婚約破棄(1年ぶり16回目)~毎年婚約破棄される悪役令嬢を、年下王子がなんとしても娶るお話~
「悪役」令嬢とは、何か。
なぜ彼女は、婚約破棄されるのか。
それは――――
※百合じゃない、悪役令嬢もの?です。
6000字ほどお付き合いくださいませ。
途中一か所だけ、ブレーズ王子の視点が入ります。
ガラム侯爵令嬢アマーナ・デルシーの婚約破棄。
春の訪れを告げるかのように、それは人々の口に上ります。
口さがない人は「悪役令嬢の婚約破棄」などと言うそうです。
悪役だなどと言われても。
もう、悪いところなど……見つかりませんのに。
九つの頃ならば、確かに私もわがまま放題ではありました。
当時は……周りを困らせて、いたでしょうね。
その時の婚約者は、第一王子。
それはもう、素晴らしいお方でした。
互いに同い年、ご迷惑をかけながらも交流を重ね。
心から、お慕いし。
将来も、お誓いいただけた。
しかし。
冬の終わり。私の誕生日の、前日。
突然、別れを告げられました。
婚約は破棄され、私は王子にすがったものの、こう言われました。
『お前が悪いんだ』と。
……何が悪かったというのでしょう。
泣き暮れていたところに、別の方が手を差し伸べてくださって。
今度こそと奮起し、自分を磨きました。人の言葉は素直に聞き、改めました。
しかしその方もまた、冬の終わりに……私を見捨てていきました。
そして別れ際、こう言うのです。
『お前が悪いんだ』。
……立ち上がれぬほど、傷つきました。
ですがこう考え、私は歯を食いしばりました。
「悪いところさえ直せば、振り向いていただけるのだ」と。
三人目。家格は劣るものの、好ましい少年と出会い、今度こそはと決意しました。
しかしどれほど己を律し、鍛え。
お相手を楽しませ、寄り添い、慕おうとも。
冬の終わりに、私は婚約を破棄されました。
それからは、四度五度と毎年婚約と破談を繰り返し。
確か、16の頃まで……都合七度の婚約破棄をされるまでは。
気丈に、前を向けていたと思うのです。
ですがその年。
冬が終わり、婚約を破棄され、春が訪れ……次の方と出会う前。
今度こそはと意気込む私に、報せが届いたのです。
第一王子が出奔した、と。
聖女と呼ばれる、神の如き癒し手が現れ。
彼女と共に、国を出た、と。
私を最初にふった、あの方が。
……ふつりと、心の糸が切れました。
私は気が狂いました。
ですがその狂気の果てに、あるものを得ました。
それは、前世の記憶。
ここは、乙女ゲームの世界。
私、アマーナ・デルシーは悪役令嬢。
ゲームの新作が出るたびに、婚約を破棄される役割。
シリーズはなんと、16作品も続いており。
もしかしたら、その後も発売されているかもしれません。
私はその物語が続く限り。
春には必ず、婚約させられ。
冬には必ず、婚約を破棄させられるのです。
自分を磨くだけでは足りないのだと、手を広げてもみました。
謀略まがいの企みを用い、婚姻にこぎつけようとしたこともありました。
白状しますが……怪しい薬品に頼ろうとしたことも、あります。
ですが届かなかった。
努力も、策も、悪事も、何もかも。
どれほど虜にしようとも、男たちは私から離れていきました。
これは、呪い。
世界が私にかけた、呪いです。
そんなにひどいことを、前世でしたとも思えないのですが。
これからも私は、遠い異世界の娯楽のために、心を弄ばれ続けるのです。
…………もし、記憶が戻らず、あのまま気狂いに落ちていたとしても。
無理やり正気に戻され、また振られるための一年が始まったのでしょう。
だって、手首を切り落とそうと刃物を握っても、それをどれほど押し当てても。
私の肌には、傷一つ、つかないのです。
死ぬことすら、傷つくことすら許されない。
私が! 何をしたって言うのよ!
