7
約束通り三日後、殿下との話し合いを終えたら王女の侍女に案内されて彼女に会った。三十分程度の世間話。お茶を頂いたのでご馳走様でしたと立ち上がった俺に彼女は言う。
「また来ますか?」
まだ結論は出ていない。だから「そうですね」と答えた。そして次の約束をした。
そんな事を何度か続けて、少しずつ彼女の事を知った。やっぱり学校であまり気持ちの良い時間を過ごせていないようだ。殿下に聞いた通り、自分が絡むことはないものの、駆け引きや表裏の激しい状況を度々目にするらしい。そこで自分は何かをしなければならないのか、してはいけないのか、関わってきた相手に思惑があるのが、無いとしても関わって良いのか。そんな事を考え続けている内にプライベートにも支障をきたしてきたようだ。城に戻っても落ち着かない様子。生活の全てが政治に絡む場所だ。想像することはできる。けれど本人はそうとは言わなかったし、匂わせもしなかった。ただ自分の状況を客観的に話し、自分達のように一つの話題を何の忖度も無しに検討し合える仲間がいることを羨ましいと言っていた。平民の自分が簡単に手に入れられるものを、王族である彼女は得ることができない。
そんな時間を過ごして気付く。自分は自由だ。自分の行く先を好きに決めることができる。王族からの提案を断ることさえ許されている。街を自由に歩き、言葉にも制限がない。自分の着たい服を着て、自分のやりたいことをする。
対して彼女はどうだろう。生まれた時からほぼ全てのものに制限があり、王女としての生き方を求められる。全て最上級のものを用意され、最低限の労力だけで生きていける代わりに国の為に生きなさいと教え込まれる。どちらが幸せかなんて決められないし、その人の性格にもよるだろう。けれど人間は無い物ねだりだ。貧乏人は金持ちを羨み、金持ちは自由を求める。全て持っていたとしても、人は何かしらの欲を抱えて生きるのだ。きっとそれが生きる意味や力。そこまで考えて気付いた。彼女は、その生きる意味すら自分では決められない。
そう気付いてからは籠の中の鳥に会いに行っている気分だった。ただそこでじっと待って、相手が来てくれれば金網越しに会うことができる籠の中の鳥。人の手に将来を委ねて何の抵抗もできない彼女の事が、いつしか心配で堪らなくなった。彼女の精神は大丈夫なんだろうか。彼女は幸せなのかな。これから幸せになれるのかな。何をしたら喜ぶんだろう。自分にできる事なんて無いかもしれないけれど。
俺は彼女に同情しているのだろうか。平民が王族に同情するなんておかしな話だ。
「勿体ないお言葉を頂きありがとうございます。でも私は自分が人の上に立てる人間なのか、やはり分かりません」
こんなにも弱い自分が。
自分がいつまでも殿下の提案を了承できずにいると、殿下は色々な「経験」をさせてくれた。こういう作業が好きだとやっぱりバレている。こんな理解のある上司の下で働けたら幸せだろうなとは思う。
政治関係者とも軍事関係者とも話をした。可能な限りの現場も見せて貰った。ゲームで実際の事例を幾つも参考にしていたから知識や意見だけはある。誰もがそれを褒めてくれた。けれど何度もそれを繰り返して気が付いた。あれは実例とはいえ過去の事だから正解だろうものを見付けられたし無責任な事を言えたんだ。自分は現在の問題に対して決定を恐れている。幾つもの候補の中から、もしくは正解があるのかすら分からない選択肢の中から一つを決定をする勇気がない。
自由というのは恐怖と隣り合わせだ。好きなだけ選択肢を増やせる代わりに、間違いや失敗も比例して増えていく。
「できる限りの経験をして貰ったけれど、君の理想は見付からなかったかな」
ある日殿下はこう言った。
「先方からは是非にと言葉が来ているけれど」
殿下の提案は本気だったのはよく分かった。そして端から見れば適材適所だったことも。
受け入れ側の幹部には、最初こそ馬鹿にしたような視線を向けられもしたけれど、議論を重ねた最後にはこんな平民の学生を歓迎するとの言葉を貰った。本当に自分は必要とされるのか、相応しいのか、確かめたくて生意気なことも強気なことも隠さず口にした。正解がない答えもそのままを。それがどうやら気に入られたらしい。皮肉だなと自虐的に思う。
だから正直な気持ちをそのまま答えた。それでも自分に相応しいのか疑問です。と。
「そうか。…分かった。次を最後にしよう。君の時間をこれ以上無駄にしては悪いから。こちらから提案できることは全てし尽くした。後は少し時間をかけて最終的な答えを出してくれ」
「…承知致しました」
ここに来るのは次で最後か。王女に会うのも、それで最後だ。
その後、彼女といつもと同じ様に過ごした。この頃になると彼女は自分を歓迎していると言葉でも表情でも示してくれるようになっていた。嬉しいな。と、素直に思う。
「次はいつ来ますか?」
最近は最後にこんな言葉を言われるようになった。当たり前のように会う約束をする。季節は移り、もう深い冬の頃。
「三日後に来ます」
「分かりました。待ってます」
「…ありがとうございます」
それで最後になると思います。とは言えなかった。