第27研究所
結局、愛生はリナリアを連れて今日の用事を済ますことになった。
本当は駄目だと言うつもりだった。そう言わなければと思っていた。だけどリナリアを前にしたら、愛生は何も言えなくなってしまった。さっきまであんな声で怒っていたのに、この小さな女の子が自分を守ろうとしているとわかると、途端に無下にできなくなってしまったのだ。これも弱さだよなぁ、と愛生は自分自身落胆しながらも、リナリアが気に入っているらしい灰色のパーカーを着て、早く出かけようと言わんばかりに愛生の手を取った時はこれでよかったのかもしれないなんて、そんな風に思ってしまったりもした。それは諦めや妥協でもあるが。それでもリナリアがいいのなら、それが一番だと愛生は思う。
「愛生、前を見てください。信号は赤ですよ」
そう言われて、愛生は自分がボーっとしていたことに気づく。顔を上げると、交差点の信号が丁度、赤に変わるところだった。
「ああごめん千歳。ボーっとしていた」
愛生は自分の左隣にいる千歳に苦笑いを返した。リナリアも行くと言うことになり、それならと千歳も一緒についてきていたのだ。
「それで千歳? つかぬことをお伺いするんだけど……この体勢は一体……」
今愛生の右手はリナリアが掴み、左手は千歳が掴んでいる。護衛の意味もありリナリアとは家を出たときから手を繋いでいたのだが、何故か気づいたら千歳まで愛生の手を握っていて、この状況だった。色々と意味が分からず千歳に尋ねるが、彼女はわざとらしく首を捻る。
「何かおかしなところがありますか?」
「おかしなところがあるというか、おかしなところしかないというか……普通こういうのって、リナリアを間に挟んで三人で手を繋いで、僕たちなんだか夫婦みたいだね、とかそんな感じになるんじゃないのか……?」
「え、愛生と夫婦? 嫌ですよそんなの!」
「辛辣すぎる!」
「まあまあ。両手に花だと思えば男としては中々優越な状況でしょう?」
「片方は茨だけどね」
「何か言いましたか?」
「あ、いえ。なんでもないですごめんなさい。ほんと勘弁してくださいすいませんでした」
千歳の顔に怒りマークが浮かび上がっていく。あ、やばいと妙に冷静に危機的状況を確認した愛生の右手をリナリアがくいくいと引っ張った。
「ん、どうしたリナリア」
千歳から逃げるように視線をリナリアに向ける。リナリアは何かを指さしていた。いそいそと何かの作業を続ける人の姿。屋台のようなものをくみ上げている人たちにリナリアの指と視線は向けられていた。
「あれ、何してるの?」
なんだあれが気になるのか、と愛生が聞くとリナリアは頷く。
「あれはな、お祭りの準備をしているんだよ」
「お祭り?」
「そ。ここは中央通りって言って。ラボラトリの端から端までを真っ直ぐ繋ぐでっかい通りなんだ。毎年七夕の時期になると、ここで一週間くらいかけて大きなお祭りが開かれるんだ。中央通りを丸々使ってやるもんだから、今から準備しないと間に合わないのさ」
愛生の説明を聞いて、リナリアはへぇと小さく声を漏らした。その反応が気になった愛生はも少し、畳み掛けてみる。
「もし七夕までリナリアが僕のところにいるんだったら、連れて行ってあげるよ」
愛生の予想通り、リナリアはいつもの無表情を一瞬だけ崩して愛生の顔を見上げた。いいの? とそう言っているようだった。愛生が笑うと、リナリアはどうしてか俯いて顔を伏せてしまった。
「いいんですか? そんな約束して」
千歳が愛生のように少しだけ笑いながら言った。いいんだよ、と愛生は返す。
「リナリアだって、ずっと家の中じゃあ気がめいるだろう」
信号が青に変わった。さ、行こうと三人は歩き出す。リナリアがきゅっと自分の手を強く握ったような気が愛生はした。
++++++++++
愛生の向かう研究所は新居から駅を五つ跨いだ場所にある。一見なんの変哲もない七階建てのビル。そのビルがそのもの、超能力研究特別区域第27研究所だった。
そのビルの前までくると、リナリアは急に足を止めてしまう。怖いのかと聞くと、リナリアは首を横に振る。
「愛生は、どうしてこんなところに来なくちゃいけなかったの?」
小さな声でリナリアは言った。こんなところと言われて、少しだけ愛生はどきりとしたが、それは顔に出さないように答える。
「前に言ったろう。僕は超能力者だけど、同時に無能力者でもあるんだ。僕の頭の中にはナギサや千歳と同じようにESP細胞があるのに、肝心の能力がない。この現象は世界でも僕だけに現れている稀有なものらしくて、能力を失くした当時は色んな研究者たちが能力喪失の秘密を解明しようと躍起になっていたものさ。まあ結局わからずじまい、おまけに将来性もないなんて言われて今じゃただの落ちこぼれだ。でも、研究はストップしていても能力喪失が前例のない現象だということには変わりないからね。何か体に異常が起きていないか、定期的に調べてもらいに来るんだ。今日はその日なんだよ」
