第3話 ツルハシと嫉妬と地下の秘密
ガツンッ!
硬い岩盤に鉄の爪が突き刺さる感触が手に伝わる。
俺はツルハシを振り上げ、再び地面に叩きつけた。
「……よし、これで基礎部分は確保できたか」
額の汗を拭い、掘り返した穴を見下ろす。
ここは城の地下深くに隠された、広大な空間だ。
ひんやりとした冷気が漂っているが、俺の体は熱気で満ちている。
俺が作っているのは、生まれてくる子供のための遊び場だ。
エルナの錬金術を応用した「自動回転木馬」をここに設置する計画だ。
冬の辺境は外で遊ぶことができない。
だから、城の中に最高の楽園を作ってやるのだ。
これはエルナにも内緒の、極秘プロジェクトだ。
完成した時の彼女の驚く顔を想像するだけで、疲れも吹き飛ぶ。
「さて、次は配線の埋め込みだが……」
作業着の袖で顔を拭った時、ふと、先ほどの衛兵の報告が脳裏をよぎった。
『閣下! 王都からの使者が到着されました!』
確か、三十分ほど前にそう言われた気がする。
あの時は木馬のギア比の計算に夢中で、「ああ、わかった」と適当に答えてしまったが。
待てよ。
王都からの使者?
「……しまっ!」
俺はツルハシを握ったまま立ち上がった。
王都の人間だと?
あの腐りきった貴族どもの手先か?
エルナを「無能」と罵り、捨てた連中が、今さら何の用だ。
嫌な予感が背筋を駆け上がる。
もしや、エルナを連れ戻しに来たのではないか。
あるいは、彼女の技術を搾取しに来たのか。
身重のエルナにストレスを与えるなど、言語道断だ。
「エルナを守らなければ!」
俺は地下室を飛び出した。
螺旋階段を駆け上がる。
呼吸が荒くなるが、構っていられない。
マルクは何をしている。
あいつが同席しているはずだが、相手が法外な要求をしてきたら、あの優男では押し切られるかもしれない。
一階の廊下を走る。
すれ違うメイドたちが「ひっ!」と悲鳴を上げて避けていく。
何だ?
俺の形相がそれほど恐ろしいのか?
まあいい、今は一刻を争う。
応接室の扉が見えた。
中から話し声が聞こえる。
「……王都では……まともな食事もとれてなくて……」
男の泣き声だ。
泣いている?
まさか、泣き落とし戦術か?
「国が大変だから戻ってくれ」と、エルナの同情心につけ込んでいるのか?
許さん。
俺の妻は、もう貴様らの道具ではない。
「エルナ!!!」
俺は扉を蹴破る勢いで開け放った。
部屋の中の光景が目に飛び込んでくる。
ソファに座るエルナ。
その向かいで、クッキーを手に泣きじゃくる若い男。
そして、その男はエルナを熱っぽい目で見つめていた(ように見えた)。
「聞いたぞ! 王都の男が来たそうだな! エルナ、下がっていろ! そいつは俺が排除する!」
俺は叫びながら、二人の間に割って入った。
男が「ひぃぃっ!」と情けない悲鳴を上げて、ソファの裏に転がり落ちる。
「レ、レオンハルト様!? どうしたんですか、その格好!」
エルナが立ち上がる。
驚いているようだ。
無理もない。
夫がいきなり乱入してきたのだから。
だが、今は非常事態だ。
俺はソファの裏に隠れた男を睨みつけた。
「貴様か! エルナに近づく不届き者は!」
俺は手に持っていた武器を構えた。
「ち、違います! 彼は技術者で……!」
エルナが止めに入ろうとする。
騙されるな、エルナ。
王都の男など、口先だけで中身は腐っているに決まっている。
「問答無用! 我が妻にストレスを与える輩は、このグラーフが許さん!」
「ちょ、閣下! 落ち着いてください!」
マルクが横から飛びかかってきた。
俺の腕を羽交い締めにする。
「離せマルク! この男を領外へ放り出す! いや、雪山へ埋めてやる!」
「ダメですって! 持ってるものを離してください! 床が傷つきます!」
「え?」
持っているもの?
