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「どの者を手配いたしましょうか。」
「いえ、騎士団に所属している者ではなく…」
「遅くなりました!」
そう言って、部屋に入ってきたツェンに、ネルとエクスの目が丸くなる。
ざんばらだった髪が切り揃えられて、綺麗なうなじが見えるほどに短くなっていた。金だった髪はフェイクのためか、銀の輝きを帯びていた。瞳も、空色から夕焼け色に変わっていていた。遊びをもたせながらも整えられた髪は、青年らしい爽やかさを帯びていて、彼によく似合っていた。出会った時には少女と見間違えた彼と同一人物とは思えないほど、洗練された美しさを持っていた。
『な……なんてイケメンなの……。顔面がタイプすぎる……。』
ネルは思わず見惚れてしまっていた。
「この方は?」
騎士団長に催促され、我に返る。
「わたしが、騎士にしたい者です。」
「ほう……」騎士団長がツェンに、じろじろと不躾な視線を送る。「優秀な騎士団員たちがありながら、それを差し置いて姫が連れてくるなど、さぞかし優秀な方なのでしょう。どういった経歴をお持ちなのですか?」
「何もない!」
ツェンが元気よく答えると、騎士団長の顔がみるみる青に染まっていく。
「そんなどこの馬の骨とも分からない方を姫の騎士になどできません。」
「お前、騎士団長の身分でボクの命令が聞けないと……」
「騎士団長の言う通りですね〜。」
何かを口走りかけたツェンの言葉を隠すように、エクスが声を張った。危ない。
「そうですね。しかし、姫がどうしてもとおっしゃるのであれば仕方がありません。
王宮騎士団の誇るこのエクスと決闘し、勝てたら認めて差し上げましょう。」
「「えっ」」ツェンとエクスが声を上げた。
そんなこんなで、ネルは闘技場に来ていた。特等席へと通され、今まで生きてきて一度も座ったことがないほどに豪華な椅子に緊張しながら腰掛ける。
ネルの隣にはお目付役にと突然呼びつけられた副団長が背筋を伸ばして立っている。落ち着かないことこの上ない。
「団長も酷いことをしますね。」
副団長の言葉に、ネルは首を傾げる。
「エクスは王国で5本の指に入るほどの剣術の達人じゃあないですか。私では彼に勝てるかどうか……、騎士団長と戦って、ようやく五分五分と言ったところでしょうか。なので……」
『エクスってそんなに強かったんだ。でも、ツェンに勝たせる気は毛頭ないってことね。』
確かにエクスに地下通路で襲われた時、全く気配を感じられなかった。本気でエクスが殺す気できていたら、きっと何も気が付かないうちに死んでいたのだろう。考えると背筋が寒くなる。
『ツェンは大丈夫なのかな。』
エクスがツェンを傷つけるようには全く思えないけれど、心配である。
「エクス、手は絶対に抜くなよ。」
ツェンがエクスに剣先を向けて告げる。エクスはやれやれと息をついた。
「抜きませんよ。そんなことしたら団長にバレてしまいますし……それに、貴方も怒るでしょう。」
「よく分かってるじゃないか。」
ツェンは満足げに頷く。
『俺に勝てたことなど一度もないのに、その自信はどこからくるのやら。』
エクスはどうしたものかと考える。
「武器は練習用の木剣を使う。勝負はこのハンカチが地面についた瞬間に始まり、先に背中を地面についた方の負けとする。」
騎士団長が立ち上がり、宣言する。ツェンとエクスは、合意を示すように木剣を構える。
騎士団長がハンカチを空高く掲げる。そしてそれを、ふわりと手放した。ハンカチはひらりひらりと宙に舞い、少しばかりの土煙を散らしながら地面に静かに降り立った。
瞬間、エクスはもう間合いにいた。ツェンは何とか後ろに跳んで刀を受け、衝撃を逃すも随分と飛ばされてしまう。
