カエヨミ
『カエ』から数日後の朝方に、同級生の縄場芽吹が溝間の町で死んでいるのが見つかる。墓地の入口にある六地蔵が儀式によって一体消えてしまっているのだが、その空白を埋めるように、五体の地蔵達と横並びになる形で、縄場は立ったまま息を引き取っていた。制服姿。外傷はない。防犯カメラなんかはないので目撃証言になってしまうが、昨日の夕方から縄場が一人で墓地周辺を歩き回っていたのは間違いないらしい。
そんな話を興奮覚めやらぬ溝間から聞いたのが登校してすぐのこと。しかし、その直後に全校集会が開かれ、授業はなくなり、全生徒がいきなり下校させられるハメになる。
まあ帰っていいのなら帰る。同級生が死んだのは驚愕だけど、縄場とは少しも交流がなかったため、驚愕以上の感情はない。縄場もまあまあヤンキーだったはずだから塩生とは親しかったかもしれない。
下校しながら次に思うことは、この件が『カエ』に関係あるのかどうかだ。死んだのは『カエ』に参加していない無関係の女子だけど、地蔵と並んで死ぬなんておかしいし、外傷がないんだったらどうやって死んだの?って感じだ。今の季節だったら夜も冷えない。
溝間が持ち去ったことで空きができたスペースに縄場は地蔵同様に立ち、そして死んだんだろう? なんでそんなことになる? 自分の意思でそうしたわけじゃないんだろうけど、じゃあ誰がそんなことをする? する意味は? 方法も謎だ。
「な、なくなった地蔵の代わりを置きたかったんじゃないんかな……」と藤葉が恐る恐るといったふうに言う。「ふ、不謹慎やと思わんといてね? でも、それしか考えられんくない?」
「誰がよ」俺は訊く。「町内会の人かが?」
「ち、違う違う。例えば、神様とかが……?」
「地蔵を一体、俺らが『カエ』に使ってもうたしか? でもそんな、わざわざ神様が補充せないかんもんなんけ? っていうか、地蔵の代わりに人間を置いても、すぐどかされてまうし意味ないやん。たぶん縄場の死体はもう病院かどっかに運ばれとるぞ」
「空いたスペースが寂しいから物体で埋めたいわけじゃなくって、そこにエネルギーが必要なんじゃないかな」
「その場所に? エネルギー? なんでよ」
エネルギーというのは今の場合、縄場の死によって発生する霊的なパワーのことだろう。そこを呪いのスポットにしたいということか。なぜ?
「つ、次の地蔵を置くため……?」
「うーーん」よくわからない。「次に地蔵を置くかどうか決めるのは町内会やろ? 置くかわからんのに神様が先回りしてそこにエネルギーを蓄えとくってか?」
「置くよ」と藤葉が彼女にしては自信ありげに言う。「六地蔵っていうのは、ちゃんと意味があって六体おるんや。やから五体のままにはしとかないと思う。縄場さんが亡くなったのもあるし、供養の意味も込めて、なおさら再設置すると思うよ?六体目の地蔵」
「なるほど。で、神様はそれを見越してエネルギーを注入したわけか」
神様が何の罪もない女子中学生を死なせてか? なんか腑に落ちない。そのエネルギーはあとから設置される六体目の地蔵が吸い上げるか何かして、とにかく地蔵のものになるんだよな? 地蔵がエネルギーを持たされる理由は? ただの地蔵じゃダメなのか?
