第4話 ポンコツ図面とスパルタ遠隔授業
嵐が去った後の静寂。
応接室には、気まずい空気が漂っていた。
「……お騒がせしました」
私は咳払いをして、ソファに座り直した。
マルクさんが扉の鍵を閉める音が、カチャリと響く。
二重ロックだ。
もう簡単には侵入できないだろう。
「いえ! とんでもないです!」
ルカさんは眼鏡のズレを直しながら、ブンブンと首を振った。
「辺境伯様の愛の深さに感動しました! あんなに殺気立った『愛してる』は初めて見ました!」
「愛というか、ただの親バカ予備軍よ」
私は苦笑した。
でも、胸の奥は温かい。
あんな風に泥だらけになってまで、私を守ろうとしてくれたのだから。
「さて、気を取り直しましょう」
私は表情を引き締めた。
テーブルの上には、王都の命運を握る図面が広げられている。
「ルカさん。現状の被害状況を、数字で教えてちょうだい」
「は、はい!」
ルカさんは背筋を伸ばし、手帳を開いた。
先ほどまでの怯えた様子は消え、技術者の顔に戻る。
「現在、第三区画から第五区画の下水が逆流中。汚染範囲は貴族街の南側30%に達しています。魔導浄化槽の稼働率は15%以下。……あと三日もすれば、王宮の地下貯水槽に汚水が混入します」
「三日……」
予想以上に深刻だ。
貯水槽が汚染されれば、飲み水がなくなる。
疫病が爆発的に広がるのは時間の問題だ。
「それで、これが協会が作成した改修案ですね?」
私は図面を指先でなぞった。
複雑な魔力回路が描かれている。
一見すると、正しそうに見える。
教科書通りだ。
けれど。
「……ダメね」
私は溜息をついた。
「えっ?」
ルカさんがポカンと口を開けた。
「ここのバイパス術式、誰が書いたの? 魔力の流れが逆よ」
「逆……ですか? でも、教本には『圧力の高い方から低い方へ流す』と……」
「それは物理的な水圧の話でしょう?」
私はペンを取り出し、図面に直接書き込んだ。
赤いインクが走る。
「私のシステムは『音』と『振動』を魔力に変換しているの。水圧が高い場所は、それだけ振動エネルギーも強い。そこに安易に魔力を流し込んだら、どうなると思う?」
「あっ……」
ルカさんの顔色が変わった。
「か、過負荷で……回路がショートする?」
「正解。ショートするだけならまだマシよ。最悪の場合、魔導炉が共振して爆発するわ」
私は図面の中心にある魔導炉に、大きくバツ印をつけた。
「この改修案を実行していたら、王都の半分がクレーターになっていたわね」
シン、と部屋が静まり返る。
マルクさんが「マジかよ……」と青ざめて後ずさった。
ルカさんはガタガタと震え出した。
自分たちが進めようとしていた計画が、実は自爆スイッチだったと知ったのだ。
「ぼ、僕たちは……なんてことを……」
「知識不足は罪じゃないわ。でも、検証不足は罪よ」
私は厳しく言った。
人の命がかかっているのだ。
甘い顔はできない。
「じゃ、じゃあどうすれば……! 僕たちには、エルナ様の術式を解析する能力なんて……!」
ルカさんが頭を抱えた。
絶望の色が濃い。
彼一人で背負うには、荷が重すぎる問題だ。
私はペンを置き、彼を真っ直ぐに見つめた。
「だから、私がいるのでしょう?」
「え?」
「私がここから指示を出すわ。一から十まで、全ての工程を私が設計する」
私は自分のお腹を優しく撫でた。
「残念ながら、今の私は王都へ行けないわ。この子が一番大事だから」
「は、はい。もちろんです」
「だから、ルカさん」
私はニッコリと笑った。
努めて、優雅に。
でも、目だけは笑わないようにして。
「あなたが私の『手足』になりなさい」
「て、手足……?」
「そう。私の脳内にある設計図を、あなたが現地で実行するの。私の指示通りに術式を書き換え、バルブを回し、魔石を配置する。……できるわね?」
ルカさんはゴクリと喉を鳴らした。
それは、彼にとって過酷な日々の始まりを意味していた。
天才の思考速度に合わせて、現場作業をこなす。
並大抵の努力では追いつけないだろう。
「や、やります!」
彼は立ち上がり、拳を握りしめた。
「やらせてください! 僕の手足で王都が救えるなら、何本でも捧げます!」
「いい返事ね。じゃあ、さっそく授業を始めましょうか」
私はマルクさんに合図した。
彼は心得たように、別の部屋から通信用の魔導具セットを持ってきた。
水晶玉と、数種類の魔石が埋め込まれた台座だ。
「王都とのホットラインを繋ぐわ。現地の技師たちにも伝えてちょうだい。『これから地獄の講義を始めるから、居眠りしたらチョークを投げるわよ』って」
「は、はいっ!」
ルカさんが通信機に向かって叫び始めた。
王都側の技師たちが慌てふためく様子が目に浮かぶ。
私は新しい紙を広げた。
頭の中には、すでに最適解が浮かんでいる。
老朽化した配管を活かしつつ、最小限の魔力で循環を回復させる方法。
音響共鳴を利用した、新しい制御術式。
ペンが走る。
私の手は止まらない。
「ルカさん、見ていて。ここの術式構成は、三拍子のリズムで組むの」
「さ、三拍子!? ワルツですか!?」
「そうよ。水の流れは音楽と同じ。心地よいリズムを作れば、勝手に流れていくの」
「な、なるほど……! 天才の発想だ……!」
ルカさんが必死にメモを取る。
その目はキラキラと輝いていた。
未知の技術に触れる喜び。
それを共有できる相手がいることが、私にとっても嬉しかった。
(ああ、楽しい)
久々の感覚だ。
現場の空気を、遠く離れたこの部屋でも感じる。
「ねえ、マルクさん。おやつのおかわり、もらえるかしら?」
私は手を動かしながら言った。
「今日は長くなりそうよ」
「……ほどほどにしてくださいよ。閣下がまたツルハシを持ってきますから」
マルクさんは呆れつつも、温かい紅茶を注いでくれた。
外はもう夕暮れだ。
けれど、私の仕事はこれからが本番だった。
王都復興作戦。
指揮官は、妊婦の錬金術師。
実行部隊は、頼りないけれど熱意だけはある若手技師たち。
「さあ、王都を救ってあげましょう」
私は悪戯っぽく微笑んで、次の図面を描き始めた。