◇ ◇ ◇
「悪役令嬢の婚約破棄」という、奇妙な恒例行事がこの国にはある。
末の王子たるこの私が生まれた頃から、あるという。
私は怖かった。そんなものを……誰も疑問に、思っていないことが。
ある時思い余って、本人に尋ねたことがある。
当時私は、九つか十。
時期は春先で……よく考えてみれば、彼女が婚約を破棄された後だった。
我ながら配慮の一つもない行いに、子どもの自分を責めたくなるが。
褒めたくもある。
それは忘れられない、出会いとなった。
報せをだし、侯爵家を訪ねたが、少々早くついた。
日課で庭園を回っているという彼女に……私は気がはやり、会いに行った。
初めて見かけたとき。
気丈だと聞いていた彼女は、気落ちした……というよりも。
憑き物が落ちたような、不思議な顔をしていた。
そうして少しの、問答をさせてもらった。
『なぜ毎年のように破談されているのでしょうか――――』
『――――私が悪い……いえ、悪役だから、です』
『あなたを悪役でなくすには、どうすればいいでしょう――――』
『――――私には、わかりません』
たったこれだけの、不躾なやりとり。
だが、この時だけだった。
彼女の悲嘆、諦観、憤怒、怨嗟……様々な表情が、見れたのは。
完璧と謡われる、悪役令嬢アマーナ。
そんな彼女が私にだけ見せた、人らしい心。
私は理解した。
彼女を救えるのは、自分しかいないのだと。
◇ ◇ ◇
恥ずかしながら、寝床で少々の癇癪をおこし……少し、落ち着きました。
今日は知己である、かの方が訪ねてこられる日。
そろそろ支度をしなくては、なりません。
普段なら、メイドが来るまで待つところですが。
気分を変えたくて、寝台を降りました。
外はまだ暗く、部屋はとても寒い。
ガラス窓に映る自身を見て。
鏡台に向き直り、改めて自分を眺めて。
……少し、気持ちが前向きになりました。
自分でも信じられないくらいの、美貌。
25を過ぎましたが、より若々しくすら見える。
鏡に映るのは、私の誇り、そのもの。
大丈夫。
ここに呪いがあろうとも。
誇りがあれば……生きていけます。
ふと、窓の外の暗い庭で、何かが風に揺れているのが目に留まりました。
あの辺りは確か……春先に咲く、青い花が植えられていたはず。
おそらくはもう、つぼみが開きかけている、頃。
そう、でした。春に、なる。
また婚約者が、現れる。
私は、はっとしました。
今日お会いになるあの方は……もう成人されるはず。
ですが、婚約のお話など、聞き及んでいません。
よもや、あの方まで……。
いえ。一回りも、お年が違うのです。
ありえません。
あってほしく、ありません……。
◇ ◇ ◇
年に幾度かお会いする、かの方……ブレーズ王子。
王家においては、末に生まれたお方。
しかし上の男児が出奔した第一王子一人だったため、彼が今は王太子です。
本日は庭園を見て回りたいとおっしゃるので、ご案内しています。
隣を歩きながら、他愛のない歓談をし。
時折ふと、王子のお姿が目に入り……しばし視線を吸い寄せられます。
最初にお会いしたころは、まだほんの子どもでしたが。
今は背も私を追い抜き、お体は細身ながらもたくましさが伺えます。
細い金糸のような短い御髪、緑の美しい瞳。本当に、とても、お綺麗で。
……王子に見えないように、頭を振り、気を取り直しました。
この方とは、できればこのまま良き友人でありたい。
男性として見るのは、この関係を必ず壊してしまう。自制、しなくては。
そうして歩き、東屋に到着したとき。
「今年はもう、良い人が現れましたか?」
王子に婚約のことを尋ねられ、心臓が跳ねました。
礼を欠いた物言いですが、社交の場でも言われることがあり、水に流すのは難しくありません。
ブレーズ様もかなり突っ込んだ仰りようをされるので、私も弁えております。
でも。なぜか今は、動悸が収まらず。
言葉が、出ません。
力なく……なんとか首を、横に振りました。
「そう」
王子はそれだけ言うと。
後は何事もなかったかのように、過ごされました。
庭を回り、時折歓談し、ささやかな茶会をして。
王子の、あの一言が。
つれない、お返事が。
なぜか強く、胸に残りました。
◇ ◇ ◇
…………夏。
私は避暑地に、招かれました。
王家直轄領にある、お屋敷です。
水辺にあり、多少ですが王都周辺よりは涼しく過ごせます。
避暑地に向かう馬車の中、王子と二人。二人、きり。
まるで……いえ、やめておきましょう。
考えたく、ありません。
しかしそのことが心に引っかかり。
歓談自体はそつなく続けるものの。
気もそぞろで。
「……まだ、婚約者は現れないようですね」
言われるような気がしていたので、私は毅然と前を向き、応えました。
「はい。皆さまに、愛想を尽かされたのでしょう」
王子が……なぜかくすり、と笑われました。
「それは重畳」
背筋が、一気に冷えました。
なぜそれを、あなたが良いと思われるのか。
まさか。
それは、それだけは。
あなたまで、いなくなってしまったら。
わたしは。
「おや、私が立候補するとでも思ったかい?」
かれの、えみが、ふかい。
夜風にあたったかのように、急に頭が冷えました。
……不思議と、心が落ち着きます。
「お戯れを、殿下」
彼は答えず、楽しげにほほ笑んでいました。
◇ ◇ ◇
秋。
社交の時期、なのですが。
私は……怖くて、侯爵家から出られなくなっていました。
いつ現れるかわからない、婚約者に……怯えて。
