第五話:悪役令嬢、初めての“迷い”
「どうすれば…どうすれば、よろしいのですか…!」
その日の夜、わたくしは、一人、王城の自室で、苛立ちのままに部屋を歩き回っておりました。
わたくしの、完璧な肉体を持て余し、その有り余るエネルギーを、どこにもぶつけることができない。こんな無力感は、生まれて初めてかもしれません。
兄ヴォルフは、「私が、なんとかする。お前は、余計なことをするな」とだけ言い残し、王家の法務官たちとの協議へと向かいました。彼の、憔悴しきった背中が、わたくしの脳裏に焼き付いて離れません。
(わたくしのせいですわ…。わたくしが、あの御前試合で、ライネスティア家の鼻を明かしてしまったから…!)
あの時の勝利は、確かに、胸がすくような快感でした。ですが、その結果が、これ。敵は、わたくしとの直接対決を避け、最も汚く、そして、最も効果的な方法で、反撃してきたのです。
わたくしは、窓の外に広がる、王都の夜景を睨みつけました。
あの、瓦版を刷った印刷所。嘘を並べ立てたという、平民の娘。そして、その背後で糸を引く、ライネスティア家の者たち。
その全てを、今すぐ、この手で、物理的に、粉砕してしまいたい。ですが、そんなことをすれば、兄の名誉は、回復不可能なまでに、地に落ちてしまうでしょう。
まさに、これこそが、わたくしが初めて直面する、「筋力では解決できない問題」。
この世界に来てから、わたくしは、全ての障害を、圧倒的な力で、ねじ伏せてきました。破滅フラグも、魔獣も、対戦相手も。ですが、今、わたくしの前に立ちはだかっているのは、「噂」という、実体のない、見えない敵。それは、殴ることも、蹴り飛ばすこともできない、厄介な壁でした。
(乙女ゲームには、こんなイベント、ありませんでしたわ…!)
前世の記憶をいくら探っても、攻略法は見つからない。わたくしの知るゲームは、もっと、単純で、分かりやすいものでした。好感度を上げ、ステータスを磨き、イベントをクリアすれば、必ず、ハッピーエンドが待っている。
ですが、これは、一体、何?
選択肢は、どこにあるのですか?
どの敵を倒せば、このクエストは、クリアになるのですか?
答えのない問いが、ぐるぐると、頭の中を巡ります。
苛立ちと、焦りと、そして、自分の無力さへの、不甲斐なさ。
わたくしは、思わず、近くにあった、装飾用の鎧兜を、拳で殴りつけていました。
ガッシャーン!という、けたたましい音。
鋼鉄製の鎧が、哀れな音を立てて、床に崩れ落ちる。
ですが、私の心は、少しも晴れませんでした。
「くっ……!」
初めて、本気で思い悩み、苛立つ悪役令嬢の姿が、そこにありました。
それは、ただの脳筋令嬢が、初めて、本当の意味で「考える」ことを強いられた、成長の痛みを伴う、静かな夜でした。
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