【求人票】厚生労働省・防疫課・第四種指定係 ※業務内容:呪詛パンデミックの隔離および新人による「生体ワクチン」精製
ピー、ピー、ピー……。
無機質な電子音と、人工呼吸器が規則正しく空気を送り込むシュコーという音だけが支配する空間
ここは、東京・霞が関の厚生労働省本庁舎、その地下深くに存在する「第四種指定隔離病棟」。一般のフロアマップには単なる備品倉庫として記され、特定職員のIDカードと隠しコマンドを入力したエレベーターでしか辿り着けない、この世で最も危険な病院だ。
空気中には、鼻を刺すような高濃度の消毒液の臭いと、どこか鉄錆びたような血の臭いが混じり合って漂っている。
「……あーあ。また増えちゃったよ」
僕――常葉 守は、厚さ五センチの強化防護ガラス越しに並ぶストレッチャーを見下ろし、深いため息をついた。
ガラスに映る自分自身の顔色は、幽霊のように悪い。無造作に伸びた黒髪はボサボサで、目の下には何日寝ていないのか分からないほどの濃いクマが張り付いている。サイズが合っていないダボダボの青いスクラブ(手術着)からは、無数の絆創膏や包帯が巻かれた細い腕が覗いていた。
いかにも「実験動物」といった風貌の、二十代前半の男。それが僕だ。
薄暗い集中治療室(ICU)に運び込まれてきたのは、つい数時間前、東京タワー周辺で突如として倒れた一般市民たちだ。
ニュースでは「集団ヒステリー」や「熱中症」と報道されているが、もちろん嘘だ。原因は「電子呪詛」。
電波に乗って拡散された呪いのウイルスを、運悪く深く吸い込んでしまった重症患者たちが、秘密裏にここへ搬送されてきているのだ。
「常葉くん。サボっていないで、バイタルチェックを続けなさい。彼らは貴重な『サンプル』なのですから」
背後から、衣擦れの音と共に、甘く、そして背筋が凍るような声がした。振り返ると、闇の中から一人の女性が歩み出てくるところだった。薬師寺 零。この防疫課・第四種指定係の主任医師であり、僕の飼い主(指導係)だ。
腰まで届く白銀に見える白髪を一つに束ね、その顔立ちは神々しいほどに整っている。透き通るような白い肌は、地下生活の長さを物語るように不健康で、それゆえに妖艶だ。
彼女は純白の白衣を纏っているが、その袖口から覗く手首や首筋には、無数の不気味な幾何学模様の刺青が刻まれている。それはファッションではない。強力な呪いを制御するための「術式」だ。
省内での通称は「魔女医」。人間よりも、未知のウイルスや呪いを愛する狂人だ。
「サンプルって……薬師寺先生、彼らはただの巻き込まれた被害者ですよね? ちゃんと治療して帰すんですよね?」
「愚問ですね。治療とは『生体を正常な状態に戻す』こと。……その過程で、どれだけ未知のデータが取れるかが重要なのです」
薬師寺先生は、ストレッチャーに横たわる一人の男性患者に歩み寄った。
30代くらいのサラリーマンだろうか。高熱にうなされ、意識はない。だが、その首筋から胸元にかけて、植物の根のような、どす黒い血管の痣が浮き出し、脈打つたびに光を放っている。
「素晴らしい。これが『電子呪詛』の感染痕……。デジタルの悪意が、生体細胞と融合しようとしている。……見てごらん常葉くん、この壊死した組織の美しさを。有機物と無機物の境界が溶け合っている」
「……吐き気がします」
僕は口元を押さえて視線を逸らした。僕の特異体質。それは「無症状キャリア(保菌者)」だ。
あらゆる怪異、呪い、霊的ウイルスに感染し、体内に取り込むことができるが、決して発症しない。僕の身体は、最強の「生きた培養槽」であり、同時にあらゆる呪いを封じ込める「檻」でもある。だからこそ、このマッドサイエンティストにスカウトされたのだ。「君の体なら、どんな危険なウイルスも飼いならせる。素晴らしい実験動物だ」と。
その時だった。一番奥のベッドに寝かされていた重症患者が、ガタガタと激しく痙攣し始めた。
「う、うあ……ア……アアア……!!」
患者の口から、泡と共にコールタールのような黒い液体が溢れ出す。モニターの心拍数が異常な数値を叩き出し、けたたましい警告音が隔離病棟に鳴り響く。
「おや。適合が進みすぎましたか。個体の精神力が、呪いの浸食速度に耐えられなかったようですね」
薬師寺先生は慌てる様子もなく、むしろ新しいおもちゃを見つけた子供のように、楽しげに観察している。
バキバキバキッ!
