第十二話:ハニートラップは物理で回避ですわ
「待ってくれ、イザベラ!話が聞きたいだけなんだ!」
「お黙りなさい!その甘い言葉でわたくしを誑かし、破滅の罠に嵌めるおつもりでしょう!」
王立天媒院の歴史に残る、前代未聞の鬼ごっこが繰り広げられておりました。
わたくしは、公爵令嬢としての品位も何もかも投げ捨て、ドレスの裾をたくし上げながら、石畳の回廊を全力で疾走しております。
その後ろから、完璧なフォームで、しかし必死の形相で追いかけてくるのは、この国の第二王子、エドワード殿下。
「(ああ、待ってくれ!ただ、君のあの素晴らしい大胸筋を、間近で、もう一度…!いや違う、そうではない!わたくしは王子として、婚約者として、彼女の行き過ぎた行動を諫めなければ…!しかし、あの背中の広背筋の躍動感…!)」
殿下の内心の葛藤など、知る由もございません。
わたくしの頭の中は、ゲームのシナリオで見た、数々の破滅フラグでいっぱいですわ。
そうです、これこそが『王子様との追いかけっこ(好感度調整イベント)』!ここで捕まれば、わたくしは彼の甘い言葉に絆され、ヒロインであるエリアーナの嫉妬を買い、破滅への道をまた一歩、進んでしまうのです!
「この程度のことで、捕まってなるものですか!」
「だから、なぜ逃げるんだ!私はただ、君と話がしたいだけだと…!」
殿下の足も、相当なものですわね。さすがは王家の血筋。日頃の鍛錬を怠ってはいないご様子。
ですが、直線的な走りでは、わたくしを捕らえることなど、100年早いですわよ!
わたくしは、前方の角を曲がる直前、足元の石畳に、ちらりと視線を落としました。
ツェルバルク流戦闘術、その壱!『常に地形を利用せよ』!
「奥義!ツェルバルク式・地盤沈下トラップ!」
わたくしは、すれ違いざまに、回廊の柱を片手で軽く叩きました。ほんの少し、魔力を流し込むだけで十分ですわ。
次の瞬間、殿下がまさに踏み込もうとしたその場所の石畳が、直径3メートスにわたって、轟音と共に陥没いたしました。
「うわっ!?」
さすがの殿下も、これには対応できず、バランスを崩してその場に手をつきます。
その隙に、わたくしは、さらに距離を稼ぎました。
「(見事だ…!咄嗟に、これほどの精密な魔力操作と、物理的破壊を…!危険を予測し、即座に行動に移す、その判断力!ああ、イザベラ!君は、なんて素晴らしいんだ!)」
殿下が、陥没した穴を前に、恍惚の表情で震えていることなど、わたくしは知る由もございません。
わたくしは、ただ、追っ手が来ないことを確認し、中庭の木陰で、ぜえぜえと肩で息をしておりました。
「はぁ…はぁ…ま、撒きましたわね…」
全く、王子様というのも、なかなかにしつこいものですわ。
わたくしが、汗を拭っていると、ふと、背後から、のんびりとした声が聞こえました。
「あら、イザベラ様。そのような場所で、何をなさって?」
そこにいたのは、ドルヴァーン家のシルヴィア様でした。その手には、植物図鑑が握られております。
「シルヴィア様。ごきげんよう。少し、食後の運動を嗜んでおりましたの」
「まあ、そうですの。とても、激しい運動だったようですわね。地面が、揺れていたような気がいたしましたけれど」
シルヴィア様は、にこにこと、人の良い笑みを浮かべております。
この方は、本当に、掴みどころのないお方ですわね。
わたくしは、彼女に軽く一礼すると、今度こそ、誰にも見つからないよう、足音を殺して、その場を後にしたのでございます。
ええ、そうですわ。
これで、また一つ、破滅フラグを、見事にへし折ってやりましたわ!
わたくしの、輝かしい未来は、盤石ですわね!
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次話は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です。
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