第二十六話:兄、来訪す
翌朝、わたくしは日の出と共に中庭でトレーニングに励んでおりました。昨夜の素晴らしい出会い(スパーリング)に触発され、いつも以上に気合が入っておりますわ。
「そぉい!やぁっ!とりゃあ!」
わたくしは、持ち帰った石版の欠片を巨大な盾のように構え、仮想の敵からの攻撃を完璧に受け流す訓練を繰り返しておりました。この石版、古代の魔力が込められているせいか、並の鋼鉄よりも遥かに頑丈ですの。最高のトレーニング器具ですわ!
一通り汗を流し、侍女のブリギッテが用意してくれた特製プロテイン(イチゴ味)を飲み干していると、寮の執事が慌てた様子でやってきました。
「お嬢様!大変にございます!ツェルバルク本家より、ヴォルフ様がお見えになりました!」
「まあ、お兄様が?」
ヴォルフ兄様。ツェルバルク公爵家の次期当主にして、わたくしの唯一の兄。騎士団でも屈指の実力者ですが、少々頭が固いのが玉に瑕ですのよね。どうせ、父上に言いつけられて、わたくしの学園生活を視察にでも来たのでしょう。
わたくしが応接室の扉を開けると、そこには、眉間に深い渓谷のような皺を刻み、片手に胃薬の小瓶を握りしめた兄様が立っていました。
「……ヴォルフ兄様、ごきげんよう。ずいぶんとお疲れの様子ですけれど、何かありましたの?」
「……イザベラ。その質問、そのままお前に返したい気分だ」
兄様は、絞り出すような声でそう言うと、ずかずかと部屋に入ってきました。そして、わたくしの両肩を掴むと、真剣な、それでいてひどく疲労した顔でわたくしを覗き込みました。
「単刀直入に聞く。昨夜、何者かに襲撃されたという報告が父上の元に届いた。お前に怪我はないか!?」
「襲撃?まあ、人聞きが悪いですわね、兄様」
わたくしはにっこりと微笑んで、兄様の手を振り払いました。
「あれは襲撃などという野蛮なものではありませんわ。昨夜の方は、わたくしの実力を高めるためにラザルスが手配してくれた、素晴らしいスパーリングパートナーですもの。とても熱心な方でしたわ」
「…………すぱーりんぐ……ぱーとなー…?」
兄様の口から、魂の抜けたような言葉がこぼれます。その顔色は、心なしか先ほどより青ざめているようですわ。
「ええ。少々体幹が弱く、心肺機能にも課題が見受けられましたが、向上心は人一倍でしたわ。わたくしが今後のトレーニングメニューを提案して差し上げたら、感動のあまり、夜の闇に走り去っていきましたもの。きっと今頃、ランニングに励んでいるはずですわ」
「…………」
兄様は何も言わず、ごくり、と胃薬をひと瓶、水なしで呷りました。そんなに喉が渇いていらっしゃったのかしら。
「……そうか。ならば、もう一つの報告はなんだ」
兄様はこめかみを押さえながら、さらに尋ねてきます。
「学園裏の古代遺跡。そこの最深部にあった、国の重要文化財に指定されかねない古代の石版を、お前が破壊したというのは本当か?」
「破壊だなんて!とんでもない言いがかりですわ!」
わたくしは心外だ、と胸を張って反論しました。
「わたくしは、ただ、演習に必要な部分を『抽出』しただけですわ。見てくださいまし、兄様。これが、その成果ですのよ!」
わたくしは得意げに、部屋の隅に立てかけておいた石版の欠片を指し示しました。円形にくり抜かれた、滑らかな断面。完璧な仕事ですわ。
「これは、魔獣討威演習の公式攻略本なのです。これさえあれば、わたくしのチームが優勝するのは間違いありませんわ!」
わたくしの言葉に、兄様はゆっくりと、本当にゆっくりと、石版の欠片に視線を移しました。そして、その視線をわたくしの満面の笑みに戻すと、天を仰ぎ、長く、深ーーーーーい、溜め息をつきました。
「……父上……俺には、もう……無理です……」
兄様の口から、今にも事切れそうな、か細い声が漏れました。どうやら、わたくしの手際の良さと計画性の高さに、兄として、そして一人の武人として、いたく感動してくださったようですわね。
まったく、素直じゃないお方ですこと。
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