第十三話:脳筋、国境を越える
エドワード殿下との、あの白熱した追いかけっこから数日が経ちました。
殿下は、あれ以来、わたくしを見るたびに、何か言いたげな、しかし、どこか熱っぽい視線を送ってくるようになりました。ふん、わたくしの圧倒的な身体能力の前に、己の無力さを悟り、迂闊に手出しできなくなったのでしょう。ええ、全ては計画通りですわ。
わたくしの学園生活は、盤石なものとなりつつあります。
「イザベラ様!本日も、腕の筋肉の仕上がりが完璧ですわ!」
「背中の広背筋が、芸術品のようです!」
弟子となったクレメンティーナとダフネも、当初の弱音はどこへやら、今ではすっかり、わたくしの肉体を賛美することが日課となっておりました。実に良い傾向ですわ。
その日の午後、わたくしは、弟子二人を伴い、騎士団の訓練場を間借りしておりました。
目的は、もちろん、トレーニング。
「よいですか、二人とも。今日は、この訓練用のゴーレムを、魔法を使わずに、物理的に、行動不能にしてみせますわ。力の正しい使い方というものを、その目に焼き付けなさい」
わたくしが、重さ500キログアはあろうかという訓練用ゴーレムの前に立った、その時でした。
ふと、訓練場の隅から、強い視線を感じたのです。
そこに立っていたのは、小柄な、しかし、全身からただならぬ覇気を放つ、一人の女子生徒でした。
艶やかな黒髪を、高い位置でポニーテールに結い上げ、わたくしたちとは少し意匠の違う、動きやすそうな制服を着こなしております。彼女は、我が国とは海の向こうにある、海洋州からの留学生だと、噂で聞いたことがございますわね。
彼女は、わたくしがゴーレムの腕を掴み、力任せにその体勢を崩す一連の動きを、食い入るような、真剣な眼差しで見つめておりました。
その瞳には、他の生徒たちのような、恐怖や侮蔑の色は一切ございません。
あるのは、ただ、純粋な、憧れと、敬意。
わたくしが、ゴーレムを地面に組み伏せると、その留学生は、ゆっくりと、こちらへ歩み寄ってきました。
そして、わたくしの目の前で、ぴたり、と足を止めると、東方の国独特の、深く、美しいお辞儀をしてみせたのです。
わたくしが、眉をひそめて、その意図を測りかねていると、彼女は、すっ、と顔を上げました。
そして、言葉を発することなく、わたくしの、たくましい上腕二頭筋を、その細い指で、くい、と指し示し――
親指を、ぐっと、立ててみせました。
「…………!」
わたくしは、衝撃に、言葉を失いました。
こ、この女…分かっておりますわ…!わたくしの、この、完璧に鍛え上げられた肉体の、その価値を!
留学生は、にこり、と笑うと、今度は、わたくしたちに見せつけるように、その場で、ふわり、と宙を舞いました。
小柄な体は、まるで重力など存在しないかのように、高さ5メートスはあろうかという訓練場の壁の頂上まで、軽々と駆け上がり、トン、と静かに着地してみせたのです。
その、人間離れした身体能力。
わたくしの口元に、自然と、獰猛な笑みが浮かびました。
「ほう…!あなた、なかなか、やりますわね!」
彼女は、壁の上から、再び、わたくしに、にこりと笑いかけます。
ああ、なんと、なんと、素晴らしい!
言葉など、不要!思想も、文化も、関係ありませんわ!
この世で、ただ一つ、信じるに足るもの。それは、国境を越え、全ての人々を繋ぐ、共通言語!
そうですわ…!
「――筋肉に、国"境は、ございませんことよ!」
わたくしは、天に向かって、高らかに叫びました。
壁から飛び降りてきた留学生の手を、わたくしは、がしりと、力強く握ります。
「気に入りましたわ!あなた、お名前は?」
彼女は、首を傾げながら、「りょーこ…しらぬい」と、たどたどしく、そう名乗りました。
「リョーコ!結構ですわ!あなたも、今日から、わたくしの弟子です!共に、至高の肉体を目指し、この軟弱な学園に、革命を起こしましょう!」
わたくしの言葉に、リョーコは、満面の笑みで、力強く、何度も頷いております。
ああ、なんと、素晴らしい出会いでしょう!
わたくしの、輝かしい破滅フラグ回避計画に、また一人、頼もしい仲間が加わった、記念すべき瞬間でございました。
その後ろで、クレメンティーナとダフネが、「わたくしたちのトレーニングが、さらに過酷になるのでは…」と、顔面蒼白になっていることなど、今のわたくしには、些細なことでした。
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