体調が思わしくないと、お誘いはお断りし。
引きこもり、過ごす日々。
そして。
「聞いていたより、加減は良いようだね」
頻繁に訪れる、彼。
「三日とおかず来られているのです。
社交場の誰よりも、殿下が私のことをご存知でしょう」
…………なんでしょう。
殿下の耳が、少し、赤い、ような。
「ん……それはよろしくないね。少々訪問が多かったか。間を置こう」
「いえ」
彼の言葉に私はつい、考えなしに口走っていました。
驚かれたような、しかし続きを待つような、彼の視線に。
「いえ……お忙しいのに来てくださる殿下を、そのような理由では追い返せません」
耐えきれず、濁すようにいいました。
来てほしい、と。
「そうかい」
呟く彼の眉尻は、見たこともないほど下がり、柔らかで。
……そのように、ほっとされた顔を、見せられては。
16人もの男を手玉に取った悪女に、見せられては。
とても、困ってしまいます。
知っていますか、王子。
殿方を落とす、最大のコツは。
その方に……恋に落ちること、なのです。
愛は何よりも甘美に、人を篭絡する。
――――ブレーズ様。
◇ ◇ ◇
冬。
窓の外を眺め過ごす、何もない一日。
幾度もそのガラスが、曇りました。
…………もう、二日も来られていない。
日が沈み、夜闇が訪れる頃。
屋敷が少々、騒がしくなりました。
私の部屋の外から、使用人が来客を告げます。
私が急ぎ、応接へ向かうと。
鎧姿の……ブレーズ様が。
私はいてもたってもいられず、お傍まで寄りました。
彼の首筋に、少しの細い傷が見えたからです。
「お怪我をなさって……」
「かすり傷だ。急ですまないが、アマーナ」
私の心臓が、大きく跳ねました。
顔が紅潮するのが、嫌でもわかります。
…………彼に名前を呼ばれたのは、初めてです。
「手を回し、あなたの都合はつけてある。王城にきてもらおう」
「それは「聞くな」」
かぶさる彼の声に、私は口をつぐみ。
しかし一言だけ、添えさせていただきました。
「はい。信じております」
なぜなら。
この方は私の。
婚約者では、ない。
だから、信じられる。
支度をし、馬車に揺られてしばし。
侯爵領……特にその本邸は、王都に近いところにあり。
ほどなく、王城まで辿り着いた、のですが。
…………明らかに、争いの跡が残っています。
そしてそれを片付けるためか、大勢の方が駆けまわっている。
ブレーズ様は時折行き交う人と言葉を交わしつつ、私の手を引いて、奥へと進んでいきます。
王城は幾度となく来たので、覚えています。この先は……玉座の間のはず。
辿り着いた、謁見も行われるその広間は。
他に比べると、だいぶ片付いてはいるようでした。
柱の一部が砕けていたり、瓦礫がまだ残っていたり……激しい戦闘があったことがわかります。
いったいここで、なにが。
「ここが中心でね。最も影響を受けづらい」
「中心……いったい、何の」
「聖女召喚の陣」
私の中で、不意に記憶が繋がりました。
かの乙女ゲームは、聖女が地球からこの世界に召喚されるところから始まります。
その場所は王城の地下で……つまり、この真下。
「悪役が生まれるのは……その対極の存在が、いるから。
先代はこの陣を使い、毎年聖女を呼び寄せていた。
あなたが歪んだ人生を辿らされていたのは、このせいだ」
「先代、ということは」
「国が滅びてしまえば、陣は効力を失う。
ああ、国号が変わるから、『先代』ではないね」
彼は恐ろしいことを言いながら、手袋を外し。
私の手をとって。
懐から取り出した何かを……そっとはめる。
そしてご自身の手にも、同じものを。
「私は、約束などしない」
左手薬指の輪。
この習慣は……地球のそれと、同じ。
「あなたは私のものだ、アマーナ」
◇ ◇ ◇
二日ほどたった、朝。
まだ早い時間のはずですが、光が窓から差し込んでいます。
ここは侯爵邸の私室、ではなく……王城の一室。
ふと、何気なく動かした右手が。
意外にたくましい、彼の左手を布の中で探し当てました。
固い金属の感触が、指先に触れる。私が彼の……妻となった、証。
未だに、信じられません。
毎年この日は……誕生日は、泣いて過ごしていたと、いうのに。
誰かがいなくなったことを、思い知る日だったのに。
7年前に出会ったあなたが、まだこんなにそばに、いるなんて。
不意に。
私の右手の甲を、彼の右手が押さえ。
両の手で、固く握りしめられました。
……起こしてしまったでしょうか。
「こんな幸運、信じられない……そういう顔だね」
まだ眠たげな彼の眼が、私を優しくとらえている。
私は……素直に首を縦に振りました。
「諦めなかったからだよ。
あなたも。
私も」
その言葉に。
急に……胸がいっぱいになって。
涙が、止まらなくなりました。
自身が、その呪われた運命から解放された……その自覚が灯ったからでは、ありません。
年月をかけ、彼が乗り越えただろう艱難辛苦を思うと、たまらないのです。
一人ではなかった。共に生きている人がいたのだと。
叫び出したい気持ちが、すべてしずくになって。
私はまた、泣き濡れた誕生日を過ごすことになりました。
彼は17、私は26になった、この日。
私たちは、形の上での夫婦というだけではなく。
約束などなくとも……共に生涯を生き抜く、伴侶となったのです。
――――世界の定めた、法則。
だがそれがなんだ。
私はすべてを乗り越えて、彼女を手に入れたぞ!
さぁ。愛しいあなたに、尽きぬ祝福を与えよう。
世界の代わりに、この私が。