第三十八話:静かなる鍛錬
リョーコ殿が部屋を去った後も、わたくしはしばらくの間、動くことができませんでした。「心が、決める」。その言葉が、重たい錨のように、わたくしの荒れ狂う思考を静かな場所へと繋ぎ止めてくれていました。
翌日の早朝。
わたくしは、無意識に、制作中の巨大な門の前に立っておりました。わたくしの力の象徴であり、そして、仲間との絆の証でもあるこの門を、ただ、ぼんやりと見上げていました。
そこに、リョーコ殿が音もなく現れました。彼女は何も言わず、ただ、わたくしに「こちらへ」と手招きをするだけ。
わたくしは、吸い寄せられるように、彼女の後に続きました。
彼女がわたくしを連れて行ったのは、学園の裏手にある、小さな静かな庭園でした。
リョーコ殿は、わたくしに「座れ」とジェスチャーで示すと、自らもその場に静かに座禅を組み、すっと目を閉じました。
わたくしは、彼女が何をしようとしているのか分からず、ただ戸惑いながらその様子を見つめます。
すると、彼女の周りの空気が、変わりました。
彼女の体から、魔力が溢れているのが分かります。ですが、それは、わたくしのように爆発しそうな熱量を持つものではありません。まるで、風のない日の湖面のように、静かで、穏やかで、それでいて、底知れないほどの深さを持った力。
リョーコ殿は、おもむろに目を開くと、指先に、小さな風の渦を発生させました。その渦は、近くに落ちていた一枚の木の葉を拾い上げると、まるで戯れるように、空中でくるくると、完璧な円を描いて踊らせ始めます。一切の乱れも、揺らぎもない、完璧な「制御」でした。
彼女は、その木の葉をそっと地面に戻すと、今度はわたくしに向き直り、「あなたも」と顎で示しました。
これが、彼女の答えなのですわね。
ただ力を爆発させるためではない。「制御」するための鍛錬。
わたくしは、見様見真似で、彼女の前に座禅を組んでみました。そして、目を閉じ、精神を統一しようと試みます。
ですが――できませんでした。
じっと座っていることに、全身の筋肉が抗議の声を上げます。静かに呼吸をしようとすれば、高重量のウエイトを上げる時の力強い呼吸法が勝手に出てしまう。魔力を落ち着かせようと意識すればするほど、それは反発するように体内で荒れ狂い、暴走の寸前で慌てて抑え込む。その繰り返し。
(くっ…!なんてことですの…!ただ座っているだけなのに、大戦斧を千回振り回すよりも、疲れるなんて…!)
額から、玉のような汗が噴き出します。
わたくしにとって、「何もしない」ことは、これほどまでに難しいことだったのです。
その時、すっ、とリョーコ殿の手が伸びてきて、わたくしの背筋に触れました。彼女の手は、多くを語らず、ただ、呼吸に合わせてゆっくりと背中を上下させ、正しいリズムを教えてくれます。わたくしの魔力が暴発しそうになると、もう片方の手を、わたくしの前にかざし、「落ち着いて」と無言で諭します。
彼女の静かな導きに身を任せ、どれくらいの時間が経ったでしょう。
ほんの一瞬、ほんの僅かな時間だけ。
わたくしは、感じることができたのです。
体内で荒れ狂う灼熱の奔流が、一瞬だけ、凪いだのを。
それは、静かで、温かく、そして、どこまでも広がる、巨大な力の泉。わたくし自身の、本当の力の姿。
すぐに、その感覚は消え去ってしまいましたが、わたくしは、確かにそれを知りました。
目を開けると、目の前のリョーコ殿が、小さく頷いていました。
わたくしは、まだ、自分の力が怖い。
ですが、今は、ほんの少しだけ、その恐怖と向き合うための道筋が見えたような気がしました。
それは、今までわたくしが知らなかった、「静かなる鍛錬」という道でした。
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