「か、神様は例えで……他には、そうや。『からだとり』とか?」
「……『からだとり』か」
なんか閃きそうな予感がする。というのも、『からだとり』が縄場を乗っ取ってあそこで死なせたというのなら疑問はかなり解消されるのだ。『からだとり』が実在し、噂通りの力を持つなら、五体の地蔵と並ばせてそのまま死なせるくらい容易い。昨日から縄場が現場周辺をうろうろしていた証言もなんとなくそれらしくなる。だけど『からだとり』がそんな高度な殺人をするだろうかと思ってしまう。『からだとり』は入り込める人間の肉体があればそれで満足なんじゃないのか? 地蔵のことを思って行動するなんて『からだとり』らしくないし、何か得でもあるんだろうか。
いや、なくはないか? そうだ。『からだとり』も『カエ』によって生まれたオバケなんだとしたら? そういうふうに思考したことが数日前にあったじゃないか。そして、そうだとしたなら『からだとり』の行動には意味がある。だって、『からだとり』も『カエ』産のオバケであるなら、さらなる仲間を増やすためにできるだけ地蔵にはエネルギーを注入しておきたいはずだ。なんとなくわかってきた。必ずしも人間の死をエネルギーにしなくてもいいのかもしれないが、なんらかの強いエネルギーを宿した地蔵しか『カエ』には使用できないのかもしれない。これは正解かもしれない。『カエ』で生まれたオバケは、間接的に、次の『カエ』がおこなわれやすくなるよう立ち回るふうにできているのだ、きっと。
でも、『からだとり』を『カエ』産のオバケだと仮定したら、もうひとつ考えないといけない問題が浮上してくる。今回、俺達が儀式をおこなって生み出した五人目のオバケも、なんらかの特殊な力で他人を害するおそれがあるってことだ。今のところ、溝間も久保岡も塩生も全然普通で少しも怪しくないが。
もちろん、俺の隣を歩いている藤葉もだ。おかっぱ頭の小柄な女の子。同じ陸上部という縁もあって、今年の春からなんとなく付き合っているような付き合っていないような、微妙な距離感でいっしょにいるんだけど……まあ警戒を完全に解くことはできないかなといったところだ。『カエ』にいっしょに参加した藤葉はひょっとしたら五人目で、俺のこの『以前から付き合っている』みたいな記憶も儀式後に挿入されたものかもしれないのだ。まあ藤葉は五人目のことを『新たに誕生したオバケ』だとは認識していないので、今だに『同級生がワープしてきた』と思っているので、こういった類いの話は誰にもしていないのだけれど。すべて俺の頭の中での妄想……だったらいいのに。
溝間、久保岡、塩生、藤葉……この中の誰かが、俺達の同級生みたいなフリをしつつ、俺達が卒業してからもこの婿鵜中学校に居着き、顔見知りが誰もいなくなった十数年後とかに『からだとり』のような妖怪と化して噂になったりするんだろうか? 『からだとり』がどのような経緯で妖怪として認知されるようになったのかはわからないが、『カエ』から生まれたなら初めは誰かの同級生だったはずなのだ。
藤葉は座敷わらしっぽいから、こういう子が学校をうろちょろしていたら可愛いかもしれない……と何気なく藤葉の頭を撫でようとしたとき、藤葉がピクッと顔を上げる。「……あ」
俺の手も止まる。「お、どうかした?」
「……また誰かが『カエ』やっとる。溝間くんかな」
「え?」なに? いきなりどういうこと?
「あ、ごめん。わたし、この前の『カエ』に参加してから、誰かが『カエ』をやっとるのがわかるようになってもうたんや」
「何それ。感じるん?」
「うん。たぶん『カエ』が成功したとき、なんかピクッてなるの。で、『カエ』が成功したんやなあってわかってまうんや」
「え、え、え……」なんだ?その力。もしかしてこの子が……いや、それよりだ。「また『カエ』が成功したってマジ? 溝間が『カエ』しとるん?」
「この前は溝間くんがやっとったから。あ、この前っていうのは、わたしと杏くんが参加したあとの儀式のことね? 溝間くん、『カエ』の謎を解き明かすーって言って、何回かチャレンジしとるみたいやよ」
「はあ?」
俺は眩暈がしてくる。あいつ、あのあとにも『カエ』をやりやがったのか。しかも成功したってことは、オバケがまた一人追加されたということだ。え? で、今もまた成功したんだったら、二人追加じゃん。バカじゃないのか。
バカ?と俺は思う。なんか、頭の中でさえ『バカ』って思うことなんてあまりないのに。宇羽県だと地方柄『アホ』と言うことの方が多いし、俺も使うなら『アホ』で、『バカ』はほとんど口にしない。なんで今『バカ』って反射的に思い浮かべたんだろう?
