何があったらここまで個人に依存できるかはわからない。彼女の心の在り様は私にも理解不能だ。しかしなんにしてもリナリアちゃんは君しか視えていなかった。だから、ゆめゆめ忘れないことだ。彼女にとって君のいない世界は『無』、ないも同然なのだとね」
何があったら、なんてそんなことは愛生にもわからない。それはきっとリナリアにとってのブラックボックス。簡単には触れられないもののはずだ。
触れてはならない箱。踏み込んではいけない領域。
改めて、彼女はそういう黒い場所が多すぎると愛生は思う。黒くて黒くて暗すぎて、きっと今まで誰も彼女の全貌を見ることはできなかったのだろう。迷う。踏み込んでいいのかと。でもきっとそうしなければ、一生彼女のことを理解できないだろう。それでも……と心の中の弱い自分が否定する。たった半月の付き合いじゃないか、そんなことをしていい権利は自分にはない。そう言って、言い訳をして、誰かがやってくれるのを自分は待っているのだと言うことが愛生には痛いほどわかった。
だけどそれでも踏み込むことは躊躇われた。踏み込んで、その領域を侵すには、リナリアは少しだけ脆すぎた。あの儚げな背中が脳裏に焼き付いている。傷一つない、精巧な人形のような体。その内の心まで傷がないだなんて、誰にわかるというのだ。傷だらけでひび割れた心が、愛生が触れた瞬間に粉々砕けてしまわないなんて誰が断言できる。
……僕のいない世界は、リナリアにとっての無。
それはなんて、滑稽な世界なのだろう。
ピピピピピ、と検査の終了を告げるアラームが鳴る。
「よし、しゅうりょー。お疲れ様愛生ちゃん。もうヘルメット脱いじゃっていいからねい」
いつもの口調に戻った鋤崎が言う。しかし愛生はすぐにはヘルメットを外さなかった。今、自分がどんな顔をしているかわからなかったからだ。