だから怖い事なんてないんだと、愛生はリナリアに言い聞かせる。
「ここは、リナリアがいたとことは違う。だから大丈夫だ。それに、いざとなったら僕がいる」
それは自分に言い聞かせているような言葉でもあった。
「……うん。わかった」
そう言って、リナリアは歩き出す。それに続くように愛生と千歳も中に入って行く。その、中へ。
++++++++++
「いらっしゃいませ。ここは超能力研究特別区域第27研究所です。ご用件はなんでしょうか」
中に入ると、まず受付があった。そこには眼鏡をかけた男が座っていて、機械的と言うよりかは台本をそのまま読んでいるかのような声で愛生たちにそう話しかけた。愛生は定期的にこの研究所を訪れているので、大抵の場合顔を見ただけで通してくれるのだが、この男は違うようだった。愛生も見たことのない人なので、新人なのかもしれない。
「えっと、鋤崎所長に呼ばれているんですけども……」
「お名前は?」
「我王愛生です。我こそは王、愛に生きると書いて我王愛生です」
「がおう、あおい……」
ペラペラと手元にある資料と思しき何かをめくりながら男は呟く。
「随分アンバランスな名前ですね。苗字は厳ついのに、名前は可愛らしい」
「はぁ」
褒められているのだろうか、そうじゃないのか判別が付きにくい。仕方なく生返事を返すと、男は資料パタンと閉じて一言。
「お帰り下さい」
あまりに急な拒絶に愛生は思わず「は?」と聞き返してしまう。
「ですから、お帰り下さい。今日所長は誰かに会われる予定はありません。この資料にあなたの名前がない以上、ここを通すことはできません」
まいった、この新人さんかなりの堅物だ。どうしてこう、この研究所には変わった人が揃うのかと愛生が呆れていると、受付の奥の方から愛生の見知った人物が歩いてきた。
「ちょっとちょっと岩波ちゃん。失礼に扱わないでよ。その子は確かに私のお客様だよん」
やっほー愛生ちゃん、なんて気楽に手を振りながらこちらにやってくる女性こそ、この研究所の所長であるところの鋤崎だった。アニメや漫画にありそうなぐるぐる眼鏡をかけ、小柄な体に不釣り合いな大きな白衣をまとい、長い髪をツインテールにするという、インパクトのある見た目をした女性。彼女はそのツインテールを揺らしながら、岩波と呼ばれた男の隣まで来た。
「ごめんねぇ愛生ちゃん。この子新人だからまだ勝手がわからなくてねぇ。おまけにちょー頑固だから許してあげて?」
ほら謝って岩波ちゃん、と言って男の肩に手を乗せる。何をするかと思えば岩波はその手を思いっきり払った。
「謝るのはあなたです所長。客人が来るときは前もって私に連絡を通してくださいと何度も言っているでしょう」
「あれーそうだっけ?」
にゃはははは、と変な笑い声を出す鋤崎。ヘラヘラとした態度からは想像もつかないが、この研究所の最高責任者である。鋤崎は笑いながら、愛生と、その両隣の二人を見やる。
「しっかし愛生ちゃん。今日は彼女なんか連れてどうしちゃったのよー」
「いや、そういうんじゃないんですけどね……」
「で、そっちの眼鏡の子はお姉さんか何か?」
「彼女ってこっちのことかよ! やめてください人をロリコンみたいに」
「でも最近の男の人って大体ロリコンなんでしょ」
「とんでもない偏見ですよ……」
「ちなみに私はショタコンだよん」
「聞いてません」
愛生は鋤崎に千歳とリナリアを紹介する。もちろんリナリアは親戚の子という設定だ。今日はこの子の面倒を見なくてはいけないので連れてきた。千歳は愛生が検査を受けている間、リナリアの面倒を見てくれる約束だということを鋤崎に伝えると、彼女はニヤニヤ顔でリナリアに話しかける。
「初めまして、リナリアちゃん。私は鋤崎小石。この研究所でしょちょーをしているめちゃんこ可愛い女の子さ」
リナリアはなんと言っていいのかわからないのか、それとも研究職の人間に怯えているのか、愛生の足に隠れるようにして鋤崎から逃げてしまう。
「ほほう。シャイなのかにゃ。その個性は大切にしたほうがいい。今どき活発すぎる子は嫌われるからねい」
そんな冗談みたいなことを言ってから、鋤崎は視線を愛生に戻した。
「子供を連れているんだったら丁度いい。前に言っていた施設が完成したから、愛生ちゃんの検査の前にそっちに行こうじゃないか」
そう言って、誰の意見を聞く事もなく鋤崎はすたすたと歩いて行ってしまう。相変わらずだなぁと思いながら、愛生もその後ろについて行った。
鋤崎に連れられてエレベーターに乗る。二階のボタンを彼女が押した。
