第三十九話:意志?は幻想を砕く
兄ヴォルフ様の最後の突撃が、祭壇の古代遺物を粉砕する!
パリンッ――!という甲高い音と共に紫色の光を放っていた遺物が砕け散りました。
その瞬間、会場を支配していたあの息苦しいまでの魔力封印の結界が霧散していく。
わたくしの魂核と大気とを繋ぐ環流が、再びその力強い脈動を取り戻しました。
力が、戻る。
わたくしは雄叫びと共に、それまでわたくしたちを押し潰そうとしていた天井の梁を天高く放り投げました。
そして今やただの巨大な瓦礫と化したそれを背後の壁へと蹴り飛ばす。
凄まじい轟音と共に絶体絶命だったわたくしたちの退路が開かれました。
「…ありえない…!わたしの完璧な罠が…!」
その光景を信じられないといった顔で見つめるヴァレリウス。
わたくしはそんな哀れなラスボスの前に静かに進み出ました。
「あなたの敗因はただ一つ。わたくしの仲間たちの、絆という名の力を見誤ったことですわ」
追い詰められたヴァレリウスは、しかしもはや笑ってはいませんでした。その瞳に浮かんでいたのは深い、深い絶望の色。
「絆…伝統…誇り…。ああ、それだ。それこそが、わたしが最も憎む、この世界を腐らせる病だ」
彼は懐から不気味な黒い水晶を取り出すと、それを高々と掲げたのです。
「血統に守られたお前には分かるまい。そのくだらない偶像のために、全てを奪われた者の痛みが!」
「これこそが第六の大魔女ネヴァン様より賜りし最後の切り札!お前のその脳天気な魂ごと、わたしの絶望に沈めてくれる!」
水晶が砕け散ると、中から黒い霧のような実体のない妖霊が現れる。
その霧がわたくしの体をすり抜けた瞬間、世界が反転いたしました。
「…イザベラ様!」
「…イザベ
わたくしはいつか見た悪夢の中にいました。
氷の槍に貫かれた兄ヴォルフ様のその冷たくなっていく感触。鉄の匂いの混じった血糊の生温かさ。
そのあまりに悲痛な光景。でも、これは未だ訪れない、決して訪れさせない、未来。
悪夢はさらに別の光景を映し出します。
そこは薬草の匂いが満ちた豪華な屋敷。幼いヴァレリウスが必死に誰かに懇願している。
『お願いです!家の秘宝を、どうか!妹の命が…!』
ですが目の前のライネスティア家とドルヴァーン家の当主たちは、ただ冷たく首を横に振るだけ。
伝統と誇りという偶像のために、ただ一つの命が見殺しにされていく。
二つの絶望的な光景が重なり合う。
わたくしの胸にちくりと、今まで感じたことのない種類の痛みが走りました。
(…まあ…なんて哀れな…。これがあなたの絶望…)
そのわたくしのわずかな感傷を見逃さなかったのでしょう。
悪夢の底からノイズ混じりの声が聞こえてきました。
『…つらかったでしょう…?』
それはまるで壊れたオルゴールのような。どこか幼く、しかし狂気的に抑揚のおかしい少女の声。
『でもねェ…なおせるの…ぜんぶ、ぜんぶ…モトどおりに…』
『アナタも…』
妖霊はわたくしの心が揺らいだその一瞬を突き、さらに深くわたくしの魂の奥底へと侵入しようといたしました。
この悲劇の記憶をわたくしの後悔と結びつけ、その心を完全に折るために。
ですが――
妖霊はそこでぴたりと、その動きを止めてしまいました。
悪夢が、まるでフリーズしたかのように静止している。
やがてわたくしの脳内に直接、その妖霊のどこか困惑しきった呟きが響き渡ったのです。
『…後はこの隙に代理で盟主の嬢ちゃんと契約っと……あれ?おかしいな。取っ掛かりがまるで見当たらん。悲嘆も後悔も過去への執着も何もないぞ、この娘…?頭の中にあるのは明日のトレーニングメニューと、タンパク質の摂取効率のことばかりだ…』
妖霊は一度首を傾げると、今度ははっきりと声に出して言いました。
わたくしの脳内にグワングワンと音を立てながら響いていきます。
『…なんだこのお嬢さんは。過去に何も抱えていないじゃないか。一つくらいあるもんだけど、全部現在の攻略?に向いてやがる…げーむ?ふらぐ?前世…ああ…あんた、そういう筋か。…なああんた、一応聞くけど…前世に戻りたいとかは…』
妖霊はそのおどおどろしい見た目からは想像もつかないフランクさを醸し出し始めている。
「???」
『…』
「???……また後で、考えますわ!!」
『…』
『…いやはや参ったな。まあ誰しもが心に傷を負っているわけでもなし。うん。』
わたくしを包んでいたおぞましい悪夢の光景は、ぷつりとテレビの電源でも切れたかのようにあっさりと消え失せてしまいました。
わたくしの眼前に周囲の景色が戻ってくる。
「…すまないな旦那。どうやら今回の仕事はわたしの専門外のようだ」
そして、妖霊本体の方も、そのどこか間抜けな言葉を残して、まるで初めからいなかったかのようにパっと消え失せました。
後に残されたのは、最強の切り札がまさかの専門外を理由に自主的に撤退してしまったヴァレリウスの呆然とした顔。
最強の精神攻撃をその脳筋すぎる精神構造によって無自覚に無効化してしまったわたくしのきょとんとした顔。
そして何が起こったのか全く理解できない兄様たちの、所在なさげにこちらに伸ばされた手だけでした。
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