第二十二話:王宮マッスル・レボリューション
ええ、ええ。
わたくしが北の地、白氷城にて一人のメイドの「感情筋」を育成するという、地道で、しかし崇高な任務に励んでおります間に。
王都では、わたくしが蒔いた筋肉の種が、ついに、栄光の大輪の花を咲かせるに至っておりましたわ。
その報は、王都にいる兄ヴォルフからの、もはや悲鳴にしか聞こえない定期報告の手紙によって、もたらされましたの。
『――前略、イザベラ。
先日、エドワード王子殿下が、お前の影響で、王宮の庭園を一つ潰し、巨大なトレーニングジムを建設された。そして、それが、ついに完成した。
もう、何が何だか、分からない…』
ふふん。何を、今更。
エリアーナが学園で灯した小さな炎と、わたくしの圧倒的なカリスマ(物理)に心を射抜かれた王子殿下による改革の追い風。その二つが合流した時、何が起こるかなど、分かりきっておりましたでしょうに。
そう、王都で巻き起こった、歴史の教科書にも載るであろう大改革――すなわち、『マッスル・レボリューション』の始まりですわ!
完成したという『王宮トレーニングジム』は、まさに、わたくしの理想を体現した、筋肉の神殿でした。
床には、衝撃を吸収する特殊な魔法が付与された最高級の大理石が敷き詰められ、壁一面には、自らの完璧なフォームを確認するための巨大な鏡。天井からは、まばゆいシャンデリアが、これから鍛え上げられるであろう、珠玉の肉体たちを、祝福するかのように照らしております。
そこに並べられた器具も、もちろん、ただのものではございません。
ドワーフの国から取り寄せたという、寸分の狂いもなく重量調整された鋼鉄の亜鈴。ライネスティア家の協力を得て開発されたという、術者の魔力に応じて負荷が自動的に変化する、最新鋭のトレーニングマシン。そして、汗をかけばかくほど、森の香りが立ち上るという、ドルヴァーン家特製の魔法のタオルまで完備されているという徹底ぶり。
この、筋肉の聖地は、瞬く間に、王都の貴族たちの、新たな社交場となりました。
そして、そこでは、新たな、恋と友情のドラマも、生まれつつあったようですわ。
ジムの一角で、エドワード王子が、歯を食いしばりながら、高重量のベンチプレスに挑んでおりました。その目的は、ただ一つ。愛するイザベラに、男として、よりふさわしい存在となるため。
ですが、その視線の先には、複雑な感情の炎が揺らめいておりました。
視線の先にいるのは、学園の令嬢たちを引き連れ、「学園フィットネス・クラブ」の出張指導を行っている、エリアーナ。
彼女は、皆の中心に立ち、少しはにかみながらも、張りのある声で、指導しておりました。
「皆様!イザベラ様は、こう、おっしゃっておりましたわ!『美しいドレスを着こなす秘訣は、体幹にあり!』と!さあ、一緒に、プランクを始めましょう!」
「「「はい、部長!」」」
令嬢たちが、一斉に、美しいフォームで、プランクを始める。その光景は、もはや、一つの、宗教儀式のようでした。
「(…イザベラ様の、お言葉…!)」
エリアーナは、指導の合間に、ふと、突き刺さるような、強烈な視線を感じました。
そちらに目を向けると、エドワード王子殿下が、鬼のような形相で、こちらを睨みつけながら、凄まじい勢いで、ベンチプレスを繰り返しておいででした。
(ひっ…!わ、わたくし、何か、王子殿下のお気に障るようなことを、してしまいましたでしょうか…!?)
エリアーナは、その、あまりの気迫に、心臓が、きゅっと縮み上がるのを感じました。
ですが、当の王子の内心は、エリアーナの心配とは、全く、見当違いの方向に、燃え上がっていたのです。
(ほう…エリアーナ嬢か。彼女も、イザベラの指導を受けているとは聞いていたが…。しかし、あのイザベラを語る時の、一点の曇りもない真っ直ぐな瞳。…ふっ、面白い。彼女もまた、イザベラの真価を理解する同志というわけか)
王子は、エリアーナの真摯な姿に、同じ人を想う者としての、奇妙な仲間意識を感じました。
(…だが!同志は同志、好敵手は好敵手だ!イザベラの隣に立つに最もふさわしいのは、この私なのだから!)
その、奇妙な友愛と、断固たる恋心が、彼の魂を燃え上がらせました。
王子は、補助についていた騎士に、力強く命じます。
「補助の者!もっと重りを追加したまえ!イザベラへの私の想いの重さを、あのエリアーナ嬢に見せつけてやるのだ!」
その、あまりにレベルの高い、恋の闘争に、周囲が気づくはずもございません。
ただ、王都の貴族たちの価値観は、もはや、完全に、筋肉によって、塗り替えられておりました。
その夜、王城で開かれた夜会は、その、最終的な証明の場となりましたわ。
もちろん、誰もがこの革命的な流行に、順応できたわけではございません。
柱の陰では、シルバームーン子爵のような老貴族が、深いため息をついておりました。
「ふん…近頃の若い者は、嘆かわしい。詩の一節を語らう優雅さも忘れ、僧帽筋の隆起ばかりを褒めそやすとは。世も末ですな…」
別のテーブルでは、流行に乗ろうとして失敗した令嬢が、扇子で顔を隠しながら、友人に愚痴をこぼしております。
「エリアーナ様の言う通りにスクワットを試してみたのですけれど、腰を痛めてしまって!きっと、わたくしのような華奢な者には、向いていないのですわ!」
ですが、そのような声は、もはや、新しい時代の、圧倒的な熱狂の前には、かき消されてしまう。
今宵の主役は、紛れもなく、筋肉に目覚めた者たちでした。
「まあ、シュタインフェル伯爵夫人!その、肩の三角筋のカット、素晴らしいですわ!一体、どのようなトレーニングを?」
「ありがとう存じます、グリューンヴァルト夫人。最近、サイドレイズの重量を、少し上げたのですの。それより、夫人こそ、その、引き締まった大腿四頭筋…!スリットの入ったドレスが、これほど、お似合いになるなんて、嫉妬してしまいますわ!」
殿方たちも、負けてはおりません。
「聞いたか?王子殿下は、鍛錬の後、一刻もおかずに、王家秘伝の霊薬を摂取されるそうだ。それこそが、マナが最大効率で肉体に循環される“黄金時間”(おうごんじかん)の、秘訣らしいぞ」
「ほう!それは、初耳だ。我が家の専属錬金術師に、最新の『生命の三連鎖』を調合させているのだが、それと組み合わせれば、わたくしも、王子のような、見事な肉体を手に入れられるやもしれぬ…!」
ええ、ええ。
貴族たちの価値観は、儚げな「華奢さ」から、生命力に満ちた「健康的な肉体美」へと、完全に塗り替えられた。
王都は、かつてないほど、活気と、そして、希望に満ち溢れておりましたわ。
わたくしの、完璧な計画通りに!
実に、実に、素晴らしいことですわ!
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