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本編

 ダムッダムッダムッ

 歩結ふゆがボールをつく音は、体育館の隅々まで響き渡った。

 練習開始1時間前。女子バスケ部の歩結は、1人黙々とシューティングをしていた。そして向こうのコート、男子バスケ部にも同じような人が1人いた。

 キュ、ダンッダンッダンッ

 体育館に、2人のボールとバッシュの音が響いている。それぞれ違うリズムで、合間にしんと静まり返る瞬間を挟みながら。音の種類の少なさが、歩結には心地よかった。

 あ、ずれた。

 歩結が放ったボールはリングに弾かれ、ガガンと音を立てた。そのまま向こうのコートに、そして彼のいるほうへ飛んで行く。

 シュートモーションに入っていた彼はぴたっと静止した。少し屈んでボールを受け止め、軽く放り返してくれる。

「ありがとう」

 歩結が礼を言いボールをキャッチするころには、彼は相変わらずスリーポイントシュートの練習をしていた。体が温まってきたのか、耳がほんのり赤い。

 互いに目を合わせることも、挨拶をすることもない。それでも、互いがそこにいるという共通認識だけはある。気まずい雰囲気はなく、不思議と居心地がよい。他の部員が来るまでのこの時間が、歩結は好きだった。

 それだけではなく、彼自身のことが好きだと気づいたのは、歩結が入部してから2年が過ぎた後のことである。



               * * * 



 パンッパンッパンッ

「みんな、お疲れ!」

 はるら男子リレーメンバーが3年4組のテントに戻ってくると、ムードメーカーの那継なつが手を叩いて迎えてくれた。他のクラスメイトらもつられて手を叩く。遥はアンカーだったこともあってか、口々に声をかけられた。短い言葉を返しながら那継の隣のイスに座り、タオルで汗を拭く。9月、まだまだ暑い。

 みんなの視線が自分からトラックへと戻っていくのを感じて、遥は息を吐いた。注目されるのは苦手だ。これでようやく今日の大仕事が終わった。

「ハルちゃん、お疲れぇえい!」

 那継に肩を揺さぶられ、遥は「おう」と返した。那継とは2年連続同じクラスなのだが、今年は昨年以上にテンションが高い。どうやら中学最後の体育会をめちゃくちゃ楽しんでいるらしい。いいことである。

「ハル~ちょっと耳が赤いぞ~」

 遥は何かと耳が赤くなりやすい。部活を引退して全く運動していない中、全力で走るなどすればすぐ耳が火照る。断じて、目立ったのが恥ずかしかったから、などではない。

 そんなことより、

「ナツ、酔ってる人の喋り方になってるよ」

 那継はへへへっと笑って遥の瞼をぐいと押し上げた。

「いつも以上に目がとろんとろんだぞ」

 こいつ、聞いてねえな。

「疲れたんだよ」

 遥はくわっと目を見開いて反撃(?)した。

「あははははっ、それはハルじゃねえ!」

 失礼な。

 遥は瞼が少し垂れていて、やる気がなさそうだとか、眠たそうだとか、とにかくよくいじられる。おかげでコミュ力がないのにクラスメイトによく話しかけてもらえる。だから遥にとって、それはどちらかというとプラスだった。

「ハル」

 急に那継が声量を抑えて話しかけてくる。

「どした」

 遥も小さい声で返した。那継は意味ありげな顔で笑った。

「ありがとうな」

      

          ◇


「男子リレーのアンカーやってくれない?」

 学級委員長の那継が遥を見る。

 最終学年ということもあり、みんな自分の主張を譲らず、体育会の種目決めは男子リレーで足踏みしていた。

 しかし、それが決まらないことには、他の種目が決められない。那継が他の人を説得している間、遥は静かに障害物リレーのメンバー決めの順番を待っていた。遥は、ぐるぐるバットに手を挙げるつもりだった。

「お願い、アンカーやってよ」

 遥がじっと見つめ返しても、那継は断固として笑顔を崩さない。那継は、遥が本当はやりたくないことを知っている。そして、遥なら折れることも知っている。那継にとって、遥は最終手段なのだ。

 そうこうしているうちに、周りは遥でいいじゃんという雰囲気になっていた。バスケ部だったし、足速いし。

 自分でも、自分の意志の弱さはよく分かっている。

「分かった、やるよ」

          

