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嘘つきは真実を灼く ~七つの聖火と嘘喰いの孤児~  作者: 蒼月よる


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9/12

暴かれた秘密

 聖火消滅から二週間。神官長が信徒を集めて公式見解を発表する日が来た。朝から神殿中が慌ただしかった。神官たちが廊下を走り、信徒たちが中庭に向かって流れていく。石畳を踏む足音が地鳴りのように響き、空気に緊張が満ちていた。香の煙がいつもより濃い。不安を鎮めるための香が、祭壇に追加で焚かれたのだろう。甘く重い匂いが鼻の奥にまとわりつく。


 神殿の中庭に数百人の信徒が集い、壇上に神官長が立った。白い祭衣に金の刺繍。荘厳な佇まい。白い顎鬚を整え、両手を胸の前で組んでいる。朝の光が壇上を照らし、金糸の刺繍が眩しく輝いていた。声は中庭の隅々まで響き渡った。石の壁に反響し、天空に抜けていく。よく通る声だった。この声だけ聞けば、信徒が安堵するのも頷ける。


「信徒の皆よ。聖火の消滅は、悪神(アンラ・マンユ)に連なるダエーワの攻撃によるものである。だが恐れることはない。我々は既に対策を講じており、新たな聖火を灯す儀式の準備が進んでいる。善き信仰を持つ者は、必ず守られる」


 すべてが赤く灼けていた。


 キアンの真実視が、神官長の言葉のひとつひとつを解剖する。ダエーワの攻撃ではない──赤。対策は講じていない──赤。新たな聖火を灯す儀式など存在しない──深い赤。善き信仰で守られる保証はどこにもない──赤。言葉のひとつひとつが、赤い炎のように空中で灼け、そして消える。美しい声が紡ぐ嘘の数珠つなぎ。キアンの目には、壇上の神官長が赤い炎に包まれているように見えた。


 嘘の構造が視える。単純な嘘ではなかった。層になっている。表面の嘘の下に、さらに深い嘘が重なっている。聖火消滅の予兆を数ヶ月前から把握していたこと。上層部の中で誰が最初に気づき、誰が隠蔽を主導したか。その隠蔽の動機──保身、権力維持、信徒からの献金の確保。層を一枚剥がすたびに、新しい赤が視える。赤の下に赤がある。その下にもまた赤がある。底が見えない。


 キアンは中庭の端に立っていた。壁際の柱の影に身を寄せ、人混みに紛れていた。周囲の信徒たちは熱心に頷いている。安堵の溜息を漏らす者もいた。対策が進んでいると聞いて、肩の力を抜いている。キアンだけが知っている。この安堵は、嘘の上に積まれた砂の城だ。一言で崩れる。アナヒドが数歩離れた場所に立ち、巫女の装束が風に揺れている。その青い瞳が、壇上の神官長をじっと見つめていた。アタルの姿は見えない。


 怒りが沸いた。腹の底から、焦げた炭のように熱い感情がせり上がってくる。


 抑えようとした。アタルの教えを思い出した。焦点化。白を基準にせよ。赤を追うな。焚き火の白い炎を思い浮かべ、意識の芯に据えようとした。だが怒りが制御を浸食していく。焦点化が崩壊する。白い基準点が赤い奔流に呑み込まれ、視界がすべて赤に染まっていく。神官長の嘘が視えるだけでなく、嘘の「構造」──何を隠しているか、なぜ隠しているか──までが奔流のように流れ込む。情報が多すぎる。頭が灼ける。こめかみが脈打ち、手が震える。


 キアンは口を開いた。


 開くつもりはなかった。声が勝手に出た。喉から言葉が溢れ、唇を通過し、空気を震わせた。自分の声が自分のものではないように聞こえた。


「聖火は数ヶ月前から衰えていた。あんたたちはそれを知っていて、隠した」


 中庭が凍りついた。


 数百人の視線がキアンに集中した。さっきまで壇上の神官長を見上げていた顔が、一斉にキアンの方を向く。驚愕、困惑、恐怖──何百もの感情が色彩となって爆発し、キアンの視界を白と赤の閃光で埋め尽くす。頭が割れそうだった。神官長が壇上で目を見開く。白い顎鬚が震えている。沈黙が中庭を支配し、石畳の上を風だけが吹き抜けた。


