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第二話 赤ん坊

 シアと会話の疎通ができなくなっていると気づくや否や、アーロは大きめの宝石を取り出し、何か薬品を掛けたり、呪いをかけたりし始めた。


「どうもこっちの言葉は理解できてるみたいだし、完全に脳まで退化したわけじゃないみたいなんだよねぇ」


 弟が何か作っている間、シアは小さくなってしまったからだで、ぼろぼろのソファの上を移動しようと試みた。だが、短くなってしまった手足は思ったように動かない。仕方なくその場で、体の割合に対して大きなお尻をすとんと落とし、両足を伸ばして座った。


 まさか突然、赤ちゃんになってしまうなんて……。混乱が抑えられず、ただただ呆然としてしまう。

 

 一方で、アーロは作業を終えたらしく、掌にのせた怪しい緑の光宝石を見せてきた。


「あーあー……うん、姉さん、何か喋ってみて」


「あう(アーロ、それはなに?)」


 シアが渾身の一言を捻り出すと、アーロは、うんうんと深く頷く。


「これはね、会話の翻訳機だよ」


「あう!(翻訳機!)」


 アーロは魔術にかけては本当に優秀である。そして何やら早口で説明し始めた。


「本来は、長く生きた知能の高い猫とかドラゴンとか、言葉によってコミュニケーションしない高位の生き物と会話するために用いる魔法でね。彼らは人間には理解できないまったく別種の会話方法を用いているらしいんだけど、それを身につけるのは大変でしょ。厳密には相手の言いたい言葉や気持ちを人間の言葉に置き換える装置なんだけど……」


「あーう(ふーん)」


 なんだかよく分からないが、弟が天才で助かった。


「発話は未発達で……単語らしいものもちょっと難しいか。姉さん、どこまで動けるの?」


「う!」


 シアはとりあえずお座りの体制から両手をつき、はいはいでソファの上を進み始めた。弟はそれを注意深く見つめた。


「移動は多少できそうだね。立つのは……難しそうだ」


「う」


 頑張ればつかまり立ちくらいはできるだろうが、いまやシアのちっちゃく可愛くなってしまったあんよが、自分の体重を支えられるようには感じられなかった。


「となると1歳にもなってないくらいなのかな……子供の成長は個人差が大きいと聞くから、当てはまるかどうかも怪しいけど」


「うー(そうねぇ)」


「状況把握はできたけど、このままってわけにも行かないよねぇ。そもそもどうしてそんな急に赤ちゃんになっちゃったのさ。魔力光を感じて、はっと気がついたら姉さんがいた場所に子供が落ちてたから驚いたったら」


