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大坂城の女たち  作者: yukko
大坂城
21/28

香の前

もう一人、豊臣臣秀吉の側室の話を致しましょう。


その女性の名は、種です。

側室になり、香の前と呼ばれるようになりました。

この女性は、秀吉に見初められて側室になりました。

見目麗しい女性であるが故に秀吉の目に留まってしまったのです。


「種、そなた、これより名を香の前にせよ。」

「はい。」

「種では……のう。」

「殿下……名を頂戴いたしましたこと末代までの誉れでございまする。」

「うむ。」


香の前が寵愛を受けた日は短かったのです。

それは、陸奥国の大名・伊達政宗が大坂城にやって来たことで短くなってしまったのです。

伊達政宗が上洛し、大坂城で秀吉に謁見をしました。

迎えた秀吉は宴を儲けました。

その宴で側室として末席に居た香の前を見た上機嫌の秀吉が言ったのです。


「伊達殿、側室は数多おいでだと思うがの……。

 香の前、来やれ。

 如何じゃな。」

「はい。大変お美しい女性(にょしょう)であらせられまする。」

「そうであろう。そうであろう。」

「はい。お美しい……。」

「伊達殿、如何じゃ。」

「如何とは、どのような………。」

「この香の前を、伊達殿に差し上げようと思うておる。」

「なんと! (それがし)に……。殿下の御側室様を……

 賜れるなら、伊達家末代までの誉れにござりまする。」

「そうか、そうか。末代までの誉れとな……。

 皆、聞いたか! 伊達殿の言葉を!

 香の前、そなたも伊達殿の元へ参れるのは誉れであろう。」

「御意にござりまする。」

「うむ、うむ。話しは決まった。

 香の前、そなた、伊達殿と共に陸奥へ参れ。」

「御意にござりまする。」


その夜、香の前の部屋に秀吉がやって来た。


「香の前、そなたには相済まぬ。

 なれど、伊達との縁を結ぶことは何よりも戦をせずに済むことなのじゃ。

 分かるな。香の前……。」

「はい。」

「今宵は最後じゃ。そなたを心行くまで……。」


香の前は涙を隠し通しました。

まるで犬か猫のように簡単に売られていくような気がしました。

そして、思いだしたのです。

秀吉が実の妹にした事を……。


⦅さもありなん。⦆


その一言のみが香の前の心を表している言葉だったのです。



伊達政宗の側室として、香の前は大坂城を出て陸奥国へ行きました。

その後、政宗との間に慶長3年(1598年)に津多(女子)、慶長5年(1600年)に又治郎(男子)を産みました。


「香の前よ。出来(でか)した! そなたは男児を産んだんじゃ!

 あの太閤殿下の元では産めなんだ子を二人も産んだんじゃ!

 それも男児じゃ! ワハハ! ワハハハ! いい気味じゃ!

 ワハハ! ワハハハ! ワハハハ!」

「御屋形様……。」


香の前は思いました。


⦅私の身は、子を産むためと分かっていた。

 それが側室の務め故……。 

 なれど、御屋形様は……殿下に勝ったと仰せじゃ。

 私は子を産み、殿下に勝つためだけ……

 大坂城では側室に役目があった。

 松の丸殿は、私のような側室に様々なことを教えてくださった。

 加賀殿は奥で使うお金を一手に引き受けて……

 大坂城で私に役目は無かった。

 この米沢城でも役目など与えても頂けない。

 与えられたのは、殿下に勝つために産むこと……

 それだけ……。⦆


香の前の米沢城での側室としての暮らしは短かく終わりを告げました。

再び、香の前は下賜されたのです。

慶長7年(1602年)に政宗の重臣・茂庭綱元に下げ渡されてその側室となり、2人の子と共に綱元の屋敷に移ったのです。

香の前が綱元の側室となった際に、政宗との間に生まれた子供達は綱元の実子扱いとされ、以後は綱元の下で養育されることになりました。


「御屋形様はにとって要らぬ側室だったのですね。

 太閤殿下にとって要らぬ側室、そして伊達政宗公にとっても要らぬ側室。

 下げ渡されて正室には成れず、側室……

 また、要らぬ側室で有ろうな………。」


米沢城での最後の夜、正宗が寝所に香の前を呼ぶことはありませんでした。

翌朝、迎えに来た茂庭綱元の家臣とともに二人の子を連れて米沢城を出たのです。


茂庭綱元へ挨拶する時、その傍に正室も側室もいました。

これから、この屋敷の中が私の戦場になるのだと、香の前は思いました。

しかし、戦場にもならなかったのです。

正宗の子であるのにもかかわらず、厄介払いのように母と共に下げ渡された子ども二人……。

そして、母・香の前………。

そのどちらも不要な人間だったのです。

この屋敷の中にも居場所はありませんでした。


「寵愛を受けずとも良い。

 子らを大切にして貰えれば、それだけで充分じゃ。」


この後、その想いだけで生きて行ったのです。


寛永17年12月2日(西暦1641年1月)亡くなりました。享年64歳。

下げ渡された人生でした。

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