          ◇


「貸しだからな」

 遥は言葉少なに返事をした。

「まあ、そうだね。いいよ、何かしてほしいことある?」

 遥は少し考えた。

「……どこの高校受けるんだろ」

 返事がない。那継のほうを向いて、遥は吹き出した。

「それはどういう顔なんだ」

「自分で聞けよ~そんくらい。話したことあるでしょ」

「あるけど……授業中だけだな」

 4組は毎月席替えがある。1学期に1回、席が近くになったときに、グループワークで話したことがある。

 遥は基本的に、話しかけられないと人と話さない。向こうもまたしかり。要するに話す機会がない。

「ま、頑張って話しかけな。そうでもしないとあんたら発展しそうにないからな」

 保護者面の那継は、アナウンスを聴いて「おっ」と声を上げた。

「3年始まるんじゃね」

 女子リレーである。4組頑張れ~と那継はさっそく声援を送っている。田舎だからということが関係あるかは分からないが、遥らが通う安木あき中学校は男女仲が良い。

「歩結~いけ~!」

 女子も男子も下の名前で呼び合うのが普通なくらいには、仲が良い。

 リレー終了のピストルが鳴ったので、遥は拍手した。前かがみになっていた那継もイスにもたれる。

「お前も応援しろよ」

「俺声小さいから」

「目に焼きつけたか」

「まあな」

 那継があまりにもにやにやしているので、遥は睨んだ。

 全然効かなかった。


          ◇


 補足しておくと、遥は歩結に中1の頃から片想いしている。

 そしてそのことは、那継だけが知っている。というか、バレた。3年に上がり歩結と同じクラスになって一瞬で。にこにこしているが奴は鋭い。

 バスケ部に入部したての頃から、遥も歩結も休日練習は早く行ってシューティングをしていた。それがきっかけで意識するようになり、気づいたら好きになっていた。遠目からしか見たことがなかったが、歩結の雰囲気に強く惹かれた。飄々としていて、自分の芯をきちんと持っている、そんな感じがした。確実に、遥にはないものだ。

 それから3年になり、教室で歩結の姿を見られるようになったときはとても嬉しかった。歩結は、女子にしては少し低めで落ち着いた声をしていた。そして席替えで窓側になるたびに、授業中外を眺めている。細い目は何を考えているのか分からなかったが、目が合うと自分の心を読まれている心地がして心臓に悪かった。

 部活を引退すると、練習前のあの時間もなくなり、夏休みに顔を合わせることもなくなった。それが思ったよりも寂しかった。

 中学校生活も残りわずか。

 同じ高校だといいんだけどなあ、と遥は心の中で願っていた。



               * * *



 眠い。

 歩結は机に左ひじをつき、頭がぐらぐらしないようになんとか支えていた。これで下を向いて教科書を開いておけば読んでいるふうに見えるということは、長年の経験で分かっている。

 5時間目、社会。1番窓側の1番後ろの席。11月、柔らかな陽の光が差し込んできている。居眠りの条件としては完璧だ。

 別に寝たくて寝てるわけじゃない。勝手に瞼が閉じてくる。これに抗う術を、歩結は持っていなかった。

 社会の担当は、歩結ら4組の担任だ。いつも面倒くさそうな顔をしていて無愛想だが、根は優しくツンデレのため生徒からは人気がある。

 先生が何かを話しているのが、遠くから聞こえる。

 完全に意識が飛びそうだったその瞬間、シャーペンを動かす音や紙をめくる音がふっと止まって、歩結は目を開けた。

 先生が険しい顔でこちらに歩いてきていた。さあっと眠気が飛んでいく。叱られるかも、と歩結が心の中でどぎまぎしていると、先生は歩結の隣、遥の席の前で立ち止まった。助かった。

 遥は机に突っ伏して寝ている。まだまだ居眠り初心者だなと、歩結は思った。

 先生からの殺気を感じたのか、遥はビクッと体を起こした。

「気配には敏感みたいだな」

 先生がぶっきらぼうに言う。遥は先生があまり怒っていないことに気づいたのか、微笑んだ。

「別に寝てたわけじゃないです」

「じゃあ何をしてたんだ」

「ちょっと……瞑想してただけです」

 教室がドッと沸いた。難しい顔をつくっていた先生も、フッと相好を崩す。遥の耳はみるみる赤くなった。

「先生、もう目が覚めたんで、授業してください」

「俺にはまだ眠たそうに見えるが」

「先生~それはいつもですよ~」

 那継が前のほうの席から口を挟むと、また教室が笑いに包まれた。「おいっ」と突っ込む遥の声が、那継まで届いたのかは定かではない。

 クラスの視線に耐えかねたのか、遥はふいと窓のほうに顔を向けた。確かにこちらには歩結しかいないのだが……目が合う。


 儚くて優しい――――とても綺麗な瞳だ。


 みんな、遥の目はやる気がなさそうだとか眠たそうだとか言っているが、歩結にはそうは見えなかった。3年になり、体育館よりも近くで遥を見て、その柔らかな瞳に惹かれた。押したら倒れそうな、危うくも美しい雰囲気を遥は持っていた。確実に、歩結にはないものだ。

