第三十七話:律章の罠
自由都市リューンは歓迎の仮面を被って、わたくしたちを迎えておりました。
どの王侯貴族にも属さぬ中立の都市。そのサミットの会場は豪奢な装飾で飾られ、一見すれば公平な対話の場にふさわしい荘厳な雰囲気に満ちています。
ですがわたくしの鍛え上げられた第六感は、この街の隅々にまで張り巡らされた見えざる悪意の蜘蛛の巣を、確かに感じ取っておりました。
サミットが始まりました。
議長席に座るヴァレリウスは、悲劇の愛国者を完璧に演じきっておりましたわ。
彼はわたくしの一連の行動を巧みな言葉で一つ一つ切り取り、それを「王家を軽んじる危険な暴走」へと仕立て上げていく。
兄ヴォルフ様やエドワード殿下が必死に反論いたしますが、周到に準備された偽りの証拠と証言の前には、その言葉もどこか空しく響きました。
議場の空気は完全にヴァレリウスの思う壺でした。
貴族たちのわたくしを見る目が、徐々に疑念と非難の色に染まっていく。
(ふふん。面白い。実に面白い茶番ですこと)
わたくしはただ黙って、その光景を見つめておりました。
彼がこの盤上遊戯で、どのようなチェックメイトを狙っているのかを。
やがて彼の独演会が頂点に達した、その時。
ヴァレリウスはふっとその人の良い笑みを消し去りました。そしてわたくしたちを、まるで籠の中の鳥でも見るかのような冷たい侮蔑の瞳で見下ろしたのです。
それが合図でした。
突如として会場全体が、禍々しい紫色の光に包まれる!
ゴゴゴゴゴ…という地響きと共に、会場の全ての扉と窓が鋼鉄のシャッターで閉ざされていく。
そして何よりも致命的だったのは、その空気の変化でした。
それまで満ちていた大気中のエーテルが、まるで掃除機にでも吸い込まれたかのように急速に失われていく。
「なっ…!?」
会場にいた魔術師たちが、一斉に悲鳴を上げました。
「魔力が…環流マナ術が使えぬ!」
そうですわ。律章復興派が作り出したという古代遺物。その効果はこの空間内の環流マナ術を完全に阻害する特殊な結界。
国王陛下を始めとする要人たちは、今や完全に籠の中の鳥。
ヴァレリウスはその絶望的な光景を前に、恍惚とした表情で両腕を広げました。
「ようこそ皆様。我が新しい時代の幕開けへ!」
彼の本性がついに現れる。
「イザベラ・フォン・ツェルバルク!お前のその野蛮な力も、この理の外の結界の前では無力!」
わたくしはその言葉を鼻で笑ってやりました。
「魔力が使えぬですって?結構ですわ。わたくしにはまだ、この完璧なる筋肉が残っておりますもの!」
わたくしは大地を蹴り、弾丸のようにヴァレリウスへと肉薄しようといたしました。
ですがその一歩を踏み出した瞬間、わたくしの体から力がすうっと抜け落ちていくのを感じたのです。
(…!?)
おかしい。足が重い。いつものような爆発的な瞬発力が生まれない。
わたくしは初めて理解いたしました。
わたくしのその常軌を逸した身体能力は、ただの筋肉の力だけではなかった。常に無意識下で魂核から魔力を循環させ、その肉体を強化していたのです。
その生命線とも言える魔力の供給を、完全に断たれてしまった。
わたくしは生まれて初めて、ただの人間と同じレベルの身体能力に引きずり下ろされてしまったのです。
「くっ…!」
わたくしはその場に片膝をつきました。
己の魔力が封じられる。
それはわたくしにとって死よりも屈辱的な、かつてない窮地でした。
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