第十一話:王子様、近寄らないでくださいまし!
わたくしの一撃が、由緒正しき第一訓練場に巨大なクレーターを刻み、エーベルハルト・フォン・シュタインのプライドを物理的に粉砕してから、数秒。
観客席は、水を打ったように静まり返っておりました。生徒たちは皆、目の前で起こった天変地異が信じられない、という顔で立ち尽くしております。
やがて、誰かが、ごくり、と喉を鳴らす音を皮切りに、場内は爆発的な歓声と、悲鳴に近いどよめきに包まれました。
「す、すごい…!あのエーベルハルト様を、一撃で…!」
「訓練場が…半壊している…」
「あれは、令嬢の力ではない…もはや、攻城兵器だ…」
わたくしは、そんな周囲の喧騒を意にも介さず、肩に担いだ戦斧についた土埃を、ふっ、と息で吹き飛ばしました。ええ、決闘後の武器の手入れは、武門の嗜みですわ。
その、あまりに混沌とした光景を、貴賓席から、ただ一人、うっとりとした表情で見つめている殿方がおりました。
わたくしの婚約者、エドワード・フォン・アルビオン第二王子殿下。
その空色の瞳は、普段の理知的な輝きとは全く違う、純粋な少年のような、キラキラとした光を宿しておりました。
「(素晴らしい…!)」
殿下は、内心で、感動のあまり打ち震えておりました。
「(あの、完璧な体幹!80キログアはあろうかという戦斧を、片手で軽々と振り回す、その圧倒的な上腕三頭筋!そして、最後の一撃を放つために踏み込んだ、あの、しなやかで、力強い大腿四頭筋!ああ、なんと、なんと美しいのだ、わたくしの婚約者は!)」
もちろん、その心の声が、周囲に聞こえるはずもございません。
殿下の側近が「殿下、お顔が緩んでおりますが…」と心配そうに声をかけますが、エドワード殿下は、はっと我に返ると、咳払いを一つ。
「…いや、何でもない。ただ、イザベラの奔放な戦いに、少し、驚いただけだ」
完璧な王子の仮面を貼り付け、彼は、貴賓席から、ゆっくりと立ち上がりました。
そして、わたくしの方へと、まっすぐに歩み寄ってきます。
(…!いけませんわ、王子様がこちらへ!)
わたくしの脳内に、警報が鳴り響きます。
そうですわ、ゲームのシナリオでは、悪役令嬢が目立った行動を取ると、必ず、攻略対象である王子が、それを咎めに来る。そして、そのやり取りの中で、ヒロインへの優しさを見せつけ、悪役令嬢の破滅フラグが、また一つ、積み上がるのです!
「イザベラ。見事な戦いぶりだった」
殿下は、わたくしの目の前で足を止めると、完璧な笑みを浮かべて、そう言いました。
しかし、わたくしには分かります。その笑みの裏には、わたくしを断罪し、ヒロインであるエリアーナの株を上げるための、計算が隠されているに違いありませんわ!
「ですが、いささか、やりすぎではないかな。学園の備品を、あれほどまでに破壊してしまっては、シュタイン侯爵家との角も立つだろう」
「…殿下には、関係のないことですわ」
「いいえ、関係なくはない。君は、私の、大切な婚約者なのだから」
殿下は、そっと、わたくしの手を取ろうと、その手を伸ばしてきました。
その瞬間、わたくしは、電撃に打たれたかのように、後方へ飛びのきました。
「きゃっ!な、何をなさいますの!」
「い、いや、私は、ただ、君の健闘を称えようと…」
「結構ですわ!その手でわたくしを油断させ、破滅の道へと引きずり込むおつもりでしょう!その手には乗りませんことよ!」
そうですわ、これもゲームのイベント!『王子様とのスキンシップ(破滅フラグ)』!
ここで気を許せば、わたくしは、彼の術中にはまってしまう!
わたくしは、殿下に背を向けると、全力で、その場から駆け出しました。
「待ってください、イザベラ!」
「お待ちいたしません!あなたのような、腹黒い殿方とは、1センチスたりとも、距離を縮めるつもりはございませんことよ!」
こうして、王立天媒院の歴史に残る、伝説の追いかけっこが、始まったのでございます。
「待ってくれ、話が聞きたいんだ!」と叫びながら、完璧なフォームで追いかけてくる王子。
「問答無用!ハニートラップは、物理的に回避するに限りますわ!」と、時折、地面を魔法で陥没させながら、逃げ惑う悪役令嬢。
その、あまりにシュールな光景を。
クレーターの底から這い出してきたエーベルハルトが、割れた眼鏡の奥で、信じられないものを見るような目で、ただ、見つめておりました。
「…あの二人、一体、何をしているんだ…?」
ええ、そうですわね。
わたくしの、輝かしい破滅フラグ回避生活は、まだまだ、始まったばかりなのでございます。
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次話は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です。
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