第三十話:エーベルハルトの分析
ライネスティア家の寮にある、静寂に満ちた書斎。
僕、エーベルハルト・フォン・ライネスティアは、目の前に山と積まれた報告書の数々を前に、指でこめかみを揉んでいた。
一つは、ラザルス様が手配した手練れの暗殺者が、対象に接触後、精神に異常をきたして逃げ帰ってきたという報告。
一つは、古代遺跡の貴重な石版が、中心部分だけをくり抜かれるという、前代未聞の形で破壊されたという報告。
そしてもう一つは、ツェルバルク家の兄妹が、学園祭の門を凄まじい速度で、しかし設計図を完全に無視して建造しているという報告。
これら全ての事象の中心には、一人の令嬢の名があった。
「イザベラ・フォン・ツェルバルク…」
口の中でその名を転がし、僕は深いため息をついた。
あの女、「蛮族」と呼ぶにふさわしい、思考の全てを筋肉に支配された哀れな令嬢。 彼女の行動は、常に行き当たりばったりで、論理のかけらも感じられない。野蛮で、無秩序で、破壊的。それだけのはずだった。
だが、奇妙なのだ。
彼女のその無軌道な行動の一つ一つが、結果として、ラザルス様の緻密な計画をことごとく妨害している。
暗殺者は、彼女を害するどころか、再起不能なほどの精神的ダメージを負わされて帰ってきた。
ラザルス様の計画の要であったはずの石版は、その最も重要な部分だけを、まるで悪意ある子供の悪戯のように持ち去られ、ただの穴の空いた岩と化した。
偶然?いや、そんなはずはない。
この世の事象は全て、因果律によって結ばれている。偶然が二度も三度も、これほど都合よく重なるものか。
僕は書棚から数冊の専門書を抜き出し、高速でページをめくった。軍事戦略論、高等魔術理論、古代文明における神託儀式…。だが、どれも彼女の行動を説明するモデルには当てはまらない。
(彼女の行動原理はなんだ?一体、何を考えている…?)
思考の袋小路に迷い込んだ僕は、一度全ての報告書を机に広げ、改めて事象の連なりを俯瞰した。
一つ一つの行動は、混沌そのもの。だが、それらが連なった結果、ラザルスの計画という「秩序」が破壊されている。
混沌が、秩序を食い破っている…?
その考えに至った瞬間、僕の背筋をぞくりとした悪寒が駆け抜けた。
まさか。まさか、そんなことが。
僕は震える手で、書棚の最も奥、禁書指定された魔導理論の棚から、一冊の古びた本を抜き出した。そのタイトルは、『カオス理論に基づく未来干渉の可能性』。
ページをめくると、そこにはこう記されていた。
『予測不可能な無数の蝶の羽ばたきが、やがて巨大な竜巻を引き起こすように、計算され尽くした微小な混沌は、強固な秩序を内側から崩壊させうる』
つまり、こういうことか。
あの女――イザベラ・フォン・ツェルバルクは、全てを理解した上で、あえて「脳筋」を演じているというのか。
己の行動を完全に予測不可能なカオスと見せかけることで、敵の予測と思考そのものを無力化し、計画の根幹を揺るがす。それは、チェス盤の上で戦う我々を、盤外からハンマーで叩き潰すような、あまりにも異質で、高次元の戦略。
「これは…『カオス理論に基づく戦略』…!」
僕は、一人、戦慄した。
あの女は、僕が今まで出会った誰よりも、危険な知性の持ち主なのかもしれない。僕やラザルス様が積み上げる論理の塔を、彼女は根元から爆破しようとしているのだ。
イザベラ・フォン・ツェルバルク。
僕は、初めて、彼女という存在に対して、侮蔑ではない、純粋な「恐怖」を感じていた。
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