骨が砕けるような嫌な音がして、患者の背中が不自然に盛り上がった。皮膚が内側から突き破られる。
飛び出してきたのは、血濡れの骨ではない。無数のLANケーブルのような触手と、赤黒い肉塊が混じり合った「何か」だ。
「なっ……!?」
先ほど総務省が鎮圧したはずの「電子の怪異」。その残滓(データの欠片)が、人間の肉体を苗床にして再生しようとしているのだ。
患者の眼球が裏返り、代わりにカメラレンズのような無機質な光が宿る。
『ツナガレ……同期……同期シロ……!!』
機械音声と人間の悲鳴が混ざったような声を上げ、半人半機械の怪物と化した患者が、拘束ベルトを紙屑のように引きちぎった。
暴れだした怪物は、周囲の点滴スタンドやモニターをなぎ倒し、その鋭利なプラグ型触手を、僕たちに向けてくる。
「ひぃっ! 先生! 逃げましょう! あれはもう医療の範疇を超えてます! 警備班か、道路局の轟さんを呼ばないと!」
僕は後ずさりしながら叫んだ。
しかし、薬師寺先生は一歩も引かない。それどころか、白衣のポケットに手を突っ込み、うっとりと怪物を眺めている。その瞳は、恋人を見るように濡れていた。
「落ち着きなさい、常葉くん。……せっかくの『変異株』です。外部の野蛮人たちに壊させてはもったいない。処分する前に、しかるべき抗体を作らなくては」
「抗体って、どうやって!? 採血できる状況じゃないですよ!」
薬師寺先生は、ゆっくりとこちらを向いた。その顔には、慈愛に満ちた聖母のような、そして残酷な悪魔のような微笑みが張り付いていた。彼女は、僕の背中にそっと手を添えた。
「君が食べるんですよ」
「はい?」
ドンッ!
背中を強く突き飛ばされた僕は、たたらを踏んで怪物の目の前に躍り出た。
「え、ちょ、まっ――」
『同期……シテ……!!』
怪物の咆哮と共に、無数のケーブル触手が槍のように発射された。避ける暇もない。鋭い先端が僕の腹部や肩を貫き、皮膚の下へと潜り込んでくる。
「がっ……あぁぁぁっ!?」
激痛。そして、熱い。泥のような、腐ったデータのような悪意が、血管を通じて僕の体内へ直接流し込まれてくる。ネット上の罵詈雑言、他人の不幸を願う呪い、行き場のない怨嗟。それらが濁流となって僕の精神を侵食しようとする。
普通なら、これで僕も感染し、同じ怪物になってしまうはずだ。脳が焼き切れ、自我が崩壊するはずだ。
だが。
ドクン。
僕の心臓が、大きく跳ねた。いや、心臓じゃない。僕の体の中に巣食っている「先住者」たちが、不躾な侵入者に気づいて目を覚ましたのだ。
「……あ、ダメだ。みんな、怒ってる」
僕の体内には、既に入省してから取り込まされた数え切れないほどの怪異が封印されている。肺に巣食う『結核の悪魔』。胃袋で眠る『蠱毒の蟲』。血液を泳ぐ『深淵の寄生獣』……。
彼らは、僕という「家(宿主)」を巡って、体内で常に絶妙なバランスで縄張り争いをしている。そこへ、新参者の「電子呪詛」が土足で踏み込んできたのだ。
ジュルリ……。
僕の傷口から、血の代わりに、逆流するように「何か」が溢れ出した。それは、どす黒く、粘度のあるタールのような影。僕の中で飼っている、最強のペットの一つ『暴食の影』だ。
『ギ……!?』
電子怪異が、動きを止めた。本能的な恐怖を感じたのか、触手を抜こうともがく。 だが、遅い。影は既にケーブルに絡みつき、逆に怪異の方へと浸食を開始していた。
「ごめんね。……ウチの子たち、最近『餌』が少なくてお腹空かせてたから」
僕は抵抗を諦めて、全身の力を抜いた。次の瞬間、僕の体から溢れた影が、巨大な顎となって、怪異の頭部に食らいついた。
『ギャアアアアアアア……!!』
断末魔は一瞬だった。電子怪異は、文字通り「吸収」された。デジタルの呪いも、変異した肉体も、すべてがズブズブと僕の体の中へと吸い込まれていく。口の中に広がる、鉄と静電気の味。体内で「消化」が始まる不快感と、同時に訪れる奇妙な満腹感。
数秒後。
そこには、元の姿に戻って気絶している患者と、少しだけ肌艶が良くなり、満腹で動けなくなった僕だけが残っていた。
「……ふぅ。ごちそうさまでした」
