第6話 旅立ちの朝と予期せぬ痛み
澄み渡るような青空だった。
城門の前には、一台の馬車が待機している。
荷台には、私が持たせた食料や技術マニュアルが山のように積まれていた。
「エルナ様! 本当にお世話になりました!」
ルカさんが深々と頭を下げた。
王都から来た時の頼りない姿はもうない。
背筋は伸び、その瞳には強い意志が宿っている。
「気をつけてね、ルカさん。王都までは長い道のりよ」
私はショールを羽織り直しながら声をかけた。
今朝の空気は少し冷える。
「はい! 必ず王都を復興させてみせます。そしていつか、エルナ様に胸を張って報告に来ます!」
「楽しみにしているわ。……困ったらいつでも通信してきていいから」
「ありがとうございます! 師匠!」
師匠。
そう呼ばれて、少しこそばゆい気持ちになる。
でも、悪い気はしない。
私は彼の手を握り、力強く握り返した。
「いってらっしゃい」
「はい! 行ってきます!」
ルカさんは馬車に乗り込んだ。
御者が鞭を振るう。
馬車はゆっくりと動き出し、街道の向こうへと進んでいった。
遠ざかる馬車が見えなくなるまで、私は手を振り続けた。
大きな仕事が終わった。
王都の未来を、次世代に託すことができた。
肩の荷が下りて、体がふわりと軽くなった気がした。
「……行ったな」
隣で、低い声がした。
レオンハルト様だ。
彼も見送りのために出てきていたのだが、その様子がどうもおかしい。
目の下には濃いクマができている。
髪も少し跳ねていて、明らかに徹夜明けだ。
普通ならフラフラのはずなのに、彼の目はギラギラと輝いていた。
まるで、クリスマスの朝を迎えた子供のような高揚感がある。
「レオンハルト様? 大丈夫ですか? 少し休みになられては?」
私が心配して顔を覗き込むと、彼はニッと笑った。
その笑顔が、眩しすぎて直視できない。
「休んでいる暇はないさ。エルナ、君に見せたいものがある」
「見せたいもの?」
「ああ。ついに完成したんだ。……俺たちの愛の結晶が」
「えっ?」
愛の結晶?
赤ちゃんのこと?
いや、まだお腹の中だ。
それとも、あの「隣国との交渉」の結果だろうか。
「部屋に戻って、少し休憩したら案内する。驚くなよ?」
彼は自信満々に言った。
その顔には「絶対に喜ばせてやる」という確信が満ち溢れている。
何かとてつもないサプライズを用意しているらしい。
(……本当に、不器用で愛おしい人)
私は微笑んだ。
きっと、また私のために何か無理をしてくれたのだろう。
その気持ちだけで十分嬉しい。
「わかりました。楽しみにしていますね」
「おう。マルクに準備させよう」
レオンハルト様は足取り軽く城の中へと戻っていった。
あの大きな背中が、今日は羽が生えているように見える。
私も後を追おうとして、一歩踏み出した。
ズキン。
「っ……」
下腹部に、鋭い痛みが走った。
足が止まる。
息が詰まるような、重い痛みだ。
「エルナ様? どうされました?」
近くにいたハンナさんが、すぐに駆け寄ってきた。
「い、いいえ。ちょっとお腹が張っただけよ」
私はお腹に手を当てた。
カチカチに硬くなっている。
ルカさんの指導で無理をしすぎたせいかもしれない。
あるいは、見送りのために立ちっぱなしだったからか。
「やはり、少し冷えたのかもしれませんね。お部屋に戻りましょう」
ハンナさんに支えられながら、私はゆっくりと歩き出した。
一歩進むたびに、お腹の底が重く沈むような感覚がある。
城のエントランスホールに戻る頃には、冷や汗が滲んでいた。
痛みの波が引かない。
むしろ、じわじわと強くなっている。
「ハンナさん……ちょっと、休憩してもいいかしら」
「はい、そこのソファへどうぞ」
ロビーのソファに腰を下ろす。
ふぅ、と息を吐く。
これで落ち着くはずだ。
深呼吸をして、痛みが去るのを待つ。
しかし。
ギュゥゥゥゥ……!
「あぐっ……!」
さっきとは比較にならない激痛が、腰を万力で締め上げるように襲ってきた。
視界が白く明滅する。
声が出ない。
脂汗が背中を伝う。
「エルナ様!?」
ハンナさんの悲鳴が聞こえる。
(なに、これ……?)
予定日はまだ二週間先のはずだ。
前駆陣痛?
それにしては痛すぎる。
内臓を雑巾絞りにされているようだ。
「う、うぅ……!」
私はソファの肘掛けを強く握りしめた。
爪が食い込む。
その時だった。
パシャッ。
体の中で、水風船が割れたような感覚があった。
同時に、温かい液体が太腿を伝って流れ落ちる。
破水だ。
知識として知っていた。
でも、まさかこんなに早く。
こんなに唐突に。
「は、ハンナさん……破水、したみたい……」
絞り出すような声で伝えた。
ハンナさんの顔色が一瞬で蒼白になり、そして即座に侍女長の顔になった。
「誰か! 担架を持ってきて! 産婆を呼びなさい! 今すぐに!」
彼女の叫び声がホールに響き渡る。
使用人たちが慌ただしく走り回る音が聞こえる。
遠くで、マルクさんの「閣下を呼べ!」という怒鳴り声も聞こえた。
意識が遠のくほどの痛みの中で、私は思った。
(レオンハルト様のサプライズ……見られそうにないわね)
ごめんなさい、あなた。
でも、もっと凄いサプライズを、今からあなたに届けることになるわ。
「レオン……ハルト……様……」
彼名前を呼ぶと同時に、また大きな痛みの波が私を飲み込んだ。
旅立ちの朝は一転して、新しい命を迎えるための戦場へと変わったのだった。




