第四話:泣くための大胸筋、笑うための広背筋
「さあ、始めますわよ! あなたの、心と肉体の、再生を!」
わたくしは、あの後、セレスティーナ様の静止を、その圧倒的な力で振り切り、リリアを、半ば、引きずるようにして、白氷城の中庭へと連れ出しておりました。
雪が、ちらつく、冷たい空気。ですが、わたくしに言わせれば、これこそが、最高のトレーニング環境。交感神経を刺激し、筋肉の反応を、最大限に、引き出してくれますわ。
「イザベラ様、お待ちください! リリアは、まだ、本調子では…!」
セレスティーナ様が、慌てて、わたくしたちを、追いかけてきます。
わたくしは、そんな彼女に、トレーナーとしての、厳しい視線を向けました。
「甘やかしては、いけませんわ、セレスティーナ様。筋肉は、常に、限界を超えた負荷を、求めているのです。それは、感情を司る、特殊な筋肉とて、同じこと!」
わたくしは、まず、リリアに向き直ると、その、第一の課題を、告げました。
「良いですか、リリア。まずは、『悲しみ』の感情から、取り戻しますわよ。そして、悲しみの感情を、司る筋肉。それは、この、大胸筋です!」
わたくしは、自らの、豊満な胸を、ドン、と叩いてみせる。
「涙とは、すなわち、大胸筋が、収縮することで、魂核から、絞り出される、水なのです! さあ、わたくしの、完璧なフォームを、よく、ご覧なさい!」
わたくしは、その場に、仰向けになると、近くにあった、手頃な大きさの石の彫像を、両手に一つずつ、掴みました。そして、大胸筋の収縮を、最大限に意識しながら、完璧な、ダンベルフライの動きを、繰り返してみせる。
「さあ、あなたも、やるのですわ!」
リリアは、人形のように、無表情なまま、わたくしの指示に、従いました。
彼女は、驚くほど、素直な生徒でした。そのフォームは、初めてにしては、驚くほど、正確。
ですが、いくら、その、胸の筋肉を、収縮させても、彼女の瞳から、涙が、零れ落ちることは、ありませんでした。
「ふむ…。筋肉の収縮は、完璧。ですが、感情への、出力が、ゼロ。これは、魂核と、涙腺を繋ぐ、神経回路に、問題があるようですわね」
わたくしは、トレーナーとして、冷静に、その症状を分析します。
「よろしいでしょう。ならば、次は、『喜び』ですわ! 喜びを司るのは、この、広背筋!」
わたくしは、立ち上がると、ボディビルダーが、観客に、その筋肉を、披露するかのように、背中の、広背筋を、大きく、大きく、広げてみせました。
「ご覧なさい! このポーズこそが、横隔膜を広げ、魂の底からの、笑いを、誘発するのです! さあ、あなたも!」
リリアは、またしても、完璧に、そのポーズを、模倣してみせる。
その、小さな体には、不釣り合いなほど、美しい、逆三角形のシルエット。
ですが、やはり、その顔は、能面のように、無表情なまま。
その、あまりに、シュールで、そして、常軌を逸した、トレーニングの光景。
セレスティーナ様は、もはや、言葉もなく、ただ、頭を抱えて、その場に、うずくまっておりました。
わたくしは、そんな、二人の様子に、一切、動じることなく、次の、トレーニングメニューへと、思考を巡らせていたのです。
(これは、わたくしが、思っていた以上に、重症ですわね…。よろしいでしょう。明日は、もっと、負荷を上げますわよ…!)
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