いや、そんなことを疑問視している暇はない。溝間のアホを止めなければならない。こんなペースで『カエ』を成功させられたら、中学校はオバケだらけになってしまう。五人目が実は同級生などではなく儀式前までは存在すらしていなかったオバケなのだと溝間に説明するか? でも溝間の頭では理解できないかもしれないし、俺の説得を妨害だと見なしたならあいつはクソヤンキーだから手を出してくるおそれもある。それに何より、あいつ自体がオバケなんだとしたらもう最悪だ。『カエ』の本質を知る俺を排除しに来るかもしれない。客観的に、『カエ』を繰り返しまくっている今の溝間は既に妖怪みたいなものだ。妖怪製造機。
俺は藤葉に尋ねる。「溝間が解き明かしたい『カエ』の謎ってなんやろう?」
「それは……五人目が出てきたときに起こる、あの記憶のこんがらがりの仕組みを知りたいんやろうね」
「そんなん解明できるわけないわ……」
「ね。わたしも難しいと思うけど。気付いたら五人目がいて、わたし達も既にそれを受け入れてもうとるもんね。矛盾を探す余地もないし」
「記憶を弄られとる」
「うん、そうやね」
「『カエ』が成功するたびにそれが起こるんやぞ? 溝間はそういうの気持ち悪くねえんかな。毎回毎回、脳味噌に干渉されるんやぞ?」
世界にもだ。『カエ』が成功するたびに世界も少しだけ創り変えられてしまう。『カエ』は降霊術じゃない。世界改変術だ。
「でも、弄くられた感覚はないよね?」と藤葉が言う。「起こったことは自然と受け入れられるし。例えば、弄くる過程で何かが増やされとったとしてもわたし達にはわからんし、何かが減らされとっても悲しくもならんよね。だって、前の記憶はもうないし」
「まあな」矛盾なく改変される。不自然さがない。
「やからいいんじゃないかな。記憶が地続きになっとってさえくれれば、それでなんにも怖くない」
「うん……」まあいいや。今日のところは既に成功してしまっているようだから、溝間に関してはまた明日にでも言い包めよう。「……『カエ』をやっとったってことは、溝間の奴、まだ学校に残っとるんかな」
「今日のは溝間くんがやったんかはわからんけど」
「ああ、そっか。世界中の『カエ』に反応するん?藤葉って」
「わかんないよ。この体質に気付いたの、先日やし。でも『カエ』はこの辺りの風習みたいやから、世界中ではおこなわれんのじゃないかな」
「それもそうや」しかも成功しなければならないのだ。藤葉いわく。「……その力って、他には何の効果もないん? 『カエ』の成功を感じるだけ?」
「力ってほどのものじゃないよ。そうや。『カエ』の成功がなんとなくわかるだけや。なんで?」
「ううん……」
『カエ』の成功を察知できるってのがオバケの特殊能力なのかどうかを俺は見極めたい。でもそんな力、『からだとり』と比較したら地味すぎるし、オバケらしくもない。そもそも藤葉がオバケだとしたら自分の力を俺に話すはずがない。だけど一方で、『からだとり』も『カエ』が成功したかどうかがわかるんじゃないだろうか?と考えている。仮定に仮定を重ねた推測ばかりになるが、『からだとり』が縄場を死なせて地蔵のエネルギーを補給したんだとするなら、『からだとり』は地蔵が消失したのを把握しているわけだし、それって『カエ』の成功を察知しているのと同義だ。オバケに『カエ』をサポートする本能があるなら、地蔵へのエネルギーを補填するためにも『カエ』成功察知能力は必須となる。俺は藤葉を窺う。最初は無自覚だけどだんだんと力をつけていってやがて『からだとり』みたいな妖怪に成長したりしないよな? だけど近所の子供が急におかしくなったなんて話、これまでに聞いたことがない。いきなり『からだとり』のような奇行に走り出したら、さすがに噂が立つ。やはり藤葉はたまたま奇妙な体質を得ただけで、今のところはシロと見るべきか?