マルクに言われて、俺は自分の右手を見た。
そこには、巨大な鉄製のツルハシが握られていた。
先端には泥と岩の欠片が付着している。
「……あ」
地下での作業中、握ったまま走ってきてしまったのか。
「レオンハルト様」
静かな、しかし絶対零度の冷気を孕んだ声がした。
俺はギギギと首を回した。
エルナが仁王立ちしている。
美しい顔には、呆れと怒りが入り混じった、妻特有の「あの表情」が浮かんでいた。
「座りなさい」
「は、はい」
俺は反射的に正座した。
マルクが手を離し、憐れむような目で俺を見る。
ソファの裏からは、男が眼鏡を直しながら恐る恐る顔を出している。
「あの……レオンハルト様。一つお聞きしますけれど」
エルナが俺を見下ろした。
「なぜ、ツルハシを持って応接室に?」
「そ、それは……」
言えない。
地下に遊園地を作っているなんて言ったら、サプライズが台無しだ。
「……に、庭の手入れをしていたんだ」
苦しい言い訳だ。
ツルハシで庭いじりをする貴族など、どこにもいない。
「……漆喰と泥だらけで?」
「あ、ああ。頑固な雑草があってな」
エルナは深くため息をついた。
完全にバレている気配がするが、彼女はそれ以上追求しなかった。
「レオンハルト様。ルカさんは敵ではありません。王都の惨状を伝えにきた、ただの技術者です」
彼女は男……ルカとかいう若造を示した。
「それに、私たちが話していたのは、下水道の配管構造についてです。色恋の話など一言もしていません」
「……本当か?」
俺はルカを睨んだ。
ルカはビクリと震え、首が千切れそうなほど縦に振った。
「ほ、本当ですぅ! 僕はただ、エルナ様の神がかった配管レイアウトに感動して泣いていただけです! 下心なんて滅相もありません!」
「配管で泣く?」
意味がわからない。
だが、こいつの目は怯えきっている。
嘘をついているようには見えない。
俺はゆっくりと立ち上がった。
ツルハシを背中に隠す。
「……そうか。早とちりをしたようだ」
気まずい。
穴があったら入りたい。
ちょうど地下に掘りかけの穴があるが、今すぐそこに戻りたい気分だ。
「エルナ、すまない。君の身を案じるあまり、取り乱した」
俺は素直に謝った。
エルナに対して強がっても仕方がない。
彼女の表情がふっと緩んだ。
「もう……過保護すぎますよ、あなた」
彼女はハンカチを取り出し、俺の頬についた泥を拭ってくれた。
その優しい手つきに、荒ぶっていた心が鎮まっていく。
「でも、守ろうとしてくれたことには感謝します。……次は剣を持ってきてくださいね。ツルハシだと、山賊みたいですから」
「……善処する」
俺は咳払いをした。
「おい、ルカと言ったな」
俺は若造に向き直った。
ルカは直立不動になる。
「は、はい!」
「エルナは身重だ。長時間の会話は負担になる。話は手短にしろ。そして、少しでも彼女の顔色が曇ったら、俺が即座に貴様を埋める。わかったな」
「了解しました! 命に代えても!」
ルカは敬礼した。
マルクが後ろで「やれやれ」と肩をすくめている。
俺はツルハシを持って部屋を出ようとした。
これ以上ここにいても、エルナの邪魔になるだけだ。
それに、地下の作業も中途半端になっている。
「レオンハルト様」
背後からエルナに呼び止められた。
「夜は、ちゃんと一緒にお風呂に入りましょうね。……泥だらけの背中、流しますから」
彼女の声は弾んでいた。
どうやら、本気で怒ってはいないらしい。
「ああ、楽しみにしている」
俺は逃げるように廊下に出た。
扉が閉まる。
廊下の壁に背中を預け、俺は大きく息を吐いた。
「……格好悪いな、俺は」
嫉妬でツルハシを振り回す辺境伯。
伝説に残る失態だ。
だが、あのルカという男。
エルナを見る目は、確かに尊敬に満ちていた。
かつての王都の連中とは違う。
それだけは認めてやってもいい。
俺はツルハシを握り直し、再び地下への階段へと向かった。
子供のための木馬、今日中に基礎を完成させなければ。
嫉妬している暇などないのだ。
パパになる仕事は、領主の仕事よりも忙しいのだから。




