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暗殺者乾の完璧すぎる仕事

 新居に移った愛生は早速言葉を失った。いやそもそもこのマンションは外観からしておかしかった。見上げるのが嫌になるほど高く、ロビーには警備ロボットの他にドアマンまでいたし、床に敷き詰められた絨毯はおもしろいほどフカフカだった。そして従業員らしき男からカードキーを渡され、五階の三番目の部屋。503号室に向かう。嫌な予感を全身に感じながら扉を開けると、愛生が前まで住んでいた場所の二倍はあろうかという部屋が現れた。

「このリビングの他に部屋は二つ。寝室も一つ用意されています」

 愛生の驚きを知ってか知らずか護堂は流暢にまだこれ以上あるのだと説明する。

 本当に残念なことに愛生の嫌な予感通り、ここはいわゆるところの高級マンションだった。それも、とんでもなく値の張る奴だ

「荷物は全て乾が運び込んでおりますので、私はこれで。最後まで手伝いたいところなのですが、生憎と予定が詰まっていましてね」

 それだけ言って、愛生がお礼を言いそびれてしまう程いそいそと護堂は姿を消してしまった。

 残された愛生は部屋をぐるりと見て回る。家具や調度品も完備されていて、シンプルで使いやすく、それでいてオシャレな雰囲気も忘れない作りをしている。床はフローリング。テレビやソファがあり団らんの場所であろうスペースにはロビーで見たものよりさらにふかふかな絨毯が敷かれていた。

「お、落ち着かねぇ……」

 確かにいい部屋だ。しかし、いい部屋すぎて落ち着かない。染みついた庶民の感覚ではこの部屋は綺麗すぎた。

 そういえばラボラトリで暮らし始める時も帝はこういう部屋を勧めていたなと、愛生は今更になって思い出した。

++++++++++

 そわそわしていても仕方ないので早速荷解きをすることに。これだけ広い部屋なのだ。まずはどこに荷物を置くかを考えなくてはいけないのだが、それよりも前にやることがあった。

「さてと、それじゃあリナリア。リナリアはどの部屋がいい?」

 そう聞かれたリナリアは質問の意味が分からないようで首を傾けてしまう。

「いや、これだけ部屋数があるんだから、まず決めることといったら自分の部屋をどこにするかだろう?」

「……リナリアの部屋? 用意してくれるの?」

 ますますリナリアは首を傾げる。

「当たり前だろう。てゆーかそうでもしないと使わない部屋とか出てきちゃうだろ」

 そっか、と呟いてリナリアはそれぞれの部屋を物色し始める。愛生もさっき確認したが、正直この三部屋に大きな違いは見受けられなかった。どれも同じつくりだし、寝室をわざわざ分けている割にはどの部屋にもベットは完備されていた。寝室のベットだけがキングサイズだというだけだった。違いは本当にそれだけ。それだけの違いで果たしてリナリアはどこを選ぶのだと興味深く観察していると、リナリアは部屋の中から愛生に一つ質問を投げかけた。

「愛生の部屋はどこにするつもりなの?」

 質問の意図はよくわからなかったが、まあ他愛ない会話の一つだろうと気にせず答えた。

「基本はリナリアが選ばなかったところだけど、僕は寝室にしようかなと思ってたよ」

 愛生にはかさばる荷物はないし、これだけ広いリビングがあるのだ。今までは一緒くただったし、基本的にリビングで暮らし部屋は寝るだけの場所になるだろう。そう考えるとやはり寝室がいいと愛生は思う。他の部屋と違いキングサイズのベットの用意されている寝室はそのおかげで使えるスペースが少し狭くなっているのだ。それでも前の住居よりは大きいのだから文句はないが……できればリナリアには少しでも大きい部屋を使わせてあげたかった。

「じゃあ、リナリアはここにする」

 そう言ったリナリアがいた場所は寝室の隣に位置する部屋だった。もう一つの部屋は寝室の対面にある。勿論二つの部屋に違いはないからリナリアは適当に今いる部屋に決めたのだろう。

