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【第2章完】婚約破棄?結構です。錬金術師令嬢は今日も幸せです  作者: 九葉(くずは)
第1章

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第2話 追放という名の自由

ガタンッ!


激しい衝撃が走り、私は座席から少しだけ跳ね上がった。


お尻に鈍い痛みが走る。


「……痛っ」


思わず声が漏れた。


王都を出発して三日目。


グラーフ辺境伯領へ向かう旅は、決して快適とは言えないものになっていた。


窓の外には、寒々とした荒野が広がっている。


王都の整えられた石畳とは違い、ここは凸凹だらけの未舗装路だ。


車輪が石を乗り越えるたびに、馬車全体が悲鳴のような音を立ててきしむ。


「おい、しっかり手綱を握れよ! 舌を噛むところだったぞ!」


御者台から、雇われ御者の悪態が聞こえてきた。


彼は王都を出てからずっと機嫌が悪い。


無理もないだろう。


この馬車は、見た目こそ立派な貴族仕様だが、中身はガタガタのポンコツなのだから。


ヴァイス伯爵家は、見栄えには金をかけるが、メンテナンスには一銭も出さない家風だ。


車軸は歪み、サスペンション代わりの板バネは錆びついている。


「……ああ、なるほど」


私は座席のクッションを指で押し、納得した。


三日目。


ちょうど、私がこの馬車に施していた「構造強化」と「衝撃吸収」の錬金術式が切れる頃合いだ。


王都にいた頃は、私が乗るたびに無意識に魔力を流し、金属疲労を修復していた。


だから、どんな悪路でも滑るように走っていたのだ。


父やお義姉様は、それを「高価な馬車だから当然」だと思い込んでいたようだけれど。


「ふふっ」


笑いがこみ上げてくる。


私の手入れがなくなった今、この馬車はただの「豪華な粗大ゴミ」に戻ったわけだ。


これだけの揺れだ。


あと半日もすれば、車輪の軸が焼き付いて動かなくなるかもしれない。


「……まあ、私には関係ないわね」


私は鞄から、小さな小瓶を取り出した。


中に入っているのは、透明な粘性のある液体。


錬金術で作製した「即席緩衝ジェル」だ。


それを自分の座っている座席の隙間に、ちょん、と垂らす。


術式展開。


『拡散・定着・衝撃分散』


微かな光とともに、ジェルが座席全体に浸透していく。


ガタンッ、という音がしても、私の体には柔らかな揺れしか伝わらなくなった。


まるで雲の上に座っているような快適さだ。


御者には悪いけれど、馬車全体を直してあげる義理はない。


私はもう、ヴァイス家の人間ではないのだから。


自分の身の回りだけを快適にする。


これが今の私の、新しいポリシーだ。


窓の外を流れる景色を眺める。


針葉樹の森が増えてきた。


空気も冷たく、窓ガラスがうっすらと白く曇っている。


王都とは別世界だ。


ふと、懐中時計を取り出して時間を確認する。


午後三時。


王都では、ちょうどお茶会の時間だ。


(今頃、王宮はどうなっているかしら)