「変な子でごめんね」と藤葉が肩をすくめる。「気持ち悪いよね? 言わんとけばよかった」
「あ、全然全然。気にせんといてや」俺は思いきり首を振る。
「杏くん、『カエ』のこと気持ち悪がっとるの、わたしよくわかっとったのに。なんで言うてもうたんやろ。アホや」
「全然。マジで。藤葉はなんも気持ち悪くないよ」
「本当?」
「うん」
そうだ。藤葉は神経質で、ちょっと臆病で、でも優しい子なのだ。親しくなる前からも同じ陸上部員としてずっと見ている。この子に何かを思ってはいけない。
「えへへ……杏くんはなんでわたしといっしょにおってくれるん?」
「えー? 他におらんからじゃない?」
「えっ、そ、その言い方は、ちょっとショック……」
「なんで!? 他にいっしょにおりたい人が俺にはおらんから……」
「なんかそれ、もっといい人がおったらわたしとなんていっしょにおらんかったわみたいに聞こえる……」
「そうかあ? や、俺には藤葉しか想像できんて意味なんやけど」
「そういう意味なの?」
「ほうや。そういう意味」
「それならいいけど」藤葉は息をつきながら微笑む。「それなら嬉しい。わたしもそうやよ?」
「ほんなら俺も嬉しいわ」
「ねえ、杏くん。今日は授業なくなって時間も余ってもうたし、いっぱい遊ばん?」
そうだな。まだ昼前なのだ。「いいけど。俺んち来る?」
「わたしの家でもいいよ」藤葉が目を伏せる。「日中は誰もおらんし」
「え」それって。「チュウしてもいいってこと?」
「あ、杏くん!? だ、大胆すぎる……」藤葉は目どころか顔まで伏せて恥じらってしまう。
「あれ? ごめん……」でも藤葉とはこれまでにもキスぐらいして……いない。していない。なんだ?この感覚。俺は藤葉とキスなんてしたことないし、でもそれで当たり前だ。どうして今一瞬、俺はキスの経験があるかないかで悩んだ? どうして一瞬硬直したんだろう? 何かが引っ掛かる。なんだ? あ、まだ一度もキスしたことがないのに軽薄な感じで尋ねてしまったから、それを気まずく感じただけなのかな。そうなのかも。「はは。ごめん。直球すぎたわ」
他の子にはそういう言い方をしたらダメなのだ。最低だから。俺はちゃんとそう教わったのに。
誰に!?
誰から教わった!?
俺はそんなことを誰に教えてもらったんだ? いつ? どういったシチュエーションでそんな話が展開されたんだっけ? 俺は他の誰かに対してもそういう失礼というか、大胆で直球すぎる発言をしてしまったのだ。ということは俺は藤葉以外の誰かともいい関係だったのか? いや、いい関係だった相手のことを思い出せないわけがない。でもそうじゃない。俺は理解している。この世界において、俺の記憶は絶対じゃない。記憶は簡単に干渉されて弄くられるし、世界はそれに合わせて形状を整えられてしまう。だからこの引っ掛かりは気のせいじゃない。俺は自分の記憶は信じないが、自分の感覚は信じられる。『他の子にそういう言い方しちゃダメだよ?』。この言葉が頭に浮かんだとき、俺の心臓は暖かくて柔らかい毛布にぎゅっと締めつけられたような、心地よくて、でも少し苦しいような、そんな感覚に陥ったのだ。他の子はダメでも、君にならいいの?
『君』『君』『君』……本当にマジで何か思い出せそう。その誰かのリアルな声すらもが脳内に響いてきそうなのに……実際はまったく何も思い出せない。俺は記憶に対して不信感がありすぎて、こうやって疑念を向けていないとダメな身体になってしまったんだろうか? でもすごく大切な記憶を見失っている気がする……なんて言うと陳腐すぎるかもしれないが、そんな程度の言葉でしか表しようのない漠然とした歯痒さだけが漂っていて致し方がない。
俺は力なく膝をついてしまう。ひどい世界だ。ないはずのことが簡単にあったことにされてしまうし、あったはずのことが無慈悲にもなかったことにされてしまうのだ。そしてそれを知らないまま、気付けないまま生きなくちゃいけない。
俺の世界からいなくなり、もう二度と捉えられない、大切だったはずの人を思い、俺は泣く。