「ここでいいのか? 別に僕に気を遣わなくてもいいんだぞ。あの大きいベッドで寝たいーとかはないのか?」

「こっちのでも十分大きいよ」

 そりゃそうかとリナリアの小さな体を見て愛生は微笑んだ。

 部屋が決まれば早速荷物を運び入れることになる。リナリアの荷物は未だレールタウンのロッカーで眠っているので、運び出すのは日用品と愛生の私物だけ。かさばる物は持たない愛生なので、整理しなくてはならないとなると服くらいのものだった。

 さてそれでは服はどこに入っているのかと乾が運んできたであろうダンボールの数々を見ると、それぞれ紙が張り付けてあり、食器、衣類、書籍などと書かれていた(それも毛筆で)。なんて気の利く暗殺者なんだろうと愛生は感激しつつ、衣類の箱を手に取る。すると、その下に他よりもいくらか小さいダンボールを見つけた。張り付けられた紙には『H』とだけ書かれていた。一体なんだろうと思い衣服の箱を置きその『H』と書かれたダンボールを開封する。開封した瞬間、愛生は眩暈のするような衝撃を受けた。そういえばそうだった。何故それに思い至らなかったのか。他人に荷造りを任せるということはこういう事態を引き起こすことでもあるのだ。

 端的に言って、そのダンボールの中身はエロ本だった。年頃の男子なら誰でも一つは持っているであろうお宝の数々。千歳にさえ見つからない愛生だけの秘密の場所に隠してあったそれを乾はいとも簡単に見つけ、ご丁寧にジャンルごとに仕分けしてここまで運んできてくれたのだった。

 仕事が完璧すぎる……!

 無論その完璧な仕事は結果として愛生を傷つけることに他ならないのだが。ただ愛生としては羞恥よりも暗殺者にエロ本のジャンル分けなんてさせてしまった申し訳なさの方が大きかった。というか、そこまでするくらいならいっそ捨ててくれと思った。

「どうしたの?」

 ダンボールの中身と睨めっこしたまま動かない愛生にリナリアは尋ねた。愛生は引きつった笑顔で大丈夫だと答えて、何よりもまずこの『H』を自分の部屋に避難することから始めることにした。リナリアの手の届かない所に置いておかなくちゃな、と愛生はため息交じりに自分の部屋になる寝室に引っ込んだ。

++++++++++

 それからしばらく愛生は慣れない新居(高級マンション)暮らしに悪戦苦闘する日々が続いた。何よりも大事に思われた高級すぎて落ち着かないという感覚は、意外なことに三日も立たずに消えてしまった。住めば都と言うし、もとより都であるこの部屋は慣れてしまえば想像以上に快適なものだった。ただホテルの係りの者が毎日掃除しにくるという驚愕のサービスは愛生にとって強襲以外の何物でもなかった。千歳のように心許した人物ならともかく、赤の他人に自分の部屋を掃除させるほど愛生は周囲に対してオープンになりきれないので、フロントに断りを入れることで、毎日の強襲は回避した。その時のフロントの対応や、終始ドアに張り付いているドアマンの存在を見るに、ここが前に住んでいたところよりもかなり防犯性に優れた住居であることはなんとなく察しがついた。あの帝が言うのだから間違いなどないのだろうが、それでもここまで強引に引っ越しさせられたので、愛生はいくらか不安だったのだ。

 他にも引っ越しをしたという報告を受けて遊びに来た千歳が自身の部屋とのあまりの違いに露骨に機嫌を悪くしたこともあった。あまりに辛辣な悪態を吐き続けるのでついに愛生は折れて、余っていた部屋を千歳の自由に使っていいと差し出した。そうするとさすがの千歳を機嫌を取り戻した。まあ本当のところ、愛生は余っていた部屋は最初から千歳にあげるくらいのつもりでいたので自然に差し出す理由ができたと安心していた。千歳は愛生の部屋によく遊びにくるのだが、前の住居とは違い千歳の家からは少し離れてしまったので、だったらたまにでも泊りに来ればいいと愛生はそう考えていたのだ。千歳だったら、毎日でもいいくらいだ。

 リナリアはというと、合いも変わらず何を考えているのかわからない無表情。それでも初めの頃と比べれば彼女との関係も随分良くなってきたかのように思われる。特に新居に引っ越してきてからはリナリアの態度が少し柔らかくなったような気が愛生はしていた。それも愛生が気がしているだけのことなのかもしれないが、それでも進歩は進歩だと愛生は前向きに考えていた。

