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第六話 猫

 「やぁ姉さん」


 部屋に侵入した黒猫は、しれっとそう言った。


 しゃべる猫の妹弟には心当たりがない。だが、人間の方なら覚えがあった。


「あーお!?(まさか……アーロなの?)」


 黒猫はしなやかにうなづいた。


「気付いてくれてよかった。様子を見に来たんだ」


 なるほど首輪についている宝石は、例の翻訳機だ。これがシアの赤ちゃん語を翻訳し、アーロの猫語を翻訳しているに違いない。

 

「こんな大きな部屋まで与えてもらって、順調そうでよかった」


「あう!(順調ですって!)」


 これまで大変だったのよ、とシアは不満をもらした。だがアーロは姉の様子を意にも介さず続ける。


「あの後、調べてみたんだけど、人間を乳児にまで退化させるような事故や事件は前例がなさそうだった。それで、姉さんにもう少し当時の状況を聞こうと思ってきたんだ」


「あう(……そういえば)」


 シアは赤ちゃんになる前後の記憶をたどる。たしか、アーロの研究室で、珍しい花を見かけて触ろうとしたのだった。白くてかわいい甘い香りの強い花。


「北の大陸の月光草?」


 シアの言葉に、アーロは眉をひそめた。

  

「うーん、仕入れた覚えがないなぁ。どうして、僕の研究室にそんなものがあったんだろう……月光草……満月の……」


 アーロが不思議そうに首をかしげていると、こんこん、とノックする音がする。


「シャーリー、お待たせしました」


 ニックが戻ってきたのだ。アーロは丸く大きな瞳をまばたきさせると、早口でシアに声をかけた。


「とりあえずその花についてもう少し調べてみるよ。またね、姉さん」


 そしてそのまま、視界からさっと消えてしまう。ニックが部屋に入ってきたときにはもうすでに窓から姿を消していた。


「さぁシャーリー、ごはんですよ」






 ごはんを食べておなかいっぱいになったシアはすっかり眠ってしまっていた。


 起こされて風呂に入れられたのをぼんやりと覚えているが、そのあとも再び眠ってしまったので記憶が曖昧だ。ニックの「今日は疲れたんですね」という声が聞こえた気がした。


 は、と気づくと、真夜中だった。


(すっかり眠ってしまっていたのね……)


 シアはベッドの上でごろんと寝返りを打つ。窓の外はすっかり日が暮れてしまっていた。

 

 今日は天気が良いのだろうか、漆黒の闇は星々を抱いて明るい。すっかり真夜中なのだろう、南向きの部屋の窓の中央には、満月が真円を描いていた。


(きれいな月だな……そういえば、アーロが月についてなにか言っていたような。月……月光草……あ)


 次の瞬間、シアの意識がふっと抜け落ちた。


 気が付いたとき、シアは体に違和感を感じて、はっと起き上がった。ベッドが小さい、いや、部屋も小さい。違う、


 シアが……元の姿に戻ったのだ。


「えっ!? どういうこと!?」


 シアは慌てて立ち上がり、ベッドから鏡の前へ飛び降りた。鏡には見慣れた自分の――大人の――シアの顔がある。さっきまでのことがまるで嘘だったかのように、今まで通りだ。ただ、すっぱだかであることを除いて。


 慌ててベッドを振り返ると、小さな寝巻が打ち捨てられていた。たしか、背中側を紐でしめるタイプの衣服だったが、紐は引きちぎられていた。これ、どう説明しよう。


 いや、それどころじゃない。元に戻ってしまったことをどう説明したらいいだろうか。


「アーロのところにいかなくちゃ」

 

 一旦、アーロに相談しよう。


 シアはひとまず部屋のクローゼットを開く。元はシアの部屋だから、まだそこにはシアの服が残っていた。ドレスを着ている時間はさすがにないから、楽に着られるネグリジェでいいだろう。生成り色のシルク製でシアも気に入っていた品だ。


 シアは急いで服を着ると、扉から廊下へそろりと顔を出した。夜中なのでさすがに誰もいない。右はサイラスの部屋で、左へ進むと階段がある。


 階段までは誰もいない、オールクリア―。


 シアはそろっと足を延ばし、裸足で廊下の絨毯を踏んだ。スウィンタートン公爵家のメイドたちが隅から隅まで掃除してくれているから、毛足がそろっていてとても心地が良い。しかしそれを楽しんでいる場合ではなかった。


 廊下が絨毯なのは、シアにとって都合がよかった。足音が消せるからだ。


 そろりそろりと廊下へ身を乗り出すと、誰かの声がしてビクリと身を震わせる。


「…………グスッ……う、うぅ……」


 泣き声だ。


 それも、男性の。


 シアは驚いて振り返った。そう、声はシアの背後から聞こえていた。その方向は、サイラスの部屋がある方向だ。


(……いやまさか、それだけはありえない)


 シアは自分が一瞬思いついてしまった考えを自ら嘲笑し否定する。


 でも、聞けば聞くほど、その声は、サイラスに似ているような気がしているのだ。


(サイラス様が……あの冷酷な第一騎士団の氷の副長が……泣いている?)


 一度思いついてしまった思考は、シアの頭から離れない。


 そろり、とシアは声の方向へ足を向けてしまった。気にならずにはいられなかった。


 サイラスの部屋の扉はわずかに開いており、そこから声が漏れ出ているようだった。シアはこっそりと部屋の中を覗き込む。


「シア……シア、どうして置いていってしまったのですか……どうして」


 そこにあったのは紛れもなく、酒を片手に涙を流す氷の副長の夜の姿なのであった。

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