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家に帰って質素な自室で横になる。さっきまで自分がいた場所が嘘みたいだ。こんな事もあるんだな。けれど冷静になってもやっぱり答えは変わらない。自分はその器ではない。そう思うから。
自分は臆病者なのかな。向上心が無いのかも。最後の最後で考えが変わるかもしれないと自分を卑下してみたけれど、検討に検討を重ねた自分の思考が即答する。いや、違う。そうじゃない。怖いという気持ちもあるけれど、それ以上にその場にいる自分に違和感が残る。そんな気持ちで飛び込んでいい場所じゃないんだ。こんな覚悟で沢山の人生を背負えない。
拒否でこの話はお終いだ。この選択をすれば、自分は幼い頃から想像すらしない位の当たり前の日常に戻るんだ。卒業後、何の仕事をするのかな。肉体労働は向いていない。どこかで書類整理や裏方の仕事をするかな。良いところが見付かれば良いけど。それで生活できるだけの身銭を稼いで生きていく。まぁ、それも幸せだと思う。身の丈に合った幸せが自分という人間には合っている。そう思ったら安心した。やっぱりこれで良いんだ。一気に気が楽になる。
身の丈か。そんな言葉に思い出す。その言葉など、最早辞書にも載っていないであろう彼女の事。自分との時間を必死に過ごそうとしている彼女の事。
大丈夫かな。
自分が視界からいなくなったって彼女は何も変わらないだろう。いても変わらない。それなのにそんな彼女を心底心配だと思う。こんな気持ちの人間たった一人。それでもいなくなったら彼女には誰が残るんだろう。
でも、それは天秤には載せられない。ベクトルが違う。別問題として考えるべきなんだ。だから自分の答えは変わらない。
仰向けになっていた体を転がす。少し小さくなってほっとした。一人きりの狭い部屋。ここには自分だけの安心がある。それすら持っていない、広い部屋に閉じ込められた彼女を思う。思うのは自由だ。そう。自分は自由なんだ。その自由な自分を、不自由な殿下と王女は気にかけてくれた。良い人達だったな。殿下の事は本当に尊敬している。あんな立場にありながら、誰の言葉一つ雑に扱わなかった。
「ここにいると楽だよ」
いつか殿下が呟いた言葉を思い出す。あれは…なんだっけ。白熱しすぎて喧嘩一歩手前になった時だ。俺達が最初にやっていた検討会。検討会というよりも、この頃にはもう真剣勝負だった。どんな手や情報が出てくるか分からない真剣勝負。歴史通りの結末になることもあったし、見事にひっくり返ったこともある。その手を使う!? 状況は整ってる? といういちゃもんの付け合いに「こういう事実がある!」と手の内を晒すのが一時期流行った。それがしたいが為に、舞台が決まれば皆血眼で状況を整理し情報を集めた。その時、このメンバーが国を動かし始めたらヤバいななんて冗談で笑い合ったっけ。
「やめろ! 殿下がいらっしゃるって!!」
普段はそのまま続行! なのだが殿下が参加し始めた頃だったのでいるのをすっかり失念していた部員達。と、俺。ここまでの醜態と、改めて考えてみれば完全アウトの不謹慎ゲームに今更気付いて皆真っ青になった。その自分達を見て殿下は不思議そうな顔をした。
「良いんだよ。そのまま続けてくれて」
ひぃー。そんな訳ないじゃん。と満場一致で思った自分達に殿下が笑う。
「裏表のない君達の議論は聞いていて気持ちが良いよ」
そして言ったのだ。ここにいるのは楽だと。
それならとそのままの関係を続けた。そうしたかったし、今しかできない無礼講だと割り切った。
政治的な立場にいる殿下はゲームに参加されることはなかったけれど…というか、自分達みたいにゲームに入れ込む時間が無かったんだろうけれど、時々感想や意見を言ってくれた。それを言う事すら躊躇う立場の彼は、それをそっと取り払って自分達に気を許してくれていた。その後すぐだ。過去だけではなく現在の問題にも取り組む気は無いかと殿下に言われたのは。
そこで提案されたのが領地経営だった。領地に問題を抱えていたサテナローズが入部したのもこの頃。そして俺達が最初に取り組んだのも彼女の領地問題だった。
まずは問題を確認。情報を集めて検討し実行する。ゲームの時とやることは変わらないのに体や思考がやけに鈍った気がした。現実というのはそれくらいの重責だった。結果が出るまでの毎日に緊張していた。領地の未来や誰かの人生がかかっている。過去の世界では支配者だった筈の自分は、こんなにも視界が狭くて時間を動かすことも予想通りの結果を生むこともできないちっぽけな人間だった。そんな無力な世界の中で、色んな経過や結末を見せて貰った。喜びよりも苦しさの方が圧倒的に強いと知ったのはこの頃だ。どうしてなんだろう。百の成功よりも一の失敗がやけに心に残った。その「一」に対しての罪悪感が達成感を消し去っていく。その中に、あの人はずっと身を置いている。
…殿下も不自由だ。
ぽつりと心に落ちた気付き。王女よりも行動力も力もあって一見自由にも見えるけれど、発言一つにまで気を配らなければならない程に不自由なんだ。そんな場所で自分が背負えなかったたった「一」よりも、もっと沢山のものを背負って生きていくんだ。あの優しい王太子は。
何かできないかな。と、ふと思う。彼の為に何か。恩返しがしたい。自分達の下らない情熱を褒めて認めてくれた次期国王に。何か。
そう考えて気付く。助けて欲しい、と彼は言っていたんだ。自分を認め、側にいて欲しいと。いつも人の為と息をするあの人が、それを隠し続けなければならないあの人が、自分にそれを晒してくれたんだ。
体を起こして背筋を伸ばす。そして気付きをしっかりと抱き締めた。気の持ちよう一つだ。同じ事をするのでも、何の為にそこにいるかで人は変わる。自分は沢山の人生を抱えなくても良いんだ。抱えている人を支えれば良い。その人を信じて尊敬しているんだから、彼の為に動けばきっと自分の理想になれる。
その為にできる事は変わる。もしも望んでくれるならたった一言渡すだけ、顔を見せて頷くだけだって良い。抱き続けていた違和感が跡形もなく消えた。