旅人の嘘
神殿を離れて数日。乾いた風と砂塵の中を、三人は歩き続けた。
巡礼路は荒野を貫いている。両側に広がるのは赤茶けた岩と砂の大地で、遠くに連なる山脈が紫がかった影を落としている。道は乾いた土がむき出しで、風が吹くたびに砂埃が舞い上がり、目を刺す。太陽は容赦なく照りつけ、日中は汗が額を伝って顎から滴り落ちた。空気が乾いているため、汗はすぐに蒸発し、塩の跡だけが肌に残る。唇が割れ、舌が乾く。水は貴重品だった。アナヒドが旅の前に用意した水袋は三つあったが、この乾燥の中では減りが早い。夜になると一転して冷え込み、吐く息が白く凍った。日中の灼熱と夜の凍結。ゾロアスター的世界の気候は容赦がなく、その厳しさが足の裏から全身に染み渡った。道端に枯れた灌木が点在し、風に晒されて白く乾いた骨のようだった。鳥の声もない。虫の羽音もない。ただ風だけが、砂を巻き上げながら荒野を吹き抜けていく。
キアンの足の裏にマメができていた。
左足の親指の付け根と、右足の踵。歩くたびに水ぶくれが潰れ、じくじくと痛む。靴底が薄く、地面の石が足裏を突く。神殿の石畳しか知らなかった足は、荒野の道に慣れていなかった。
「平気だ」と言おうとした。喉が灼ける。小さな嘘すら許されない旅路だった。平気ではない。痛い。歩くたびに痛む。だが「痛い」と口にする気にもなれなかった。嘘がつけないからといって、弱音を吐きたいわけではない。嘘と本音の間に、黙るという選択肢がある。沈黙は嘘ではないから、喉は灼けない。
結局、足を引きずりながら歩いた。一歩ごとに右足の踵が悲鳴を上げ、左足をかばって歩けば今度は左の膝に負担がかかる。靴の中で皮膚が擦れ、マメの液が靴下を濡らしている。アナヒドが心配そうに振り返る。三つ編みが肩の上で揺れ、青い瞳が不安を湛えている。だがキアンの足の痛みを共感力で感じ取っているのか、自分も微かに足を引きずっていた。他者の痛みが伝染する。厄介な体質だ。アタルは何も言わず、ただ歩調を少しだけ緩めた。杖を突く間隔が、わずかに長くなっている。それだけが老人の配慮の表れだった。言葉はない。だが三人の歩調が自然と揃い、同じリズムで荒野を進んでいく。旅を始めてまだ数日だが、足音だけは仲間のそれになりつつあった。
最初の集落に着いた。
巡礼路沿いの小さな集落。日干しレンガの家が数十軒、井戸を中心に固まっている。レンガの壁は風と砂に削られて角が丸くなり、屋根の上には乾いた藁が積まれていた。道端に痩せた犬が寝そべり、家の軒先で老婆が糸を紡いでいる。井戸の周りでは女たちが水を汲み、子どもたちが素足で駆け回っている。小さいが、人の営みがある集落だった。宿屋と呼べるものが一軒だけあった。日干しレンガの壁に、色褪せた看板が掲げられている。
宿を借りるために、キアンが前に出た。嘘つきの少年にとって、交渉は得意分野だった。相手の表情を読み、警戒の度合いを計り、言葉を選んで信頼を勝ち取る。孤児院ではそうやって食事を確保し、面倒事を回避してきた。旅でも同じだ。旅慣れた口調で「神殿の使者です。一晩の宿を──」と言いかけた瞬間、喉が猛烈に灼けた。
声が途切れた。咳き込む。喉の灼熱感が舌の根元まで這い上がり、涙が滲んだ。不自然な沈黙。宿の主人が怪訝そうな顔をする。日に灼けた壮年の男で、腕を組んでキアンを見下ろしている。
アナヒドがすかさず前に出た。腰の銀壺と巫女の装束を見せ、「水の祭祀部門の巫女です。巡礼中の宿をお借りできますか」と丁寧に告げた。アナヒドの声は白かった。嘘ではない。巡礼中という表現は正確ではないが、巫女の身分は本物だ。宿の主人は巫女の身分に安心したのか、態度を和らげてすぐに部屋を用意した。
キアンは役に立たなかった。嘘がつけない旅人ほど不便な存在はない。社会的潤滑油としての嘘──身分を誤魔化す、事情を飾る、相手の警戒を解く──それらすべてが封じられている。十六年間かけて磨いた話術が、喉の灼熱感ひとつで無力化される。
「俺がいると足手まといだな」
喉は灼けなかった。本音だった。自分が旅の荷物でしかないことが、言葉にしてみると余計に重く胸に沈んだ。孤児院では嘘で場を回していた。交渉も、弁解も、人の操作も、すべて嘘で成り立っていた。その嘘がなくなった今、キアンに何が残っているのか。真実が視える目。だがその目は暴走し、石を投げられる原因にしかならない。
アナヒドが振り返った。何か言いかけて、口を閉じた。共感力がキアンの自己嫌悪を拾い上げたのだろう。何を言えば良いのか、アナヒドにもわからなかったのかもしれない。
夜、宿の部屋で三人が食事をとった。部屋は狭く、天井が低い。壁に松明の光が揺れ、土壁に三人の影が大きく映っている。藁の敷物が敷かれ、その上に干し肉とパンと豆の煮物が並んでいた。豆の煮物は温かく、クミンとコリアンダーの匂いが鼻をくすぐる。ようやくまともな食事だ。集落の食事は質素だが、旅の干し肉よりずっとましだった。温かいものを食べるのは何日ぶりだろう。胃に温かい食物が落ちていく感覚が、全身に安堵を広げた。
宿の主人が聖火消滅の噂を語った。食事を運んできた際に、不安げな声で、善悪がわからなくなったと漏らす。以前は聖火の導きがあった。善い行いは聖火に認められ、悪しき行いは聖火に灼かれる。その指針が消えた今、何を信じればいいのか。夜道が怖い。隣人の目が怖い。以前は信じていた「善い人」が、本当に善い人なのかわからない。
キアンの真実視が宿の主人を視た。
「自分は善人だ」という自認が赤く灼けていた。善人だと信じたい自分。だが善人かどうかを確かめる手段がなくなった恐怖。嘘の赤は──恐怖から生まれていた。この男は悪人ではない。ただ怖いのだ。
誰もが小さな嘘で自分を守っている。嘘は恐怖への防壁だ。聖火が消えて恐怖が増し、恐怖が増して嘘が増える。循環する恐怖と嘘。キアンの真実視は、その循環を残酷なまでに可視化していた。
キアンは宿の窓から集落を見下ろした。真実視で視る集落は、小さな嘘の色彩で淡く灼けている。日干しレンガの壁の向こうに、人々の営みがある。嘘と共にある、ささやかな日常。壊されるべきではない日常だ。
人間の日常は嘘で維持されている。それを壊す力が、自分に宿った。
窓の外で犬が吠えた。遠くから応えるように、別の犬が吠える。集落の夜は静かだが、完全な沈黙ではない。人の営みがある限り、音がある。嘘がある。キアンは窓から離れ、藁の敷物の上に横になった。天井の梁が松明の光に照らされている。隣の部屋でアタルが寝息を立て、足元でアナヒドが毛布にくるまっている。二人がいる。独りではない。その事実だけが、嘘つきの少年を辛うじて支えていた。