 連日のコンビニ弁当生活がばれて、子供になんてものを食わせているんだと千歳に怒られたり、仕方ないからと頑張って作った手料理は酷評されたり、あまりにも平和に日々は過ぎていく。本当にこれでいいのかと、せっかくの平穏を疑う自分の性分が嫌になるが、それでも愛生は大丈夫なのかという不安を拭いきれない。

 何かの間違いのような日々は、もう半月が過ぎようとしていた。

++++++++++

 朝起きると、愛生はとんでもない衝撃を受けた。最近で一番の衝撃はもちろん例の『H』の件だが、今回はそれを上回るんじゃないかという大物だった。

 状況は簡単、自分のベッドにリナリアが忍び込んでいた、以上。

 たったそれだけのことで愛生は稀に見る混乱を起こしていた。だってそうだろうと、愛生は自身に語りかける。あのリナリアが、だ。無表情無愛想無感動の彼女が、まるで子供のように自分のシャツの胸の辺りを掴んで寝ている姿を愛生は見れるとは夢にも思わなかったのである。こんな風に、普通に懐かれるなんて、思ってもいなかった。

「うわぁ、感動……」

 思わず漏れた言葉が、愛生の気持ちの殆どを表していた。

「おはようございます、愛生」

 と、そんな感動に水を差すような声が愛生の耳元で囁かれた。何事かと思い視線をリナリアからその声をの方向に移すと、いつもの幼なじみの姿がそこにあった。

「何やってんだ千歳、お前まで……」

 千歳が家にいることは、昨日泊まりに来たと言う事実を知る愛生にとって驚く事ではないが、しかし自分のベッドに入り込んでいるとは思ってもいなかった。なんだろう、今日はみんなしてベッドに潜り込む日なのだろうかなんて思っていると、千歳は体を起こした。

「昨日の夜中、トイレに起きたら偶然愛生の部屋に入り込むリナリアちゃんの姿を見つけたので、便乗しました」

「便乗って……」

「トイレだけに便を乗せたのです」

「いや意味が分からない。さては寝起きか」

「寝起きですね」

 誰が寝起きかといえばどっちも寝起きだった。

 しかしリナリアがベッドに入っているとおっかなびっくり驚愕の極みだが、千歳がベッドにいても愛生的にはあまり驚くに値しない。なんでこいつ僕のベッドなんかにいるんだろうと思うくらいだ。小さい頃は一緒の布団で寝たこともあったし、何より千歳はどれだけ近いところにいようと違和感がない。そんな幼なじみを指して愛生は昔「千歳は空気みたいだな」と言ったことがある。勿論愛生はいい意味で言ったつもりだが、千歳はそういう風に受け取らなかったようで、その時はしばらく口を聞いてもらえなかった。言葉は難しいと、愛生はいつも思っている。

「……随分と懐かれたようですね」

 千歳が愛生の横で眠るリナリアを見て、そう呟いた。そうだろうか、と愛生は首を傾げる。前向きに考えていたはずが、つい本心が口から漏れる。

「正直、僕にはリナリアが何を考えているかわからないよ」

 その弱気な言葉を愛生は止めようとはしなかった。溢れ出てしまったものは仕方ない。何より、千歳の前で隠し事ができるとも思っていなかった。

「そんなにわかりにくいでしょうか。私よりもわかりにくい女なんてそうはいませんよ?」

「千歳は特別だよ。昔から一緒だ。でもリナリアは違う、この前あったばかりだ。それに、この子が背負っているものは僕には重すぎる」

 研究所にいたという。超能力者を人とも思わぬ人間の巣窟。一体どんな非道な実験が行われていたのか、それを想像することは容易い。けどそれは所詮想像だ。自分の頭の中のできごとにすぎない。妄想の産物は、それ以上のリアルを持ちえない。だからこそ、愛生は軽々しくリナリアの気持ちをわかるなんて口にしたくなかったし、やっぱり彼女の気持ちなんてわからなかった。

