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【第2章完】婚約破棄?結構です。錬金術師令嬢は今日も幸せです  作者: 九葉(くずは)
第2章

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第8話 小さな指と泣き虫な英雄

嵐のような時間が過ぎ去った。

産室の中は、穏やかな静寂に包まれている。


「……ふぅ」


私はベッドの上で、深いため息をついた。

体中が痛い。

まるで全身の筋肉を限界まで酷使した後のようだ。

指一本動かすのも億劫だ。


けれど、胸の上には確かな重みがある。


白い布に包まれた、小さな生き物。

さっきまで私のお腹の中にいた、私たちの赤ちゃん。


「……可愛い」


しわくちゃで、まだ猿みたいだけれど。

一生懸命に息をして、小さな口をもごもごと動かしている。

その姿を見ているだけで、痛みが吹き飛んでいくようだった。


「エルナ……」


ベッドの脇から、濡れた声がした。

視線を向けると、そこには大きなうずくまる背中があった。


レオンハルト様だ。

彼は椅子に座り、私の手を両手で握りしめたまま、肩を震わせていた。


「いつまで泣いているんですか」


私は苦笑して、彼の手を弱々しく握り返した。

産声を聞いて飛び込んできてから、もう一時間近く経つ。

彼はその間、ずっと泣き通しだ。


「……すまない」


彼が顔を上げた。

目が真っ赤だ。

鼻の頭も赤い。

「氷の辺境伯」と呼ばれ、敵軍を震え上がらせる最強の騎士の面影はどこにもない。

ただの、感極まった新米パパだ。


「涙が止まらんのだ。……君が無事でよかった。本当に、よかった」


彼は私の手を額に押し当て、また嗚咽を漏らした。

その手は泥だらけで、少しざらついている。

地下で仕事をしていたと言っていたけれど、何を作っていたのだろう。

きっと、また私のために何か無茶をしていたに違いない。


「私は大丈夫ですよ。……ほら、赤ちゃんを見てあげてください」


私は腕の中の包みを少し傾けた。

レオンハルト様が、恐る恐る顔を近づける。


「……小さいな」


彼の声が震えた。


「俺の指より細い腕だ。……触れたら、壊れてしまいそうだ」


彼は手を伸ばしかけて、空中で止めた。

自分のゴツゴツした手と、赤ちゃんの柔らかな肌を見比べて、怖気づいたようだ。

武人として生きてきた彼にとって、こんなに脆く、尊い存在は初めてなのだろう。


「大丈夫ですよ。この子は、あなたが思っているより強いです」


私は彼の手を取り、赤ちゃんの手に近づけた。


「ほら」


彼の人差し指が、赤ちゃんの掌に触れる。

その瞬間。


ギュッ。


赤ちゃんが、小さな五本の指で、レオンハルト様の指を握り返した。


「っ……!」


レオンハルト様が息を呑んだ。

目を見開き、信じられないものを見るような顔で、自分の指を見つめている。


「握った……」


「ええ。パパだとわかったんですよ」


「パパ……俺が、パパか」


彼は噛み締めるように呟いた。

その目から、また大粒の涙がこぼれ落ちる。


「強い力だ。……生きようとする力が、伝わってくる」


彼はもう一度、今度は自分の意志で、赤ちゃんの頬に指を触れた。

今にも溶けてしまいそうなほど、優しい手つきだった。


「ありがとう、エルナ」


彼は私を見て、破顔した。

涙でぐしゃぐしゃの、でも最高に幸せそうな笑顔。


「俺に家族をくれて。……俺を、父親にしてくれて」


「こちらこそ。……私を見つけてくれて、ありがとうございます」


胸がいっぱいになった。

かつて「無能」と捨てられ、一人ぼっちだった私。

そんな私が、こんなに温かい場所にたどり着けるなんて。


「……名前、決めないとですね」


「ああ。……いくつか候補はあるんだが」


彼は懐から、くしゃくしゃになったメモを取り出した。

地下作業の合間に考えていたのだろうか。

泥がついている。


「また後で、ゆっくり聞かせてください」


急激な睡魔が襲ってきた。

安心したからだろうか。

まぶたが鉛のように重い。


「……今は、少しだけ……」


「ああ。寝るといい」


レオンハルト様が、私の髪を優しく撫でてくれた。


「俺が起きている。君と、この子を守るから」


頼もしい言葉だ。

最強の騎士が守ってくれるなら、どんな悪夢も近づけないだろう。


私は赤ちゃんの温もりと、夫の大きな手に包まれながら、深い眠りの底へと落ちていった。

窓の外では、夕焼けが雪原を茜色に染めていた。

長い一日が終わる。

そして、私たち家族の新しい日々が始まるのだ。

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― 新着の感想 ―
その手は泥だらけで、少しざらついている。 地下で仕事をしていたと言っていたけれど、何を作っていたのだろう。 ※切実に清潔な状態で母体と子供に触れて欲しい
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