 と、すぐに遥は顔を前に戻した。耳は真っ赤なままである。

 教卓に戻っていく先生の背中を見ていると、隣から声が聞こえた。

「次からは遠慮なく起こして」

 遥が授業内容以外のことで話しかけてきたのは、これが初めてである。

「私が起きてたら」

 そう返すと、遥は笑みを浮かべた。

「なんだ、歩結も寝てたのか」

 つられて目を細めると、遥はすごく嬉しそうにくしゃっと笑った。それから、ついでのように

「あ、高校、どこ受けるの」

 と、訊いてきた。

「安木高。遥は」

「同じ」

 よかった。

 元々、田舎だから家から通える高校は限られている。大学に進学したい人はだいたい安木高校に行くし、高卒で就職したい人はだいたい安木実業高校に行く。そして那継が言いふらしている感じからすると、多分遥は安木高だと思っていたが、確かめられてよかった。

 その後、席替えで遥と席が近くになることはなかった。特に会話をする機会のないまま受験シーズンに突入、卒業式を終えて入試を受けた。

 そして合格発表、歩結が安木高に行くと、那継がいた。



               * * *



『合格発表、何時に行く?』

 遥が家でごろごろしていると、那継から連絡が来た。

 9時から12時まで安木高校に合格者の受験番号が張り出されているらしい。

『早く行っても混むから11時くらいかな』

『遥らしいな、俺もそんくらいに行こ』

 高校に着く。遥が自転車置き場に行くと、なぜか那継と歩結がいた。戸惑っている遥に、那継が「よっす!」と上機嫌に挨拶してくる。

「いやーあんたら考えることが一緒だなー」

 どうやら歩結も混むから今来たらしい。歩結と同じことを考えていたという事実に、少し頬が緩む。

 そんなこんなで掲示板を見に行く。三人以外誰もいなかった。そして、三人とも受かっていた。倍率は1.02、落ちるのは5人くらいなので、内心大丈夫だと思っていたが。

 食堂で書類を受け取り、自転車置き場に戻る。

 遥は流れ的に三人で帰るものだと思っていたが、那継が買い物をして帰ると言い出した。

「体育会の借りは返した」

 那継は自転車置き場でこそっと遥にそう言った。それから校門で那継と別れた。


          ◇

          

 歩結と二人並んで自転車を漕ぐ。

「……」

 那継が会話を回してくれていたので、途端に口数が減る。車も通らず、少し鳥の鳴き声がするくらいの、静かな空間だった。それでも、遥はなぜか気まずいとは思わなかった。無理に話さなくてもいいという安心感があった。そして、懐かしさを感じた。

「なんか――休日の部活を思い出した」

 遥は前を向いたままぽつりと言った。

「私も。あの時間好きだった」

「俺も」

 歩結も、俺と同じことを感じていたんだ。遥は嬉しくなった。

 すると、歩結がブレーキを握り、地面に足をつけた。

 どうしたんだろう。遥も止まった。

 歩結がこちらを見ている。

「すごく――耳赤いよ」

 しまった。遥は片手でぱっと耳を触った。

「どうしたの?」

 歩結がこちらを見ている。遥はさっと目をそらした。

「別に……なんでもないけど……」

 歩結がじっと見つめてくる。遥は、自分がますます火照るのを感じていた。

「そりゃあ好きな人と二人で帰ってるんだから耳くらい赤くなるよっ」

 思わず口走ると、ぽかんと間が空いた。何言ってんだ、俺。自分を責めながらも、おそるおそる歩結のほうを見る。

「私も遥のこと好きだよ」

 それはどういう……

「それは付き合ってくれるということでいいの」

「うん。でも、どうしたらいいのかよくわからない」

「大丈夫、俺も分からん」

 目が合う。

 二人の小さな笑い声が、青空に溶けていった。

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