第五話:女王様の困惑と、悪役令嬢の善意
「さあ、リリア! 次は『喜び』の感情を司る、僧帽筋と三角筋の連携トレーニングですわ! この、わたくし特製の石亜鈴を、天に突き上げるのです! 喜びとは、すなわち、天を衝くほどの衝動! それを、肉体で表現なさい!」
わたくしの張りのある声が、白氷城の静かな中庭に響き渡ります。
目の前では、メイドのリリアが、寸分の狂いもないフォームで、石亜鈴を頭上へと掲げておりました。その瞳には相変わらず光がありませんけれど、腕の筋肉の震えは、確実に、彼女の魂が「喜び」という高負荷な感情を受け入れ始めている証拠ですわ!
ええ、ええ、わたくしの完璧な「感情筋トレ」理論は、正しかったのです。
心を失ったNPCには、まず、肉体からアプローチする。心が弱っているのは、それを支える筋肉が足りないから。 なんと明快で、合理的なのでしょう!
「素晴らしいですわ、リリア! その、完璧なフォーム! あなたの感情筋は、確実に、快方へ向かっておりますわよ!」
わたくしが、指導者としての喜びを噛み締めておりますと、中庭の回廊から、ひどく思いつめたような、それでいて、どこか儚げな気配がいたしました。
セレスティーナ・フォン・ヴァイスハルト様。わたくしの、このステージにおける、好敵手ですわね。
彼女は、柱の陰から、わたくしたちの、その、あまりに情熱的なトレーニングの光景を、じっと見つめておりました。その美しい顔は、どこか青ざめ、白魚のような手で、ご自身のこめかみを、くっ、と押さえていらっしゃる。
(まあ…!)
わたくしは、思わず、胸が熱くなりました。
ご覧なさいな、あの、セレスティーナ様の、お姿を!
わたくしの、この、完璧な指導理論と、リリアの、目覚ましい回復ぶりに、感動のあまり、打ち震えていらっしゃるのですわ! きっと、こみ上げる熱い想いを、必死で、その氷の仮面の下に、抑え込んでおられるのでしょう。
ええ、ええ、分かりますわ、そのお気持ち!
わたくしのような、凡人には到底思いつかない、革命的な治療法を目の当たりにして、その知性が、追いつかずにいるのですわね!
わたくしは、そんな彼女の、知的好奇心と、感動に、応えて差し上げねばなりません。
トレーニングの手を止めると、わたくしは、セレスティーナ様の元へと、誇らしげに歩み寄りました。
「ご覧になりましたか、セレスティーナ様。リリアの、あの、目覚ましい成長を! わたくしの理論に基づけば、あと三日もすれば、彼女は、涙を流すための大胸筋と、笑うための広背筋を、完全に取り戻すことでしょう!」
「イザベラ様…」
セレスティーナ様は、何かを言おうとして、しかし、言葉が見つからない、といった様子で、唇を震わせております。まあ、感極まって、言葉も出ないようですわね。
「心配には及びませんわ。わたくしの善意は、決して、見返りを求めたりはいたしません。ですが、もし、あなた様も、ご自身の、その、繊細すぎる心の筋肉を、鍛えたいと、お思いでしたら、いつでも、お声がけくださいな」
わたくしは、彼女の、その、あまりに華奢な肩に、ぽん、と力強く手を置きました。
「共に、汗を流せば、心と筋肉は、より、強固な絆で結ばれますわよ! さあ、あなた様も、ご一緒に、この『友情スクワット』はいかがです!?」
わたくしが、満面の笑みで、トレーニングに誘って差し上げると。
セレスティーナ様は、ただ、力なく、ふるふると、首を横に振りました。その月白色の瞳は、潤んでいるようにさえ見えます。
「まあ、結構ですの?…ふふ、よろしいでしょう。今は、ただ、わたくしたちの、この、美しい師弟の姿を、その目に焼き付けておくとよろしいですわ」
わたくしは、彼女のその反応を、「感涙のあまり、言葉も出ない」と、完璧に解釈いたしました。
ええ、ええ、わたくしの、この、悪役令嬢らしからぬ、慈愛に満ちた善意。それが、彼女の、凍てついた心を、溶かし始めているに、違いありませんわ!
全ては、計画通りですわね!
ご覧いただきありがとうございました。感想や評価、ブックマークで応援いただけますと幸いです。また、世界観を共有する作品もあるので、そちらもご覧いただけるとお楽しみいただけるかと存じます。HTMLリンクも貼ってあります。
次回は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です。
活動報告やX(旧Twitter)でも制作裏話を更新しています。(Xアカウント:@tukimatirefrain)