意地悪な想像をしてしまう。


私が担当していた業務は多岐にわたる。


中でも一番厄介だったのが、王宮の空調システムだ。


あれは百年前の遺物で、放っておくとすぐに熱暴走を起こす。


私は毎日、魔導炉の制御盤に張り付き、複雑な冷却術式を編み込み続けていた。


私が去って三日。


そろそろ、冷却術式の残滓が消える頃だ。


「……王太子殿下の執務室、たしか真上だったわね」


熱暴走が始まれば、床暖房が灼熱地獄に変わる。


アイリス様の「黄金錬金術」で冷やせるものなら、やってみるといい。


もっとも、鉛を金に見せかける幻覚魔法では、熱力学の法則には勝てないだろうけれど。


「きゃっ!」


大きな揺れと共に、荷物が滑り落ちてきた。


中身が飛び出す。


散らばったのは、数着の地味なドレスと、数冊の古びた本。


実家が持たせてくれたのは、これだけだ。


宝石も、金貨も、予備の食料さえ入っていない。


「厄介払い」という言葉がこれほど似合う扱いもないだろう。


けれど、私は床に落ちた本を拾い上げ、愛おしげに表紙を撫でた。


『基礎錬金術理論・第三版』


『素材特性と構造力学』


これらは私が幼い頃から読み込み、書き込みで真っ黒になった愛読書だ。


父は「ゴミ」と呼んで見向きもしなかったが、私にとっては宝石以上の価値がある。


そして、ドレスの裾に隠すように縫い付けておいた、小さな皮袋。


中には、最高純度の「賢者の石 (のかけら)」が入っている。


もちろん、本物ではない。


私が長い年月をかけて魔力を結晶化させた、高密度の触媒だ。


これさえあれば、大抵のものは作れる。


「私には、これがある」


何もない荒野に放り出されても、知識と技術があれば生きていける。


誰かの顔色を窺って、媚びを売る必要はない。


馬車が急停止した。


前のめりになりそうになるのを、強化された座席が優しく受け止める。


「おい! 休憩だ!」


御者が不機嫌そうに扉を開けた。


冷気が吹き込んでくる。


私はショールをきつく巻き直し、外へと降り立った。


そこは街道沿いの小さな広場だった。


枯れ草が風に揺れ、灰色の空が低く垂れ込めている。


寒い。


息が白い。


王都の温暖な気候に慣れた体には、堪える寒さだ。


「おい、令嬢。飯はどうするんだ」


御者が焚き火の準備をしながら、ぶっきらぼうに尋ねてきた。


「自分でなんとかします」


私は短く答えた。


彼に頼るつもりはない。


近くの岩場に腰を下ろす。


冷たい岩肌の感触。


私は手袋を外し、岩に手を触れた。


『解析』


花崗岩。熱伝導率は普通。


『蓄熱』


微量の魔力を流し込み、岩の分子振動を高める。


一瞬で、岩がほんのりと温かくなった。


簡易的な床暖房ならぬ、岩暖房だ。


そこに座ると、冷え切った腰がじんわりと温められていく。


「……ふぅ」


極楽だ。


次に、足元の枯れ草を数本抜き取る。


『抽出・精製』


草に含まれる水分と繊維を分離。


ほんの数秒で、手の中に小さな水の球と、乾燥した繊維の塊ができた。


繊維の塊に、指先でパチンと火花を飛ばす。


ボッ、と小さな炎が上がった。


それを種火にして、集めた枝に火を移す。


マッチも火打石もいらない。


物質の「燃焼点」を理解していれば、発火現象を起こすのは容易い。


御者が目を丸くしてこちらを見ていた。


「あ、あんた……魔法使いか?」


「いいえ。ただの無能な錬金術師です」


私は焚き火に手をかざしながら答えた。


アルベルト殿下の言葉を借りれば、そうなるはずだ。


「……へっ、無能ねぇ」


御者は鼻を鳴らし、硬い干し肉を齧り始めた。


私も懐から、実家の厨房から失敬してきた固いパンを取り出す。


石のように硬い。


普通ならスープに浸さないと食べられない代物だ。


だが、今の私にはお湯を沸かす鍋がない。


「仕方ないわね」


パンを手に乗せる。


『構造解析』


グルテンの結合が強固になりすぎている。水分含有量は極小。


『軟化・再構成』


空気中の水分をわずかに取り込み、パンの分子構造を緩める。


そして、焚き火の熱を利用して、内部の気泡を膨張させる。


数秒後。


私の手の中にあるのは、まるで焼きたてのようにふわふわと湯気を立てるパンだった。


一口かじる。


小麦の香りが口いっぱいに広がる。


「……美味しい」


王宮の豪華な晩餐会で食べた料理よりも、ずっと美味しく感じるのはなぜだろう。


きっと、誰にも邪魔されずに食べているからだ。


「な、なんだそのパン!? さっきまで石みたいだったじゃねぇか!」


御者が驚愕の表情で叫んだ。


「ただ温めただけですよ」


私は嘘をついた。


錬金術の原理を説明しても、理解されないのは慣れている。


食事を終え、再び馬車に乗り込む。


日没が近い。


夜になれば、この辺りは氷点下になるだろう。


グラーフ辺境伯領までは、あと半日の距離だ。


噂に聞く「氷の辺境伯」レオンハルト・グラーフ。


大男で、笑った顔を見た者がいないという。


逆らう者は容赦なく斬り捨てる、冷血な武人だと聞いている。


(怖い人だと嫌だな……)


少しだけ不安がよぎる。


でも、王太子殿下のように、毎日のように「無能」と罵られるよりはマシだろう。


それに、いざとなれば。


この錬金術でこっそり屋敷を抜け出して、隣国へ逃亡すればいい。


私にはその力がある。


「さて、もうひと眠りしましょうか」


私は快適な座席に身を沈めた。


馬車が動き出す。


軋む音と共に、私たちは北へ、さらに北へと進んでいく。


その時、私はまだ知らなかった。


私が施したこの「快適な座席」の錬金術が、到着早々、あの「氷の辺境伯」にバレることになるなんて。


そして、それが私の運命を大きく変えることになるなんて。


窓の外で、雪がちらつき始めていた。

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