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「その先を、口にしないほうがいい。
貴方たち、死にますよ?」
騎士の出たちをした男が、言った。口元に浮かべた微笑とは裏腹に、一つも笑っていない赤い瞳が不気味に映った。騎士はツェンの横を通り過ぎると、ネルに歩み寄った。
「貴方がきっと、はじめましての方ですよね?
わたしは姫付きの騎士、エクス。」
『この人、見分けがついてるんだ。』
ネルは感心しながら、差し出された手を握り、握手を交わす。
「そしてこっちが、姫付きの魔女、ルルです。」
三角帽子を目深に被った女の子が無言で頭を下げた。そして透明になって消えた。
『えええええ…!?』
「彼女はここの家主ですが、人見知りなので姿も現さないことがほとんどです。」
ネルは呆然としていた。そしてやっと、まだ自分が名乗っていないことに気がついた。
「はじめまして。わたしは……」
「その先は、言わなくていい。死にますよ?」
慌てて自己紹介しようとすると、男にまた告げられる。心臓が跳ねて、口止まる。
「エクス、勿体ぶらずに早く説明してよ。」
ツェンがいうと、エクスはため息をついた。
「貴方が勝手に鏡を使ったのが悪いんですよ。説明するので座ってください。」
ネルとツェンがソファに掛けると、エクスは紅茶を淹れてくれる。ツェンがネルに耳打ちした。
「エクスもルルも変な奴で、驚いたでしょ。でも2人とも、ボクの秘密を知りながら守ってきてくれた大切な人なんだ。」
『確かにちょっと不気味だけど。世界に4人しかいない、男の子だって知ってる人か……。』
ツェンにそう言われると、得体の知れなかったエクスがなんだか身近に感じられるのだった。
「いま、なんて名乗ってるんです。」
エクスが紅茶を差し出しながら、ツェンに尋ねた。
「ツェン。」
「言い慣れませんが、仕方ありません。
〝ツェン〟が勝手に使ったあの鏡は、〝身代わりの鏡〟。どこかの世界にいる自分そっくりの人間を呼び出して、身代わりにできる鏡。」
『〝身代わり〟……、確か最初に会った時も言ってたな。』
「身代わりが承諾した場合、この世界に存在が固定されます。でも、バレると身代わり共々、死にます。」
「待って待って!!!」
ツェンが話を遮る。
「もうエクスとルルに、バレてるよね?」
「バレましたね。」
「ボク、死ぬってこと!?」
ツェンの顔色がみるみるなくなっていく。
「死にます。あと5分後に発動します。」
「あばばばばば」
ツェンが泡を吹いて倒れていく。
「というのは嘘です。」
「へ!?」
驚くツェンを見て、エクスはにこにこと楽しそうにしている。
「具体的には〝本当の自分の名前〟を呼ばれた時に呪いが発動します。誰かに本来の名前を呼ばれてしまった瞬間に、心臓が止まる。分かりやすいでしょう?」
ごくり、二人は息を飲む
「ですが、抜け道はあります。今の私のように、知っていても名前を呼ばなければ、呪いは発動しません。」
「あぶな!それもっと早く教えてよ!」
「話も聞かないで勝手に魔法道具を使ったのは貴方です。」
『つまり、わたしたちは周りを騙し続けなければ死ぬってこと?そんなことできるの?』
「待って。わたし、家に帰れるの?」
ネルは突然思い至り、聞いた。
「残念ですが、帰れません。」
エクスは割れた鏡を指差して言った。ネルは鏡に駆け寄っていき、触れてみた。何も起こらない。ネルはずるずると、地面にへたり込んだ。
『そんな……。仕事をクビになるのはいいとしても、親にだけは心配をかけたくない。一人暮らしだからすぐには分からないだろうけど、娘が蒸発して一生帰ってこなければ、ママもパパも悲しむに違いない。』
優しい両親が悲しみに暮れるのを想像して、ネルはいてもたってもいられなくなる。
ツェンがそばに寄ってきて、宥めるように背中を撫でてくれる。
「ごめん。ボクがろくに説明もせず、勝手に承諾を得たせいだ。」
「一年です。」
エクスが一本指を立てた。ネルとツェンは、振り返る。
「一年経って誰にも見破られていなければ契約が解かれ、帰ることができると思う…とルルが言っていました。」
「思う……」
『思うってなに…?』
ツェンとネルが不安がるのを、エクスは無視して続ける。
「もしくはどちらか片方が死ぬと契約が解かれますので、強制的な解除になります。」
「それは……」
『ツェンを殺してまで、帰りたい訳じゃない。
一年後でもいい。帰ることができるなら、そこまで頑張ってお姫様になり切るしかないのかな。』
「貴方にはもう、やり切るという選択肢しかありませんよ。」
エクスにそう言われて、ネルは黙ってしまった。
「………よし。」
ツェンが立ち上がった。
「〝ネル〟。これからよろしくね。」
しゃがみ込むネルに、手を差し伸べてくれる。
「安心して。ボクがキミのこと守り抜くから。」
ネルは惹かれるように手を取りかけて、止まる。
『そもそも、よく知らずに鏡を使われたせいではあるんだよね。
でも。お姫様になってみたかったのも、夢を見るのもいいかと思ったのも、嘘じゃない。』
ネルは改めて、その手を取った。
「………うん。よろしくね〝ツェン〟。
わたしも、頑張る。」
ネルも、立ち上がった。
「それで、ツェンはこれからどうするんですか?元姫であることがバレないように、どうやって生活していくんですか。」
エクスが尋ねると、ツェンは目を輝かせた。
「ボク、ネルの騎士になるんだ。」
「騎士……。」
「ずっと憧れだったんだよ。いいでしょ?
