第八話 謁見
シアはすぐに上等なドレスに着替えさせられた。
パニエたっぷりの豪奢なドレスは子供にとっては非常に動きにくいが、よちよち歩きしかできないシアはほぼ抱えられての移動なので気にしないことにする。
ニックに最後の一口を食べさせてもらうや否や、シアがしっかりごっくんしたことを確認したサイラスはシアをひったくるように持ち上げた。
「シャーリー様のご朝食前に先触れは出しましたが、間に合っているかどうか」
大股闊歩するサイラスに早足で追いついたニックが並走する。
「構いません。謁見場が難しければ、寝室におしかけるまで」
サイラスの勢いにニックも負けじとはりあった。
「サイラス様……いくらお父上であっても、相手は国王殿下ですよ」
しかし、ニックの言葉には耳を貸さず、サイラスは馬車を出した。
玉座の間に、怒気と焦燥を纏った声が響いた。
「陛下! 至急、お耳をお貸し願いたい!」
扉が勢いよく開かれ、衛兵の制止を振り切って、サイラスが飛び込んできた。その腕に抱えられているのは、ふわりと金髪をなびかせた幼い女の子――まだ言葉も話せない、赤子と呼ぶには大きく、少女と呼ぶには小さすぎる、不思議な年頃の子どもだった。
「……サイラス。お前、何をしている。ここは謁見の間だぞ」
王が目を細める。
「無礼を承知の上でのお願いです、陛下。この娘は“シャーリー”と名乗る……いや、名乗ることすらできない、正体不明の子どもです。そして彼女が現れたとき、私の妻――シアが、忽然と姿を消したのです」
「なんだと?」
空気が一変する。
「王都内の結界を破って侵入した者がいた形跡は、かすかに。だが、あまりに痕跡が薄い……尋常の魔法ではありません。これは明らかに、外部からの……誘拐行為です」
玉座に立つ王が、顔を曇らせる。と、その背後から現れたのは、深紅の外套に身を包んだ長身の青年だった。
「それはまた物騒な話ですね、兄上」
ローラン・G・ローゼ。王の第二王子にして、第一王位継承者。だがその態度は、どこか他人事のように柔らかかった。
「奇妙ですね。見知らぬ子どもが屋敷に現れ、代わりに妻がいなくなる。まるで童話のようです。――とはいえ、王国の威信に関わる問題です」
彼は王へと向き直り、淡々と続けた。
「私の知る限り、結界をかすめて人を攫えるほどの魔術を保有している国は……そうですね、リーリエ国あたりが怪しいかと。特に、変化や干渉系に秀でた術士を抱えておりますし、最近は我が兄の活躍で、外交的に立場が狭まっていたとか」
ローランの言葉に、サイラスの目が鋭く光る。
「陛下。これがリーリエ国の仕業であれば、これは明確な敵対行為。王国に対する侵略と見なすべきです。私は、彼らに……宣戦を布告する覚悟があります」
「お、おいサイラス!」
王が叫ぶように制止の声を上げる一方、ローランはわざとらしく驚いたような顔を見せた。
「……まあまあ、兄上。貴方はすでに公爵として独立した身。王位継承権は捨てたとはいえ、言葉一つで戦を呼ぶ権利はお持ちではないのでは?」
「黙れ」
サイラスの声が低く響き、玉座の間にぴりっとした緊張が走る。
やめて、サイラス。ちがうの。そんなの、望んでない。
お願い、気づいて。私はここにいるの。あなたの腕の中に、ちゃんと……!
腕の中で、シャーリーがむずがり、小さな手でサイラスの頬をぺしぺしと叩いた。
「……ぅあっ」
なんとも言えない、間の抜けた声が漏れる。シャーリーはむちっとした両手でサイラスの顔をもみ、くりっとした大きな瞳で見上げてくる。その瞳は、不安げで、だけど……どこか安心させようとするような色を帯びていた。
「……おまえ……」
サイラスはぽかんとその顔を見下ろした。
小さな指が彼の顎に触れ、笑っているようにも見える――赤子の曖昧な表情に、彼の胸の奥に積もっていた怒りの熱が、すっと冷まされていく。
あまりにも小さく、無力で、そして可愛らしくて、なぜか懐かしい。
その無言の仕草に、サイラスの肩から力が抜けていく。
「……私は……彼女を、取り戻したいだけだ……」
苦しげに絞り出した声に、王もローランも、一瞬だけ黙った。
ようやく、王がゆっくりと腰を下ろした。
「……ならば、まずは調査だ。サイラス、公爵として王都調査局に協力し、情報を集めよ。……ローラン、お前も余計な焚き付けはするなよ」
「もちろん、陛下。王国の平穏こそ、我が願いですから」
そう言って一礼するローランの笑みは、どこまでも薄く、どこまでも計算されたものだった。