世界最強からの呼び出し
翌日。いつもよりも早く起きた愛生は自分とリナリアの分の朝食を作った。
いくら料理をしないからといって、愛生の家に何も食材がないわけではない。そうは言ってもパンやハムくらいのたいして調理をしなくても食べられるものばかりだが、それでも簡単な朝食くらいは愛生にも作れた。焼き立てのトーストをハムと一緒に頬張るリナリアを見て、愛生は少しおかしくなって笑ってしまった。そういえば昨日は何も食べないまま寝てしまったな、可哀そうなことをしたかなと反省。育ちざかりのリナリアにとって空腹はさぞ辛いことだろう。またしても愛生より早く食べ終えてしまったリナリアの前に新しいトーストを出してやると、迷うことなく手を付けた。それを見て、また笑ってしまう。
「ねぇ、愛生」
トーストを頬張りながら、リナリアは愛生に尋ねた。
「愛生は、能力を持っていないんだよね」
「そうだよ。僕は無能力者だ」
「じゃあ、どうしてラボラトリで暮らしているの?」
それはもっともな質問だった。ラボラトリは超能力者の街。能力を持たない一般人はラボラトリ人口のわずか三割程度。それも、殆どが研究職や教育者。ただの一般人がラボラトリで暮らす通りはないし、まず許可が下りないだろう。
「僕はただの無能力者じゃないんだよ。リナリアは、ESP細胞って知ってるか?」
「ううん。知らない」
「ま、そうだよな。ESP細胞っていうのは通称で、正式名称は超能力特異的発現細胞って言って、要は超能力者が持っている特殊な細胞のこと。能力を持つ人はみんなこれを持っている。リナリアも持ってるはずだよ。なんのためにあるのかはわかってないんだけど、今のところ超能力者とそうでない者を確認する唯一の手段なんだ。僕は無能力者だけど、それを持ってる。こんなんでも昔はちゃんと能力を持った超能力者だったんだよ。でも、両親の死んでしまったあの事件以来、何故か僕の能力は無くなってしまった。能力は無くなったけどESP細胞は残っているから政府の規定からすれば僕は能力者なんだ。だから、ラボラトリで暮らさなきゃならないんだよ」
とは言ったものの、帝の仕事を手伝うため彼女と一緒に世界各国を飛び回っていた時期もある愛生なので帝に頼めば別にわざわざラボラトリで暮らさなくてもよかったのだが、それでもやはりルールはルールだと従っている。超能力者はラボラトリで暮らすべきだ。しかし正直なところそういうのは全部建前でラボラトリには千歳がいるからというのが大きな理由だった。きっと千歳が能力を持たない一般人だったなら、愛生はラボラトリには来なかっただろう。
「能力が無くなることって、よくあることなの?」
「いや。そんなことはない。むしろ世界中でも僕が初めてだったはずだよ」
「そっか」
それだけ聞いてリナリアは再びトーストにかじりついた。
お腹が膨れて満足したリナリアは膝を抱えて朝のニュース番組をじっと見ていた。あのアニメを面白いと言っていたリナリアからすればニュースなんて面白くもなんともないだろうにと思いながら、愛生は今後について思考を巡らす。
やらなくてならないことはたくさんある。それに、気になっていること、そのままにできないこともだ。しかしどうにも思考がまとまらない。間違いなく昨日の夜のことのせいだ。この小さな女の子の前であれだけの醜態を晒しておいて、今朝もなんなく生きている自分に違和感を覚え、その一方でそれを当然と受け取る自分もいてもう滅茶苦茶だ。早いとこ落ち着かなければと焦るだけ思考は想定外の方向を向いてしまう。ああそういえばリナリアは好きな食べ物とかあるんだろうか、せっかくなので今日はリナリアの好きなものに――いやだからそうでなく……。
と、無駄な葛藤を繰り返す愛生の耳に自身の携帯の着信音が響いた。まさか千歳か。昨日かけ直すと言ってそのままだったからそれを怒っているのか。まず第一に千歳への言い訳を考えるべきだったと後悔する。
