時代によって変わる女性
太古の昔「女性は太陽だった。」と言ったのは、誰だったでしょうか?
時代が進んで、平安の頃の宮中では「源氏物語」そのものの様相だったようです。
一人の帝の寵愛を巡って、女性たちの葛藤がありました。
この葛藤は江戸時代の大奥でも同じでした。
そのどちらも、女性の存在は子どもを産む道具だったという人も居ます。
そして、皇室だけは今も……皇后や妃殿下は「男子を産む」ことが最大の御公務と言われています。
何だか哀しくなってしまいます。
でも、全ての時代で女性が子どもを産む道具だっただけではなかったのです。
例えば、平安時代に男子は父親から官位を受け継ぎますが、財産を受け継ぐことは無かったのです。
財産は女子に母親から受け継がれたのです。
あの藤原道長も受け継いだのは父親からの官位だけでした。
妻は母親から財産を受け継いでいたのです。
だから、男子はより良い縁を求めました。
多くの財産を受け継ぐ女性を妻に迎えるためです。
妻に迎えられた女性だけが同居できたのです。
それが、いつしか財産も男子が受け継ぐようになってしまったのです。
武士の時代になって、特に戦国の世では女性に求められるのは子宝でした。
だから、経産婦が喜ばれたのです。
子どもを産んだことがある女性なら、子どもに恵まれるとして……。
子どもを産む道具のようですが、違う面があったのです。
それは、嫁した家で役割があったからです。
外交を担う者、金銭管理を担う者など……。
このような役割を奪ったのが徳川幕府でした。
徳川家康までは女性に役割があったのです。
さて、前置きが長くなりました。
これからのお話は豊臣秀吉の作った城の一つ・大坂城で過ごし生きた数多の女性の物語です。
安土桃山時代へと……旅をしましょう。