第七話:ヒロインは保護対象ですわ!
わたくしが二人の令嬢を弟子としてから数日が経ちました。
早朝の学園に、今や三人の悲鳴がこだまするのが日常の風景となっております。
「い、一キロスも走り続けるなど、もう無理ですわ、イザベラ様!」
「わたくしの教科書、全部で10キログアはございますのに…!」
「弱音を吐く暇があるなら、足を動かしなさい!あなたたちを、わたくしの威光にふさわしい、屈強な側近へと鍛え上げてやるのですから!」
そうですわ。わたくしの指導の甲斐あって、クレメンティーナとダフネは、以前のようないじめなど考えもつかないほど、日々のトレーニングで満身創痍。実に健全なことです。
この調子でいけば、彼女たちが原因でわたくしが断罪されるという破滅フラグは、完全に回避できることでしょう。ふふふ、計画通りですわ。
わたくしが、そんな手応えに満足していた、ある日の昼下がり。
中庭をトレーニングコースとして走り込んでいると、前方に人だかりができておりました。
中心にいるのは、数人の下級貴族の令嬢たち。そして、彼女たちに取り囲まれているのは…小柄で、亜麻色の髪をした、そばかすの目立つ、いかにも気弱そうな平民の少女。
(…! あの少女は…!)
わたくしの脳内に、前世の記憶が稲妻のように閃きます。
そうですわ、彼女こそが、この乙女ゲーム『白亜の塔のエトワール』の主人公、エリアーナ!
そして、あの状況は、間違いなくゲーム序盤のイベント、『地味なヒロイン、貴族たちに絡まれる』ですわ!
「まあ、平民の特待生さん。その教科書、とても重そうですわね。わたくしたちが持って差し上げましょうか?」
「い、いえ、大丈夫です…!」
「遠慮なさらないで。あら、手が滑ってしまいましたわ」
バサバサ、と教科書が地面に散らばる。典型的な、実に古典的で、陰湿な嫌がらせ。
それを見て、わたくしは、血の気が引くのを感じました。
(まずいですわ…!非常にまずいですわ!)
これは、ただのいじめではございません。
ヒロインの心がここで折れてしまえば、彼女はどの攻略対象とも結ばれず、物語はバッドエンドへ直行。そして、ゲームのシナリオが破綻した時、悪役令嬢であるわたくしに、どんな災厄が降りかかるか、想像もつきません!
そうですわ、ヒロインのメンタルコンディションは、わたくしの生存に直結する、最重要課題なのです!
「あなたたち、そこで何をしておりますの」
わたくしは、地を這うような低い声で、その輪に割って入りました。
いじめを行っていた令嬢たちが、わたくしの姿を認め、サッと顔色を変えます。
しかし、わたくしは、彼女たちなど眼中にございません。
わたくしは、まっすぐにエリアーナの前へと進み出ると、その貧相な体を、上から下まで、じろりと検分いたしました。
「あなた、お名前は?」
「え、あ、エリアーナ、です…」
「ふん。弱々しいお名前ですこと。見たところ、あなたの腕の周囲は20セン チスにも満たないのではなくて?これでは、重さ1キログアの教科書を持つことすら、ままなりますまい」
わたくしは、大きくため息をつきました。
「これはいけませんわ。ヒロインが、これほどまでに脆弱では。物語が始まる前に、倒れてしまいます」
「へ?ひ、ひろいん…?」
エリアーナが、小さな鳥のように首を傾げます。
わたくしは、いじめていた令嬢たちと、後ろで控えていたクレメンティーナとダフネに向かって、高らかに宣言いたしました。
「お聞きなさい、あなたたち!このエリアーナは、この世界の安定――ひいては、わたくしの平穏な学園生活の根幹をなす、最重要人物ですの!本日この瞬間より、彼女は、わたくしツェルバルク家の保護対象といたします!」
食堂が、水を打ったように静まり返ります。
「そして、エリアーナ。あなたも、よろしいですわね?」
わたくしは、怯える子犬のようなヒロインの腕を、がしりと掴みました。
「あなたを、誰にも負けない、最強のヒロインへと、このわたくしが、直々に鍛え上げてさしあげますわ!」
「えええええええっ!?」
「返事は『はい』か『イエス』ですの!まずは、あなたの基礎体力を測定します!わたくしについてきなさい!手始めに、5キロスほど、走りましょうか!」
わたくしは、絶叫するヒロインを引きずるようにして、その場を後にしました。
残された生徒たちが、何が起こったのか理解できないという顔で、ただ呆然と立ち尽くしている。
その中には、婚約者であるエドワード王子の、驚きに見開かれた顔もあったような気がいたしますが、今は些細なことですわ。
ふふふ、これでヒロインの安全は確保されました。
また一つ、破滅フラグを、完璧にへし折ってやりましたわ!
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次話は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です。
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