ため息を吐く愛生を不思議そうにリナリアは見つめている。
「でないの?」
そう言われて、愛生は慌てて携帯を手に取った。すると、予想外にも電話の相手は千歳ではなかった。ディスプレイには知らない番号が映し出されている。誰だろうと、まあ千歳ではないだけよかったなと思いつつ電話に出る。
「もしも――」
「帝だ。喫茶アナ=マリアにいる。帽子が目印だ」
電話の主はそれだけ言って一歩的に通話を終えた。ツーツーという悲しげな音と、唖然として動けない愛生だけが残される。
全く酷い通話もあったものだ。会話にすらならなかった。いやそもそも電話の向こうの彼女は会話をするつもりなんてなかったのかもしれなかった。電話や手紙など、間接的な会話になると途端に口数の少なくなるのが彼女の癖だった。そのくせ、面と向かって直接話す時は誰よりも饒舌なのだから、よくわからない。まあ彼女がよくわからないのはいつものことだと愛生は諦め半分に納得した。
「どうしたの?」
唖然とする愛生の姿を不審に思ったのか、リナリアが何かあったのかと尋ねる。
「帝さんだよ。話があるって。近くにきているそうだ」
彼女の名を口にすると、リナリアはその無表情な顔を少しだけピクリと動かした。あまり褒められたことではないだろうが、そういう隠しきれない人の変化に愛生は目ざとい。ボケッとしているようで、その実よく周りを見ている男なのだ。特に人の変化には必要以上に敏感だ。
愛生にしてみれば帝の来訪はこのわけのわからない状況を打開する朗報だが。リナリアにしてみれば話したくなかったことを話してしまう人間が現れたのだ。来訪の受け取り方は愛生とは真逆であろう。そうして、リナリアが事情を話さなかったのは帝の命令ではなくリナリアの意思だったのだと確信する。これもまた、裏を読んでいるようで気がひけるのだが。
「じゃあ僕は言ってくるけど、リナリアは留守番をよろしく」
そう言って、適当に来ていく服を選んでいると、不意にリナリアが愛生の腕を掴んだ。その行為に驚く愛生。愛生の驚きは続いた。
「そこは、リナリアが行ってもいい場所なの?」
いつもと変わらぬ口調でリナリアはそんなことを聞いてくる。その意味がわからないほど愛生は鈍感ではなかった。
「……一緒に来たいのか?」
そう聞くと、リナリアは静かにうなずいた。リナリアは帝に助けてもらったと言っていた。それならばリナリアにとって帝は恩人ということだ。自分にとっての帝がそうであるように。ならば会いに行きたいと思うのは至極当然のように思えた。ならリナリアを連れて行くことに異存はない。仮に他の理由があったとしても、そもそもリナリアの問題である以上当事者のリナリアを連れて行くのは必然だ。帝もいるのなら、リナリアの身の安全の心配もいらないだろう。
「わかった。一緒に行こう」
そう言ってリナリアの頭を撫でる。サラサラとした細い髪が愛生の指に絡んだ。
「いいの?」
そう聞き返してくるリナリアに愛生はいいんだよと返す。
「リナリアが行きたいのなら一緒に行こう。ほら、まずは出かける準備をしなくちゃな」
言われてリナリアは少しだけ笑ったような顔してから、あせあせと彼女にしては珍しくで急いで準備を始める。といっても、昨日買った服はまだレールタウン内のロッカーの中なので、リナリアは着替えるものもないのだが。
リナリアが動く度にひらひらと揺れる長い髪の先を犬の尻尾のようだな、と思い愛生は笑った。
++++++++++
喫茶アナ=マリアは先日愛生が千歳と一緒に行った店だ。愛生の家から近く、そこそこ人気のある喫茶店。中でもケーキが美味しいと評判で、クラスの女子がその話をしていたなぁと愛生は今更のように思い出した。