体勢を崩したところに追い打ちをかけるように間合いを詰め、エクスの胴斬り。決まったかと思いきや、ツェンはひらりと背面跳びでそれを避け、下から潜るように斬りあげる。それを何とかエクスは受け流す。
ツェンに負けたことがないとはいえ、闘いやすいかといえばそうではない。エクスの闘い方を一番知っているのはツェンであり、逆も然りだ。
姫として育てられたとはいえ、命を狙われることも多いツェンは、幼い頃から剣術を仕込まれていた。女性らしさばかり叩き込まれていたツェンにとってそれはとても楽しい時間だったらしく、いつも目を輝かせて剣を振っていた。
しかしツェンを守るため、人生の全てを剣に捧げてきたエクスが負けるなんてあり得ない。一度勝負で手を抜いて、わざとツェンに花を持たせたことがある。その時は気がついたツェンが怒り狂って手がつけられなくなったのだ。以来、エクスは勝負では手を抜かないように気をつけていた。
〝エクス、手は絶対に抜くなよ。〟
大体、主人が本気を所望するのであれば、それに誠実であるのが従者というものだ。エクスは覚悟を持って、剣を振るった。
剣と剣が、何度も空中でぶつかり合う。ネルは息を呑んでそれを見守っていた。エクスのひと突きにツェンがついに体勢を崩し、背中から地面に倒れていく。
「アッ」とネルは思わず声をあげる。
しかしすんでのところで、バク宙の要領で地面に手をつき、ツェンは足から着地してみせた。ネルは胸を撫で下ろす。もし、ツェンが負けたらどうなるのだろう。ツェンは騎士になれないのだろうか。
ずっとお姫様として生きてきて、騎士になりたかったと語ったツェンを想った。そしてネルの告白を聞いて、心から応援してくれたツェンのことも。
『頑張れ……。』
ネルは気がついたら手を胸の前で握り合わせ、心の底から祈っていた。
『頑張れ。負けるな。ツェン……!!』
地面が土煙をあげ、視界がどんどん悪くなっていく。
目を閉じて、エクスは音でツェンの位置を測る。こうなるともう、勝ったも同然だ。あとは気配を消して奇襲すればいい。エクスは音もなく飛び上がると、ツェンに向かって袈裟斬りの構えをする。
「エクス!!!!!!!」
その声は、鋭く響いた。エクスの手が、刹那の間だが止まった。その刹那が勝負を分けた。すかさずツェンが胴斬り、エクスは勢いそのまま背中から地面に転げ落ちた。
騎士団長のハンカチが空に向かって掲げられる。
「勝負アリ!ツェンの勝利!」
「おい、お前……」
狡いでしょう、エクスはいいかけて、ツェンの表情に違和感を覚える。ハッとして観客席を振り返る。身を乗り出したネルが、肩を荒く上下させていた。
『ああ、お前が呼んだのか。クソ、俺が聞き間違えるなんて。声までよく似てる。』
ツェンはエクスに手を差し伸べる。その顔いっぱいに歓喜の色が浮かんでいた。
『や、やってしまった………』
ネルは地面に崩れ落ちた。ツェンに勝ってほしいと願うあまり、勝負を邪魔してしまった。ただでさえエクスによく思われていないのに、公平性を害すようなことをしてしまった。ついに殺されるかもしれない。地下道でのエクスの剣幕を思い出し、身震いする。
とにかく、早く謝らなければ。ネルは席から立ち上がり、二人の方へ駆けていく。
「ネル!ボクの活躍見てた?」
ツェンが子犬のようにネルの元へと駆け寄っていく。ネルはこくりと頷いた。
「でもエクスの応援をするなんて、薄情だよ。」
『ツェンにはそういう風に聞こえたんだ。よかった……のかな。』
ネルはへらりと笑いながらも、後ろからやってくるエクスが気になって仕方がない。ネルはツェンとの会話を切り上げて、そちらへ駆け寄った。そして怖くて目も見れないまま、勢いで謝罪を伝える。
「あ…あの、ごめん、なさい」