 キアンは自分が何をしたのか理解して、顔面蒼白になった。血の気が引き、指先が冷える。掌に冷や汗が滲み、心臓が肋骨を蹴り続けている。自分の声が勝手に動いた。力が怒りに呼応して暴走した。止められなかった。嘘つきは口を閉じていることもできる。黙ることは得意なはずだった。十六年間、黙ることで生き延びてきた。なのに──力が口を動かした。真実を口にした。望みもしないのに。


 神官長が壇上から指を突きつけた。顔が赤黒く染まり、額の血管が浮き上がっている。


「この者は──ダエーワに魅入られた者だ! 異端者だ!」


 激昂した神官長の声が中庭に反響する。石壁が怒声を跳ね返し、幾重にも重なって轟いた。信徒たちの動揺が波紋のように広がった。恐怖、困惑、怒り──さまざまな感情が色彩となってキアンの視界を埋め尽くす。赤い色が渦を巻き、白い悲鳴が刃のように飛び交う。情報の奔流が脳を灼く。吐き気がした。足がふらつく。


 嘘を暴くつもりはなかった。力が勝手にやった。これは告発ではない。事故だ。制御を失った力が、キアンの口を通して勝手に真実を吐き出した。嘘つきの少年が、真実を口にする──それは彼にとって、嘘をつくことよりもはるかに恐ろしいことだった。


 キアンは後退した。足が石畳につまずき、よろめく。周囲の視線が刺さる。何百もの目が自分に向けられている。異端者。ダエーワに魅入られた者。つい数週間前まで、ただの孤児の見習いだったのに。嘘で場を回し、弱い者に粥を分け、誰にも気にされずに生きていた少年が、一瞬で神殿の敵になった。信徒たちの間に恐怖が広がっていく。母親が子どもの肩を抱き寄せ、老人が杖を握りしめ、若い男が拳を固めている。キアンから距離を取るように、人の波が左右に割れた。


 中庭の端で、アナヒドがキアンを見つめていた。


 監督者としての冷静な視線ではなかった。驚き、戸惑い、そして──何か別のもの。まだ名前のつかない感情が、深い青の瞳の奥に揺れていた。エワルが腰で小さく揺れ、水の音が微かに聞こえた。


 神殿の回廊に逃げ込んだ。走った。中庭から回廊へ、回廊から渡り廊下へ。石柱が並ぶ薄暗い廊下を駆け抜け、人のいない場所を探した。足音が石の床に反響し、自分の荒い呼吸だけが耳に残る。壁に手をつき、柱の陰に身を潜めた。膝が震えている。手が震えている。口の中が乾いて、舌が上顎に貼りつく。


 アナヒドがキアンを呼び止めた。石柱の陰で荒い息をつくキアンの背中に、アナヒドの声が届いた。


「あなたは──望んでやったのですか」


 その声は白かった。真実の問いだった。


 キアンは首を横に振った。声は出なかった。喉が灼けたからではない。何を言えばいいのかわからなかったからだ。望んでやったのか。違う。力が勝手にやった。だがそれを説明する言葉を、キアンは持っていなかった。


 アナヒドの目に、初めて監督者ではない何かが浮かんだ。同情ではない。憐れみでもない。もっと深い場所から湧き上がる、名前のない感情だった。キアンはその目を見つめ返すことができなかった。真実視で見てしまうのが怖かった。あの目の奥に、何色が灯っているのか。知りたくなかった。


 回廊の柱の間から、中庭のざわめきが遠く聞こえていた。キアンの運命は、もう元には戻らない。


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