第四十六話:悪役令嬢、ドレスを捨てる
絶体絶命。
その言葉が、これほどまでにしっくりくる光景があったでしょうか。
退路を断たれ、伝説の魔獣に追い詰められる王子とヒロイン。わたくしの脳裏に、前世で見た乙女ゲームの「バッドエンド」の文字が、赤黒く点滅します。
(冗談では、ありませんわ…!)
このわたくしが、どれほどの努力を重ねてきたと思っているのですか。
毎日の地獄のトレーニング、筋肉との対話、そして、ようやく掴みかけた「制御」への道。その全てが、この一瞬で、水泡に帰そうとしている。
わたくしが、このまま恐怖に竦み、力を振るうことを躊躇すれば、待っているのは確実な「ゲームオーバー」。
ですが、また力を暴走させ、仲間を傷つけてしまったら…?その恐怖が、鉛のようにわたくしの足を縫い付けます。
どうすればいい。
どうすれば、守れる。
その、刹那。
わたくしの視界の端に、必死に剣を構える王子殿下の、震える背中が映りました。
そして、その後ろで、恐怖に顔を歪ませながらも、王子を案じるエリアーナの姿が。
わたくしは、思い出していました。
この学園に来てからの、短いけれど、濃密な日々を。
「筋肉」という万国共通言語で心を通わせた、リョーコ殿。
わたくしを「イザベラ様!」と慕ってくれる、クレメンティーナとダフネ。
わたくしの無茶な指導に、泣きながらもついてきてくれた、エリアーナ。
そして、わたくしの戦いを、その意味不明な理屈ごと、認めようとしてくれた、兄様。
守るべきもの。
父上が言っていた、「力は、守るべきもののために振るえ」という言葉が、脳裏に雷鳴のように響き渡りました。
そうだ。
わたくしは、もう一人ではない。
わたくしには、守りたいと、心からそう思える仲間がいる。
迷いは、消えました。
「――ふふっ」
わたくしは、笑っていました。
恐怖のあまり、ではありません。覚悟を決めた、戦士の笑みです。
「悪役令嬢には、悪役令嬢なりの、戦い方というものがありますのよ」
わたくしは、まず、身にまとっていた学園の制服――その動きにくくて仕方なかった、華美な上着を、自らの手で引き裂きました。
ビリビリッ、という派手な音と共に、窮屈だった肩周りが解放されます。
次に、優雅なスカート。これも、足の動きを阻害する邪魔な布ですわ。わたくしは、その裾を掴むと、太腿のあたりまで、力任せに引き裂き、動きやすいように調整しました。
最後に、髪を留めていたリボンを解き、それで、邪魔になる長い髪を、うなじのあたりで、きつく、きつく結び上げます。
もはや、そこに立っていたのは、ツェルバルク家の令嬢ではありません。
ただの、一人の戦士。
仲間を、そして、自らの運命を守るため、全てを捨てる覚悟を決めた、一匹の猛獣。
わたくしは、大戦斧を拾い上げ、その冷たい鉄の感触を確かめます。
(待っていてくださいまし、みなさん)
わたくしは、グリフォンに向かって、ゆっくりと歩き出しました。
(今から、このわたくしが、破滅という名のシナリオを、根こそぎ、粉砕してご覧にいれますわ!)
わたくしの体から、今までにないほど、膨大で、そして、静かな魔力が、溢れ出し始めていました。
それは、もはや暴走する灼熱の奔流ではない。
確固たる「意志」によって制御された、蒼く燃える、闘志の炎でした。
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