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第十一話 訪問

 その知らせは、サイラスの周囲の空気を確実に変えた。


 「アンジェラ・G・アイリス殿下が、訪問を……?」


 ニックが思わず繰り返す。口元を押さえたその顔には、はっきりとした困惑が浮かんでいた。


 サイラスは何も言わず、ただ文書を指で折り畳み、書類の山の端に置いた。


 その仕草すらも冷静に見えるが、シアにはわかった。


(今、ちょっとだけ……指が震えてた)


 何かを押し殺している。たぶん怒りだ。あるいはもっと別の、もっと深いもの。


(アンジェラって……あの王女様……?)


 アンジェラ・G・アイリス――アイリス国第二王子の娘にして、隣国アイリスの王女。 そしてアイリス国は、ローゼ王国の東隣に位置し、現王妃キャメロン・G・ローゼの生まれた国でもある。かつては第二王妃だったが、サイラスを産んだ第一王妃が病で亡くなった後、その座を繰り上がる形で継いだのがキャメロンであった。


(つまり……王妃の“血縁”ってこと……?)


 過去に一度、王都の社交場で見かけた記憶がうっすら残っている。 鮮やかな金髪、完璧な笑顔、清楚と高貴をまとったような存在感。


 サイラスの隣に立つには、ふさわしすぎる女――。


(でも、だからって……)


 小さな拳をぎゅっと握る。理由はうまく言語化できなかった。


 と、サイラスがゆっくりと立ち上がる。まだ膝に乗っていたシアを、胸元に抱き上げ直した。


「支度を整えろ。邸に王女を迎える準備を」


 命令を受けたニックが一礼し、退出していく。その背を見送りながら、サイラスはふっと息を吐いた。


「……皮肉なものですね」


 それが誰に向けられた言葉なのかは、シアにはわからなかった。


 けれど、ほんの一瞬だけ、彼の腕の力が強くなった気がした。


 準備は迅速に進められた。


 サイラスの命により、スウィンタートン邸の正門に赤絨毯が敷かれ、花と旗で飾られた門扉が静かに開かれる。馬車の車輪の音が、規則正しく石畳を叩いて邸の前に止まった。


 豪奢な白馬車の扉が開く。現れたのは、想像以上に完璧な王女だった。


 金糸を織り込んだ緋色のドレス。陽を受けて輝くブロンド。高貴さと優雅さをまとい、アンジェラ・G・アイリスは静かに微笑んだ。


「ごきげんよう、サイラス・スウィンタートン殿下。お招き、光栄に存じます」


 サイラスは深く礼を返す。


「ようこそ、お越しくださいました。王女殿下」


 執事たちが一斉に頭を下げる中、サイラスの腕に抱かれたシア――“シャーリー”は、彼女をじっと見上げた。


(……ほんとに来た。アイリスの王女)


 彼女の周囲の空気が違っていた。花のような美しさではない。玉座のために生まれた者の威圧感。誰よりも華やかで、誰よりも“隙”がない。


 アンジェラの視線が一瞬だけ、シアに向けられる。


 優雅な微笑みは崩れないまま、アンジェラはそっと問いかけた。


「まあ、かわいらしい……。この子は?」


「……娘です」


 サイラスはそれだけを返した。シアの身体が、びくりと揺れた。


(なにそれ……!?)


 驚きと戸惑いのあまり、思わずサイラスの服を小さく握る。彼はその様子をちらりと見下ろし、珍しく口元を少しだけ緩めた。


 だがアンジェラは、にこやかに言葉を続けた。


「素敵ですわ。家庭をお持ちとは伺っておりましたけれど……お幸せそうで、なにより」


 その笑顔の裏には、見えない刃が隠されているようだった。


 応接室へと案内される道すがら、サイラスは終始無言だった。腕の中のシアは、その沈黙の意味を測りかねていた。


(いつもと同じ顔……でも、違う。なにか、張り詰めてる)


 ふと、アンジェラが横から歩調を合わせる。


「副長閣下のお子さまが、まさかこんなにも愛らしいとは。ああ、やはり運命というものは、かくも残酷で美しいのですね」


(なにその言い回し……! なんで“残酷”とか言うのよ……!)


 シアは声にならない憤りで小さな拳をぎゅっと握りしめる。


 サイラスはそれに応じず、ただ礼儀としての微笑を返しただけだった。


 やがて一行は応接室に到着し、アンジェラは大理石の床の上にスカートを優雅に広げて座る。サイラスはその向かいの椅子に腰かけ、シアは変わらずその膝の上にいた。


「して、副長殿。今日の訪問の趣旨は、王妃陛下より賜りましたご命令にございます。ご存知の通り、両国の関係はこのところ不安定。民衆の目を逸らすには、“慶事”が必要ですわ」


「……つまりは、政略結婚を前提とした“親睦の第一歩”というわけですね」


「まあ……なんて理解の早い方」


 アンジェラは扇子を口元に当て、柔らかく笑う。その仕草一つとっても、完璧だった。


(政略結婚……やっぱり、そういう話だったんだ……)


 膝の上のシアの心臓がどくんと脈打った。自分の中のどこかがひどくざわつく。


(……サイラスは、それを受け入れるの?)


 不安。焦燥。わかりやすい形にならない感情たちが、小さな体の中でじくじくと疼く。


 そのとき――。


 ふいに、サイラスの指がそっとシアの背を撫でた。まるで“落ち着け”とでも言うように、やわらかく、丁寧に。


(……え?)


 シアが見上げると、彼は誰にも気づかれぬよう、ほんのわずかにだけ微笑んでいた。

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