いしく
『カエ』の成功に伴って、存在していたはずの人間が消えるなんてことはありえるんだろうか? 新しく生まれてきた五人目との関係性に整合性を持たせるためにやむなく消されてしまう人間もいるんだろうか? あまり納得はできない。五人目が矛盾なく存在するために消さなければならなくなるほどの人間なんて、普通に考えていないような気がする。人間を一人消すなどという大掛かりな改変をするくらいなら、五人目の人間関係を上手いこと調整した方がスムーズじゃないだろうか? いや、俺は記憶を弄くったり世界を変容させる側じゃないからどの作業が簡単でどの作業が難しいのかはまったくわからないけども。
だから俺の思い込みだと考えた方が当然しっくり来る。俺には藤葉以外に大切な人がいて、その人が『カエ』の影響か何かで世界から消失してしまっているなんて、たしかに証明しようのない高次的な妄想だ。そんなことを言い出したら、もうなんでもありだし収拾がつかなくなる。
藤葉の言う通り、記憶は地続きだ。すべて自然に受け入れられる。『カエ』を経て、俺が変な懐疑心を抱くようになってしまっただけの話だ。
などと頭では思いつつ、俺は溝間に倣って『カエ』を連続敢行するようになる。友達が誰も付き合ってくれなくなり、溝間にもいい加減にしろと止められるようになり、藤葉から別れ話を持ちかけられても、俺はなんとか人員と地蔵を確保して可能な限りの『カエ』をおこなう。人員確保も問題だが、地蔵の調達も次第に厳しくなってくる。そこで俺は自主的に安価な小さい地蔵を購入し、霊的なエネルギーが強そうな場所をいろいろ探して試し、即席の儀式用地蔵を生産した。やはり忌まわしい負の感情がついて回るような場所からエネルギーを吸収した地蔵は『カエ』も成功しやすい。反対に、どんなに有名なパワースポットであっても県外で力を蓄えさせた地蔵は儀式に使えなかった。やはり宇羽県内でしか実施できない儀式なんだろう。
高校生になったらその進学先で、大学も県内で進学を決め、出会う人間すべてに『カエ』の情報を開示し、興味を持った者を使って儀式を繰り返した。『カエ』に固執しすぎると人が離れていくことは学習済みだったので、その辺は上手く立ち回って人脈が途切れないよう努めた。
社会人になるとさすがに実施しづらくなってくるが、逆に収入を得られるようになったので、駅などで暇そうにしている高校生なんかにお金を渡し、アルバイトとして『カエ』をやってもらった。成功したときの体験に感動さえしてもらえれば学校で友達にも広めていってくれるだろうから、俺の手の届かないようなところでも『カエ』がおこなわれるようになる。すばらしい。みんなどんどん五人目を増やしていってほしい。
君に会いたい。君はこの世界にいるかもしれないし、いないかもしれない。どちらにせよ俺とは関係が断絶された状態にあるから再会しようがない。君ともう一度巡り逢うためには、儀式成功時の世界改変が必須なのだ。あるとき、ふと気付いたら俺の大切な『 』の中に君の名前があるといい。そうなった場合、今度は君を死に物狂いで探していたことは俺の記憶から消去されて、何事もなかったかのようにして君との日々を過ごしていくことになるんだろうけど、それでいい。達成感なんて、こんな果てしない孤独をもがき苦しむことに比べたら取るに足らない。
俺はいつの間にか婿鵜中学校の空き教室の外にいて、中で四人の中学生が『カエ』をやり終えるのを待っている。どんな結果になるか楽しみだ。
ぼんやりしていると、廊下の向こうから生徒が一人歩いてくる。頼むから空き教室に入って儀式の邪魔だけはしないでくれよ?と思うが、生徒じゃない。あれは『からだとり』だ。俺は一目でそいつが人間じゃないとわかる。オバケだ。妖怪だ。『からだとり』は俺が中学生のときに出会った姿を既にしていなかったが、それでも『からだとり』だった。
そいつが俺をチラリと見てくる。「あ、倉曽利杏だ。二百年振りくらいだね」
妖怪も冗談を言うのかと俺は驚かされるが、なんてつまらないんだろう。二百年? つまらなさすぎて逆に少し笑ってしまう。「俺の名前を覚えとるんか? もう顔もだいぶ変わったはずなのに、よおわかったな?」
「何も変わってないけど?」
「あっそ」妖怪にとっては人間の老化なんて些細すぎて同じに見えるのかもしれない。それより、こいつがこんなに会話できるなんて思いもよらなかった。せっかくなので確認してみる。「なあ、縄場芽吹っていう女子、覚えとる? あの子を殺したのってお前か?」
「人間の名前なんていちいち覚えてるわけないでしょ?」
「それもそうか」いや、お前は名前に関連する妖怪だから覚えていて然るべきなんじゃないのか? それに俺の名前はさっき覚えていて呼んだじゃないか。やはり妖怪は知性が足りないんだろうか? なんか、こいつとは夢の中で会話しているかのような曖昧な気分に囚われる。
「倉曽利杏、何してるの? こんなところで」と『からだとり』が訊いてくる。
「『カエ』が成功するかどうかを見守っとる」
「ここじゃなくてもできない?」
「ここが一番いいんや」
「なぜ?」
「わからん」
俺の知性も大概かもしれない。中学生がおこなう『カエ』から生まれてくる五人目は中学生であることがほとんどだ。そうなると世界の改変も中学生周りで為されることが多く、したがって俺にはほとんど影響が及ばない。細かな波紋の伝播がやがて俺にまで届きうることもなくはないが、期待値としては低い。
君が中学生だったらどうしよう?
だけど、年齢なんてどうでもいいのだ。俺は君がいてくれればそれでよくて、何年費やそうがどんな手段を用いようが、いつか必ず君と出会えるって信じてやまない。あきらめる気がない。
君のために、今日も地蔵を創ろう。