お前も一緒に、ネルの騎士をしよう。」
エクスはやれやれとため息をついて、分かりましたと答えた。
「でも、どうやって騎士になる気ですか?貴方今、素性のはっきりしない不審者ですよ。」
「作戦は考えてる!
そのために早速、今からネルに王宮に戻って、やってほしいことがあるんだ。」
『今から!?王宮に!?』
早速のミッションに震える。ツェンに耳打ちをされた内容も、意味がわからない。
『そんなこと、無理だよ……。わたしまだ何も、分からないのに。』
「とにかくやってみれば大丈夫だよ!」
能天気に言われると何も言い返せず、へらりと笑って頷いてしまう自分が憎らしい。
「それに、エクスがついていってくれるからね。」
「えっ、ツェンは……?」
「ボクは少しやることがあるから。後から追いかけるよ!」
『ええ、この人と二人きりなの…?』
戸惑うネルに構わず、エクスは暖炉の前に進み出ていた。ぱちぱちと音を奏でる火に向かい、そして告げる。
「汝の奥に眠る、真理への道を開け。我はアイリス王家に仕えるものなり。」
突然、火が青色に輝きを放ち、弾けて消えた。見るとそこには、地下につながる通路が現れていた。驚いているネルを置いて、エクスはすたすた地下に降りていく。
「じゃあ、またあとでね!」
ツェンに見送られて、恐る恐る通路を進む。
エクスは無言だった。自分から会話を振るような性質でもないネルも、黙って後に続いた。
真っ暗な地下に松明がぽつぽつ灯るだけの地下は、不気味だった。暗いところが苦手なネルは、呼吸を整えるように静かに歩いていた。
「おい。」
突然呼びかけられ、ネルはびくりと飛び跳ねる。
「私はアイツのように、能天気ではないので……素性のろくに分からないあんたを全く信用していません。」
エクスは突然ネルの肩を掴むと、壁に押し倒した。ぐっと顔を近づけ、耳元で低く囁いた。
「アイツを危険に晒すような真似をしたら、殺しますから。」
『えええ、さっきまでにこにこしてた人と同じ人なの…?二重人格……?』
ネルが何もいえないでいると、エクスは再び歩き出した。ネルはその背中に向かって、意を決してそっと言った。
「私もツェンも真剣なの。」
ネルのバカげた夢を真剣に聞いてくれたツェンにも、叶えたい夢があった。二人は同志なのだ。
エクスはそれを聞くと、振り返って笑った。
「荒い真似してすみませんでした。それなら良いんです。」
ニコニコと、冷たい瞳で笑っている。
「私は表向きは貴方の騎士になりますが、生涯アイツを守ります。何かあればあんたを殺す、という言葉は撤回しませんから。」
『怖い人だな………。』
背を向けて歩き出すエクスのあとを、ネルも慌てて追いかける。
『でも、騎士からこれだけ思われているなんて、やっぱりあの子は〝お姫様〟なんだな。』
しばらく歩くと、通路の終わりが見えてきた。
「汝の真の姿を示せ。我はアイリス家に忠義を誓うものである。」
エクスの言葉で扉が開く。
ネルはその景色に、息を呑んだ。
豪華絢爛なシャンデリア。天井には美しい絵画が描かれている。壁の装丁も美しく、ペルシャ絨毯とよく合っている。天蓋付きのベッドは、幼い頃夢見たものそのものだ。
「ここが、ネルの部屋です。」
『これが、お姫様の部屋……!』
吸い込まれるように部屋の中へ足を踏み入れる。鼻腔をくすぐる甘い香りに胸がいっぱいになる。
『まるで、夢の中にいるみたい。』
「それで、ツェンに何を頼まれたんです。」
エクスの言葉に、ネルは現実に引き戻された。気は重いが、やるしかないのだろうか。
ネルは騎士舎に来ていた。ガタイのいい男たちにじろじろと見られ、小さくなりながら、団長室の扉をノックする。
エクスの怪訝な目線を後ろから感じながら、どうぞと言われ中へ入った。
「ネル姫!!お呼びくだされば、参りましたものを。ご足労おかけして申し訳ございません。」
団長はネルの姿を見た途端、素早く床に膝をついた。驚きつつも、きちんとネル姫に見えていることに安心する。
『ええと、それで……』
ネルはツェンに耳打ちされたことを思い出しながら、そのまま言った。
「私付きの騎士として、登用したいものがいるのです。」
「騎士を?」団長は驚く。「もちろんです!私がいくら増やしたほうがと提案しても、エクスだけでいいと頑なだった貴方様が、ようやく決断してくださったのですね!」
『そうだったんだ……』
「どの者を手配いたしましょうか。エクスほどの腕前のものとなれば限られますが…」
「いえ、騎士団に所属している者ではなく…」
「遅くなりました。」
聞き馴染みのあるツェンの声に、ようやく来たかと振り返る。
『やっと来た。ツェ………ン!?』
現れたツェンの様子に、エクスとネルの目がまんまるになって……。