僕はげっぷを噛み殺しながら、破れた服の乱れを直した。 体内で、先住者たちが「不味い」「味が薄い」「もっとオーガニックな呪いをよこせ」と文句を言っているのが聞こえる気がする。
パチパチパチ。
乾いた拍手の音が、静まり返った病棟に響いた。
「素晴らしい。実に素晴らしい免疫反応(捕食)です」
薬師寺先生が、恍惚とした表情で近づいてきた。その瞳は、恋人を見るよりも熱っぽく濡れている。
彼女の手には、既に極太の注射器が握られていた。
「さあ、常葉くん。君の体内で『電子呪詛』が分解され、強力な抗体が生成されているはずです。……新鮮なうちに、血を抜きさせてくださいね」
「えっ、ちょ、先生? 今さっき怪異と戦ったばかりで貧血気味なんですが。労働基準法って知ってます?」
「大丈夫、致死量は抜きませんから。……君の血清があれば、他の患者たちも全員治せます。君はこの病棟の救世主なのですよ」
ブスッ。
有無を言わさず、太い針が僕の腕に突き刺さる。血が抜かれていく感覚に、僕は目の前が暗くなった。
「……うぅ。やっぱり、ここはブラック職場だ……」
薄れゆく意識の中で、僕は思った。得体の知れない怪異に襲われるより、この笑顔の先生に採血される方がよっぽど怖い、と。
数時間後。僕の血から精製された特効薬(血清)のおかげで、搬送された患者たちの容態は劇的に安定した。電子呪詛の痕跡である黒い痣も消え、全員が一般病棟へ移せる状態まで回復した。もちろん、彼らはここで見たことの記憶を処理(消去)されて日常に戻る。
「お疲れ様でした、常葉くん。今日は実にいいデータが取れました」
薬師寺先生は、カルテに満足げなサインを書き込みながら、僕に缶コーヒーを投げてよこした。これが、この人の精一杯の労いらしい。僕は包帯だらけの腕でそれを受け取り、プルタブを開けた。
「……あ、そういえば先生」
僕はコーヒーの湯気を眺めながら、ふと思い出したことを尋ねた。
「今回の電子呪詛って、元を辿れば『気象庁の雷』が原因なんですよね?」
「ええ。天羽くんの仕業ですね。相変わらず派手にやってくれます」
「でも、そのさらに原因は『水道局の水蒸気』で、その前は『道路局の工事』って聞きました。……これって、結局のところ誰が一番悪いんですか?」
僕の素朴な疑問に、薬師寺先生はペンの手を止めた。
そして、白銀の髪を指で弄りながら、意味深な笑みを浮かべた。その笑顔は、いつもの狂気とは違う、底冷えするような静けさを帯びていた。
「誰が悪い、ではありません。……これら全てを『黙認』し、現場の私たちに尻拭いをさせている存在がいる。……それが問題なのですよ」
「え?」
「現場の私たちがどれだけ泥にまみれても、彼らは高みの見物。……宮内庁・式部職祭祀課。この国のオカルトの頂点にして、15年前に私たちを見捨てた連中」
先生の瞳の奥に、明確な殺意のような光が宿ったのを、僕は見逃さなかった。 最高の世代(先輩たち)が共有する、過去の闇。それは、15年前の「黄昏の大災害」にまつわる因縁だ。僕のような「最低の世代」の新人が、軽々しく踏み込んではいけない領域のようだった。
「……まあ、いいでしょう。今日は帰りますよ。明日もまた、新しい『検体』が来るでしょうからね」
先生は白衣を翻し、暗い廊下へと消えていった。残された僕は、地下の冷たい空気の中で、身震いした。僕の体内の怪異たちが、先生の殺気に共鳴するように、ザワザワと騒いでいた。
最後までお読みいただきありがとうございます! シリーズ第6弾、厚生労働省編でした。
これで全6部署の物語が繋がりました。 「道路」→「水」→「空」→「電波」→「感染」。 すべてのトラブルの元凶は、たらい回しにされた怪異でした。
次回はついにシリーズ最終回。 これまでの全部署を統括し、15年前の因縁を握る日本のオカルトの頂点。 「宮内庁・式部職祭祀課」が登場します。
もし「この世界観が好きだ」「他の部署も見たい」と思っていただけたら、
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