「確かにそうですね」

 愛生の弱音を、千歳は当たり前のように受け止める。

「リナリアちゃんは少し、いやかなりわかりにくいかもしれません。でもリナリアちゃんの気持ちはわからなくても、その逆もそうだとは限らないのでは?」

「逆?」

「リナリアちゃんはきっと、あなたの気持ちはわかっていますよ」

「でも、そうだとしたら、余計に懐かれてるはずがないよ」

 自分の心ほど、信頼に値しないものはない。そう言う愛生に千歳は何も言わずに微笑んだ。

「な、なんだよ」

 その笑顔に愛生は思わず顔が赤くなった。同い年なのに、どうしてか愛くるしい子供を見ているような千歳の笑顔。愛生は慣れないものを見ているような気がして、目を逸らす。くすり、と千歳が笑った。

「そろそろ起きましょうか。リナリアちゃんも起こしてあげないと」

 この話はおしまいだと、そう言って千歳はベッドから降りて立ち上がる。愛生が枕元にあった眼鏡を千歳に渡すと、それを付けて彼女はぐぐっと腕を上げて伸びをした。

「愛生も、いつまでもそうしてリナリアちゃんを抱いていないで、早く起きなさい。今日は鋤崎さんのところに行くんでしょう?」

 千歳に言われて、愛生は今日の日の予定を思い出した。ふぅ、と軽くため息を吐く。

++++++++++

「どうしたの?」

 朝ご飯のパンをかじりながら、リナリアは愛生に問いかけた。それが「今日は見慣れない服を着ているけど、どうしたの?」という意味だとわかるくらいには、愛生はリナリアとの意思疎通が円滑に進むようになっていた。初めの頃は口数の少ないリナリアの言いたいことがわからず何度も聞き返していたのだから、成長はしていたのである。それでも、言いたいことがわかってもそれは結局それだけで、彼女の心まではわからないままなのだが。

「今日はちょっと出かけなきゃいけない用事があってさ。午前中だけで済むと思うから、悪いけどその間は千歳と一緒に留守番しててくれ」

 そういう愛生が来ている服は制服。帝が紹介してくれたマンションの警備に不備があるとは思えないが、大事をとってこの半月ほど学校は欠席(無断)している愛生だった。しかし今日はどうしても外せない用事があった。直接学校と関係あることではないが、制服の方が都合がよかったのだ。

 リナリアは少しの間頷くこともせず黙っていた。こういう時は決まって、リナリアは次の言葉を考えている。リナリアは口数が少ない。それもなんというか、次に何を言うべきか常に考えて話しているようだと、愛生はずっと考えていた。しかもリナリアのそれは慎重さからくるものではなく、単純に慣れていないことをしているような感じがした。もしかしたら、この子はあまり人を話したことがないのかもしれないと、そんな考えが頭をよぎった時、リナリアは一言だけ口にした。

「リナリア、聞いてないよ」

 それは色んな意味のこもった聞いていないだった。少しだけ、愛生を非難する響きを持っていた言葉。ごめん、と愛生は反射的に謝る。

「でも、今日いく場所は……知り合いの先生のいる場所。その、超能力の研究所なんだ。だからリナリアにはあまり話したくなかったというか……本当にすぐ戻るからさ、千歳とふたりで――――」

 しどろもどろになって言い訳する愛生。そんな愛生をまっすぐに見つめて、リナリアは物言わぬ視線のまま言った。

「リナリアも行きたい」

 その瞬間、愛生は自分の中で何かが爆発したのを感じた。

「何を言ってるんだお前!」

 自分でも驚くほどの声で愛生はリナリアを怒鳴りつけた。びくり、とその小さな体が震える。それほどまでに愛生の声は怒りに満ちていた。千歳だけは平気な顔をしていたが、それも内心はどう思っているかはわからなかった。

「あ――ご、ごめん」

 まるで一瞬で火の消えてしまう花火のように、途端に愛生の声から怒りは消え、バツの悪そうな響きだけが残った。

「でもリナリア。行きたいなんて、そんなの駄目だ。だってお前……言ったろう? 今日行く場所は研究所なんだ。お前を行かせられるわけがない」

 その日初めて、愛生はそのことに触れた。この半月、意識的に、あるいは無意識的に避けてきた話題。リナリアという少女が抱える重たすぎるもの。その色の見えない何かを、愛生は初めて直に触った。

