第八話:恐怖の筋トレ指導
「い、いやですぅ!離してください、イザベラ様ぁ!」
「何を甘ったれたことを言っているのですか、エリアーナ!ヒロインたる者、涙は最後の武器。序盤から安売りするものではございませんわ!」
わたくしは、絶叫するヒロインの腕を掴んだまま、中庭の広場へと引きずってまいりました。クレメンティーナとダフネが、少し同情的な、しかし「自分たちも通った道」とでも言いたげな複雑な表情で、後からついてきております。
わたくしは、エリアーナを広場の中央に立たせると、仁王立ちで彼女の全身を再度、検分いたしました。
ううむ。何度見ても、貧相な体つきですわ。これでは、攻略対象の殿方を守るどころか、自分で自分の身を守ることすらおぼつかない。
「よいですか、エリアーナ。まず、あなたの基礎身体能力を測定します。手始めに、腕立て伏せをやってみなさい」
「う、うでたて…ふせ?」
「知らないのですか!?……まあ、平民では、嗜みもございませんわよね。ブリギッテ、お手本を」
「かしこまりました、お嬢様!」
ブリギッテが、地面に優雅に手をつくと、寸分の乱れもない美しいフォームで、高速腕立て伏せを披露します。その速度たるや、もはや残像しか見えません。
「…では、どうぞ」
「は、はい…」
エリアーナは、おずおずと地面に手をつきますが、プルプルと子鹿のように震える腕は、彼女の体重、おそらく40キロ グアにも満たないであろうその体を、支えることすらできません。べしゃり、と音を立てて、彼女は地面に突っ伏しました。
わたくしは、天を仰ぎました。
「信じられませんわ…。腕の筋肉が、100グラム アも存在しないのではなくて?」
あまりの脆弱さに、眩暈がいたします。これでは、王子様との腕相撲で、秒殺されてしまいますわ。
「次!腹筋ですわ!」
結果は、言うまでもありません。彼女は、一度も起き上がることすらできませんでした。
「…もう、分かりましたわ」
わたくしは、大きくため息をつきました。
「あなたの初期ステータスが、致命的なまでに低いことは、よく理解いたしました。これはもう、ゲームの設計ミス、バグと言っても過言ではございません」
わたくしが、今後の過酷なトレーニング計画を脳内で組み立てていると、その騒ぎを聞きつけたのか、一人の殿方が、こちらへ近づいてくるのが見えました。
輝く金髪、空色の瞳。婚約者である、エドワード第二王子殿下。
彼の視線は、地面で半泣きになっているエリアーナに、釘付けです。
「イザベラ!一体、どういうことですか!彼女に、何をされているのです!」
王子は、正義の味方然として、わたくしを咎めるように言いました。
そうですわ、これです!このイベントですわ!
『ヒロインをいじめる悪役令嬢、王子様に見つかり、叱責される』
ここでの対応を間違えれば、わたくしの破滅フラグは、より強固なものとなる!
しかし、今のわたくしは、以前のわたくしとは違います。
わたくしは、王子殿下に向き直ると、心からの憂いを込めて、言いました。
「殿下!あなたこそ、お分かりになっていないのですか!このヒロインの、あまりの脆弱さを!」
「は?ひろいん?」
「このままでは、彼女は、あなたのルートを攻略する前に、ただの風邪でゲームオーバーになってしまいますのよ!ヒロインの健康管理も、攻略対象の務めではございませんか!」
わたくしの、あまりに真摯な訴えに、エドワード殿下は、完全に思考が停止したご様子。「ルート…?げーむおーばー…?」と、意味不明な単語を繰り返すばかり。
ふん、殿方も、まだまだですわね。
わたくしは、王子を放置すると、再び、絶望に打ちひしがれるヒロインへと向き直りました。
「さあ、エリアーナ!泣いている暇があるなら、プロテインを飲みなさい!ブリギッテ、例の『初心者用スペシャルミックス』を!」
「はい、お嬢様!栄養補給と筋肉増強、そして不屈の精神を育む、秘伝のドリンクでございます!」
ブリギッテが、どこからともなく、沼色の液体がなみなみと注がれた、1リータはあろうかという巨大なジョッキを取り出しました。
それを目にした瞬間、
「いやあああああああああ!」
エリアーナは、短い悲鳴を上げると、ぷつり、と意識を失い、その場に崩れ落ちてしまいました。
…全く、情けない。
ですが、まあ、よろしいでしょう。
「まだまだ、鍛えがいがありそうですわね…」
わたくしは、気絶したヒロインを見下ろし、そう、満足げに呟いたのでございます。
これから始まる、地獄の肉体改造計画を思い描きながら。
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