「それで、どこにいくんですか」
愛生は鋤崎に尋ねる。あそこだよあそこーと気の抜ける声で鋤崎は言う。
「この前話したじゃん? うちにも養護施設を作るって話。それが完成したんだよ。もう子供たちもいくらか入っているし、みんなリナリアちゃんと同じか下くらいの子たちだから、愛生ちゃんの検査が終わるまで預けておこうよってね。丁度いいでしょ?」
勝手に話が進むので不安になったのか、リナリアはじっと愛生のことを見つめていた。
「あの、鋤崎さん」
と、千歳が鋤崎に質問する。
「施設、というのは子供を預かる施設のことですか?」
「そだよー。超能力者は等しくラボラトリに住まなければならないー。でも幼稚園児だとか小学生だとか、独り暮らしをさせるにはちょーっと幼すぎる子たちのためにラボラトリにはいくつもの保育施設や養護施設、いわゆる管理者の目の届く集団生活を提供する場があるんだけど、最近はこうやって研究所に隣接しているものも増えててねー。血液サンプルだとか危なくない程度の実験に協力してもらう代わりに普通の施設よりも費用が割安なんだよん。保護者の民様からはこれが意外と好評でねー。うちの研究所も波にのろうぜって作ったのだよ」
エレベーターは二階で止まり、鋤崎は降りていく。愛生は急いで『開く』のボタンを押してナギサと千歳を先にいかせた。
鋤崎は突き当りの部屋まで一人で行ってしまう。そこで振り返り、愛生たちを呼ぶ。
「早く早くぅ」
子供のように手を振る鋤崎。これで責任が務まるのかどうか、いつも愛生は不安になる。余計な不安でしかないのだが。
全員が揃うと、鋤崎は扉に手をかけて、勢いよく開けた。
「いぇーい! みんな元気してるー?」
部屋に入るなり、鋤崎は子供のようにはしゃいだ声で叫ぶ。部屋の中は青い壁紙に黄色い床という派手なパステルカラー。子供用の小さな椅子や机、玩具などが散乱する中に施設の住人らしき子供たちがいた。人数は五人。リナリアと同じくらいの年齢の男女と、リナリアよりも小さな男児二人と女児。鋤崎が部屋に入るやいなや、五人はパァッと顔を輝かせ、鋤崎のもとへかけよる。
「小石ちゃんだ!」
「おはよう小石ちゃん」
駆け寄ってきた子供たち一人一人の頭を撫でていく鋤崎。みんな嬉しそうな顔をしている。微笑ましい光景のはずだが、愛生はそんなことよりも鋤崎が子供たちに小石ちゃんと呼ばせていることの方が気になった。
何やってんだ、この人。
「みんなー。小石ちゃんから嬉しいお知らせでーす! 今日はなんと特別ゲストが来ていまーす!」
言って、鋤崎はリナリアの手を取って無理矢理前に立たせる。強引すぎる気もしたが、やはり研究所に来てから少しビクビクしているリナリアを慣れさせるには丁度いいだろと思い、愛生は何も言わずに見ていた。
「名前はリナリアちゃん。性別は可愛い女の子! ちょっぴりシャイだからみんな仲良くしてあげてねん」
まるで示し合わせたかのように五人の子供たちは全員揃って返事をする。すると五人の内の男児の一人がリナリアを指して言った。
「髪、灰色だー。変なのー!」
それを境に、子供たちは一斉にリナリアを指して話し出す。
「こら、そういうこと言っちゃ駄目なんだよ!」
「変なものは変だもん」
「あたし知ってるよ。こういうのれっせーけいしつって言うんだよね」
「そうだよ、だからだいじょうぶだよ、変じゃないよ」
「うん。綺麗な色だよ」
それぞれ思い思いの言葉を口にする。一番年長と思しき女の子がリナリアの手を取った。
「リナリアちゃん。一緒に遊ぼ」
そう誘われたリナリアだったが、何が起こってるのかわかっていないのか、黙ったままだった。愛生はリナリアの近くによって、屈んで目線を合わせる。
「それじゃあリナリア。僕は行くけど、どうする? ここにいるのが嫌だったら、着いてきてもいいんだぞ」
少しだけ間をあけたあと、リナリアは首を横に振った。行かない、と。そう言ったのだ。
「大丈夫。愛生の邪魔はしないよ」
それに、と顔を伏せてから続ける。
「ここ怖くないね。みんな笑ってる。楽しそう。愛生の言う通りだ」
それだけ言って、リナリアは女の子に手を惹かれて行った。
……その言葉が聞けただけでも、リナリアを連れてきた意味はあったのかもしれない。
諦めや妥協ではなく、本心から愛生はそう思えることができた。
「あの、鋤崎さん。私もここに残っていいですか? 愛生の検査を見ていてもつまらないですし、子供好きですので」
そんなリナリアの姿を見ながら、千歳が言った。鋤崎はそれを了承する。
「じゃ、愛生ちゃんは私が貰ってくねー」
鋤崎は愛生の腕に自分の腕を絡ませて、強引に愛生を引っ張っていく。やれやれと苦笑しながらも、悪い気はしないのは、今自分が上機嫌だからだろうか。