「僕にはわからない。お前が何を思っていたのか、どうして自分から話してくれなかったのか。僕には、わからない。でもリナリア、お前はその研究所から逃げてきたんだろう? もう嫌だから、帝さんに助けられて来たんだろう?」

 勿論、今日これから愛生が行く場所はリナリアとは縁もゆかりもない真っ当な人間のいる真っ当な研究所だ。だけど、それでも、愛生にはリナリアをそこに連れて行くことが憚られた。わからないからこそ、想像してやることしかできないからこそ、不用意に彼女の傷に踏み入ることなんてできやしないのだ。

「でも、愛生がいる」

 驚くことにリナリアは引き下がらなかった。愛生がいる。だから大丈夫だと言う。

「愛生がリナリアを守ってくれるでしょ?」

「確かにそうだけど……」

「なら大丈夫だよ」

「馬鹿言うな! それとこれとは話が違う。何考えてんだよお前、どうしてそんな――」

 と、言いかけていた愛生の腕を千歳が取った。愛生が何か反応を返す前に千歳は愛生を引っ張って愛生の部屋に連れ込んだ。そうして扉をしっかりと閉める。

「なにすんだ千歳。お前からも、言ってくれ。そうじゃないとあいつ……」

「そのことなのですが」

 千歳はその固い表情を崩さないまま続ける。

「どうしてリナリアちゃんが行きたいなんて言い出したのか、愛生はわかりますか?」

「わかるわけないだろう。そんなこと、僕が聞きたいくらいだ」

「ですから、落ち着いてください。落ち着いて考えればわからなくはないはずです」

 そうは言っても、愛生の心は簡単には落ち着けない。自分の感情を制御する術を愛生は知らない。

「どうして、どうしてなんだ。教えてくれ千歳。どうしてリナリアはわざわざついて行きたいだなんて……研究所なんて、あいつにとってはトラウマの塊みたいなものだろう? 例え違う場所でも子供の目でみれば同じように見えるんじゃないか?」

「そうですね。リナリアちゃんにとっては研究所というのは行きたくない場所、端的に言って敵そのものでもありますからね」

「じゃあどうして!」

「行きたくない場所にそれでもついて行く理由ですか? それは簡単です。あなたが行くからですよ、愛生。リナリアちゃんは愛生が行くから行くと言っているんです」

 その言葉の意味が分からず、愛生は固まってしまう。ですから、と千歳はもっと簡単に言う。

「リナリアちゃんにとって研究所というのは敵。そんなところにあの子はあなたを一人で行かせたくないのですよ」

「なんだよ、それ。じゃあリナリアは僕のためについて来ようとしているってのか」

 そんなのはおかしい。だってリナリアを守るのは愛生の役目だ。そう言われたし、そう誓った。他でもない我王愛生が立てた誓いだ。なのにリナリアは自分を守る人間を守ろうとしているのか。

「私としても予想外のことではあります。ですが、あの子がここまで強情になるなんてそれくらいしか考えられません。この半月、リナリアちゃんが愛生の言いつけを破ったり、言うことを聞かなかったり、わがままを言ったり何てことはなかったでしょう? あの子はあくまで良い子でいたはずです」

「……わからないよ」

 わからない、と愛生はこぼす。

「それこそどうしてなんだ。どうしてリナリアは……」

「それは私にもわかりません。リナリアちゃんがここまでするとなると、ただ単純に愛生に懐いている以外の理由があるはずです。でもそれは不明瞭だ……」

 千歳はぶつぶつと自問自答のような呟きを繰り返していた。その言葉に一つ一つ耳を傾けるほど、愛生の脳に隙間はない。今愛生は、リナリアの不可解な行動で一杯一杯だった。

「とにかく。わかっていることは、リナリアちゃんはあなたのためについて行こうとしているということです。これを駄目だと突っぱねるのは簡単でしょう。愛生がきちんと言えば、それを聞けないほどリナリアちゃんは物わかりが悪くはないでしょう。どうするかは愛生に任せます」

 どうするべきか、その選択を愛生は迫られている。ぐるぐると頭が痛くなるほどに愛生は思考を繰り返す。すでに出ている答えを何度も何度も上書きする。それしかないと、それ以外にないと言い聞かせるように。

「僕は――」


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