リナリアと手を繋ぎながら、喫茶アナ=マリアへやって来た愛生は早速店内を見渡す。決して広くない店なので全ての席が見えるのだが、帝さんの姿がない。あの特徴的な帽子も見えない。まだ来ていないということなのだろうかと思っていると、店員の一人がいらっしゃいませと声をかけてきた。こちらへどうぞと案内されそうになるところを愛生は遮り質問を一つ。
「あの、すいません。我王帝っていう人と待ち合わせをしているんですけど……」
すると店員は少々お待ちくださいと店の奥に引っ込んで行ってしまった。どうしたのだろうと首を傾げていると、店員が引っ込んでいった扉から一人の男が出てきた。細見のすらっとした若い男。派手な金色の髪色をしているが、威圧感や不潔な要素は感じられず、男の穏やかな雰囲気と合わさり、異国の人間のような自然さだった。千歳から話には聞いたことがあるので愛生はすぐにこの男がこの店の店長兼パティシエだとわかった。
「やあやあ、待っていたよ」
聞き取りやすい、爽やかな声。いかにも好青年といった感じだ。この店長を目当てに通い詰める女学生も多いのだと千歳は教えてくれたが、なるほどそれも頷けると愛生は一人納得していた。
男は何か作業中だったのか、エプロンで濡れた手を拭いていた。
「僕はこの店の店長だ。わざわざ名前を覚える必要はない。店長とよんでくれるといい」
そう言って握手を求めるように手を差し出したが、愛生がその手を握ろうとする前に少し慌てたように引っ込めた。
「おおっと、すまない。いつもの癖でね」
その行為の意図がわからず、愛生が首を傾げると店長ははにかみながら説明する。
「僕も能力者なんだ。接触型のテレパスっていうちょっと変わった能力でね。触れた人の頭の中身を問答無用で読んでしまう困った能力だ」
店長は笑いながら自身の右手をひらいたり閉じたりしてみせる。
「まあ普段はあんまり気にしないんだけど、君らは特別だ。人に聞かれたくない話なんだろう? なら僕には触れない方がいい」
何気なく発せられた言葉に愛生は心底驚いた。人に聞かれたくない話だとこの男は言った。それはつまり、これから愛生が帝と会うということを知っているということ。まさかすでに読まれていた、と愛生はわずかに警戒を強める。何がおかしいのか店長は顔を綻ばした。
「心配しなくても、僕の能力に偽りはないよ。君の頭の中を無断で読んだりはしていない」
「……じゃあ、どうして」
そのことを知っていたんですかと尋ねる前に、店長はくるりと愛生に背中を向けた。そのまま振り向くことなく愛生に告げる。
「彼女の味方……いや、王の臣下はどこにでもいるという話さ」
彼は無言で扉の中に引っ込む。その時微かに手招きをしたように見えた。着いてこいということなのだろうか。愛生はリナリアと一度顔を見合してから(変わらず無表情だった)扉の中に入る。そこは厨房だった。ケーキの生地を焼くいい匂いが充満している。パテェシエは店長だけなのか、他に従業員は見当たらない。店長は更にその奥、巨大な冷蔵庫の隣の扉に消えていった。店の構造的に、あの扉の向こうが最後の部屋だろう。愛生は更に警戒を強め、恐る恐る扉に手をかける。鉄のドアノブが妙に冷たいように感じた。
ゆっくり扉を開けていく。するとそこには扉と対面になるようにして巨大な壁が椅子に座っていた。いや、壁ではない。混乱する頭をどうにか落ち着けながら愛生は現状を正しく認識しようとする。壁かと思われたそれはただ大きな人間だった。身長は二メートルに届くかと思われるほどで、肩幅は愛生の三倍はあろうかというほど。円藤を更に更に大きくしたかのようなガッチリとした体形。だがそれは円藤よりも一切の無駄がなく、筋肉の壁と表記して差し支えないだろう。その大きな肩に置かれた顔には複数の傷があり、真ん中だけ残してそれ以外は全て剃るという特徴的な髪型はモヒカンというよりは力士の髷のようだった。その壁は大きな手には不釣り合いな可愛いフォークで静かにケーキを食べていた。
世界一ケーキの似合わない男がそこにいた。