「うー(そうなのよねぇ)」


 シアはソファの端まで辿り着くと、ひじ置きの部分を利用して自分の上半身を立たせた。せめて誰かと話す時くらい、寝転がりっぱなしではなく、座って話をしたい。


「あーぐあーぐ(あそこに活けてあった白姫雪の花を触ったら、光ったのよね)」


「白姫雪?」


 シアは舌ったらずな口を懸命に動かして、弟に状況を説明する。アーロはシアの話を一通り聞いた後、うーん、と唸った。


(なま)の白姫雪なんて仕入れたかなぁ。確かに魔法の媒体物として使うこともなくはないけれど、宝石とかの方がもっとずっと優秀だからね」


「うー(そうなのね)」


 まぁシアが来るから活けてくれてたわけなんてなかったわ。研究にしか興味のないこの子が。

 そんなことができる子なら、研究室がこんなに荒れ果てているはずはないのだ。


「ここ数年の仕入れリストを見直してみるよ。まぁ、野草の一種だから、勝手に種が入り込んだ? うーん……僕も草のことは詳しくないから、そっちも調べてみる」


「うー(私にできることはないかしら)」


「さすがに難しいよ。とりあえず長期戦になりそうだし、スウィンタートン家への言い訳を考えなくっちゃ」


「あう(そっか)」


 そう言われてようやくサイラス様や家のメイドや執事たちの顔を思い浮かべる。思い出すのは冷たい態度や言葉の数々。


「……あーあーう(まぁ気にする必要ないかも)」


 シアは自信を持って弟に告げた。


「あーうあ!(いなくても気づかないくらいかもしれないわ。夫は私になんの関心もないもの)」


「ええ〜そういうわけには行かないよ。しばらく僕の家に泊まるってことくらい、伝えておかないと」


 アーロは机をガサガサとあさり、比較的きれいそうな紙を見つけ出すと、簡単に書き付けをする。


「あーぐぐぐ!(そんなことより、お腹が空いたわ)」


「ちょっと! 中身は僕と同じ歳でしょ!」


「ばーーーーあ!(おーなーかーすーいーたー)」


「ええ〜 ちょっと待ってね……よっと」


 アーロは手早く紙に魔法をかけ、鳥に変化させる。貴族や魔法使いが好んで使う一般的な伝達法だ。アーロの魔法にかけられた紙の鳥は、窓から一直線に飛び出して行った。


「その年頃の子供って何が食べられるの? というか、普通のご飯食べられるの?」


 アーロのその言葉を聞いた途端、抑えきれない感情が湧き上がってきた。


「うわあああああああああん」


 もはや石でも翻訳もされない。アーロは慌てて目を白黒させた。

 

「待って! ちょっとちゃんと調べるから! とはいっても乳児教育の本なんてここにはない……そうだ、隣のおばあちゃん!」


 コートを引っ掴み、アーロはシアを抱えて飛び出した。シアは沸騰する自分の感情を抑えきれなかった。


「うあああああああん!」



 ✳︎ ✳︎ ✳︎




 隣のおばあちゃんから芋を使った簡単な離乳食を教えてもらい、ついでにいくつか食材を融通していただいた。


 おばあちゃんからは、アーロはまず抱き方からお叱りを受けていた。仕方ない、まともな子供の抱き方なんて、知る機会もなかったのだから。


 はじめての離乳食作りにてんてこまいで、ようやく食事を終えた頃にはすっかり外は夕闇に沈んでいたのだった。


「ふー(美味しかった)」


 何もできず、待っているしかないのもなんだか申し訳ない。無力さを感じてちょっと落ち込む。


「いやまぁ、赤ちゃんなんて食べて寝るのが仕事だからね。中身の魂が大人とはいえ、いくらかは体に引っ張られる部分もあるはずだよ」


「うー(そうなの……)」


 たしかに、空腹を我慢できずに訴えるだなんて、いくら弟相手とはいえ、みっともないことをしたものだ。体の年齢に引きずられないように、理性的にしなくては。


「とりあえず今日は寝よう……どうもその魔法――いや、呪いなのかな……どうにも長期戦になりそうだ。腰を据えて取り組まないとね」


「う!」


 元気よく返事をして見せると、突然アーロが何かに気づいたかのように、シアの顔をじっとみた。


「……姉さん……」


「……あーお……?」


 アーロがすっとシアの頬に手を伸ばしてくるので、キョトンとして見守る。するとアーロは頬に触れるなり、ぷにぷに、ぷにぷにとシアの頬を押して感触を楽しみ始めた。


「か、かわいい……赤ちゃんってこんなにかわいいんだね……!」


ぷにぷに、ぷにぷにぷに。


「ああぐううう(いや、そんな場合じゃ……アーロ……アーロ!?)」


 ずっと我慢していたのだろうか。アーロは頬や腕など、赤ん坊の魅惑のボディを触って楽しみ始めている。その満面の笑みに、シアも釣られて思わず笑みを返した。


「あっ、笑った! か、かわいい……!」


「あうう」


 こ、こんなにアーロが夢中になるなんて。赤ん坊の魅了かわいさはそれほどまでに誘惑的だというの……!?


 シアは仕方なくアーロの静止を諦め、ええい、好きにするがいい! とされるがままになり始めた頃のことだった。


 どんどんどん!と外から扉を叩く音がしたのだ。


「あーう(来客?)」


「来客だって? こんな時間に……荷物かなぁ」


 アーロは首をひねり、渋々と玄関の方へと向かう。


「はーい、どなた様でしょう……か……」


 弟は扉を開け、相手が想定よりずっと背が高いことに気づいて思わず顔を見上げた。


 それは、そこに絶対来るはずのない人物。


 青いマントを靡かせた装飾華美な騎士団の制服を正しく着こなし、冷たく美しい彫刻のような顔でこちらを睨んでいる。


 聞くまでもなく、間違いなく、それはサイラス・スウィンタートン卿その人だった。


 彼はアーロを見下ろして、一言こう言った。


「私の妻を返していただけないだろうか?」

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