第五話:その嫌がらせ、生ぬるいですわ!
わたくしが、重さ推定10キロムア※10kgはあろうかという巨大なシェイカーをテーブルに置いた音は、存外、食堂の隅まで響いたようですわね。
わたくしのかつての取り巻き――クレメンティーナとダフネが、セレスティーナ様を取り囲むその輪から、一斉にこちらを振り返りました。その顔には、わたくしへの畏怖と、獲物を前にした卑小な優越感が混じり合っております。
全く、見るに堪えませんわ。
「あなたたち…」
わたくしが地を這うような低い声を発すると、二人の肩が面白いくらいに跳ね上がりました。食堂のざわめきが、まるで潮が引くように、わたくしたちの周りから消えていきます。
「わたくしに、恥をかかせるおつもりですの?」
そうですわ。問題は、あの氷の令嬢に嫌がらせをすること自体ではございません。その、あまりに生ぬるく、非効率的で、悪役令嬢としての、そしてツェルバルク家の威光を著しく損なう、その「やり方」が問題なのです。
「い、イザベラ様…?わ、わたくしたちは、ただ、セレスティーナ様にご挨拶を…」
クレメンティーナが、震える声で言い訳をいたします。
「挨拶、ですって?」
わたくしは、ゆっくりと歩みを進めました。カツ、カツ、とわたくしの靴音だけが響きます。
わたくしは、まずダフネの前に立つと、その姿勢を、頭のてっぺんからつま先まで、じろりと検めました。
「なっておりませんわね。脅しをかける際の基本姿勢が、全く。背筋は伸びておらず、重心はふらついている。足は閉じたまま。これでは、相手に少し押されただけで、三メートスは吹き飛んでしまいますわよ」
「ひっ!?」
次に、クレメンティーナ。
「あなたの声、小さすぎますの。食堂の端、ほんの数十メートス先にも届いておりませんわ。威圧とは、声量。腹の底から、横隔膜を震わせて発声するのです。今のあなたのは、ただの陰口。三流のやることですわ」
わたくしの完璧な指摘に、二人は顔を真っ青にして俯くばかり。
その光景を、少し離れた場所から、セレスティーナ様が、怪訝な、いえ、もはや理解不能なものを見る目で、ただ、見つめておりました。
ふん、口で言っても分かりませんわね。悪役道とは、実践あるのみ。
「良いでしょう。このわたくしが、真の『圧』とは何か、お手本を見せてさしあげますわ」
わたくしは、テーブルの上に置かれていた、給仕用の美しい銀の水差しを、指先でつまみ上げました。中には、おそらく1リータほどの水が入っており 、その重さは2キログア※2kgほどございましょうか 。
そして、
グシャリ。
わたくしは、その銀の水差しを、リンゴでも握り潰すかのように、片手で、たやすく、無慈悲な鉄塊へと変えました。
「「ひぃぃぃぃぃぃっ!」」
クレメンティーナとダフネが、揃って短い悲鳴を上げる。
食堂が、水を打ったように静まり返ります。フォークを落とす音、息を呑む音。全ての視線が、わたくしの手の中の、哀れな銀の塊に注がれている。
食堂の柱の陰から、セレスティーナ様のメイド(確か、リリアとかいう名前でしたか)が、信じられないものを見たという顔で、口元を覆っているのが見えました。ええ、その反応こそが正解ですわ。
「分かりましたか?言葉で脅すなど、二流。真の一流は、多くを語らず、ただ、圧倒的な『力』を示すのです。その拳一つが、100ディナの銀貨よりも雄弁に、相手の意思を挫くのですわ」
わたくしが、くず鉄と化した水差しをテーブルに置くと、ガシャン、と重い音が響きました。
二人は、もはや、腰が抜けたようにその場にへたり込んでおります。
「よろしい。あなたたちには、特別に、わたくしが直々に再教育を施しますわ。まずは、この食堂の周りを20周!距離にして、およそ2キロス!さあ、行きなさい!」
「は、はいぃぃぃ!」
半泣きで走り去っていく二人を見送り、わたくしは満足げに頷きました。
これで、わたくしの評判を落とすという、一つ目の破滅フラグは、見事にへし折ってやりましたわ。
ふと、視線を感じてそちらを向くと、セレスティーナ様が、まだ、呆然とした顔で、こちらを見ておりました。
わたくしは、彼女に向かって、ふん、と一つ鼻を鳴らしてやると、踵を返し、その場を後にしたのでございます。
ええ、そうですわね。
あの氷の令嬢も、わたくしの圧倒的な力を見せつけられ、しばらくは、手出しなどできなくなりましたでしょう。
全ては、計画通りですわ!
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